夜の散歩をしないかね/RCサクセション from『シングル・マン』 -1976-

今では清志郎とチャボが共演する際に、
必ずと言っていいほど演ってくれるバラード。
もう定番となってしまったが、
さすがにあの「GLAD ALL OVER」のラスト・ナンバーで演奏された時は泣けた。

さて、「シングル・マン」のこの曲を聴いていて昔から思っていたことを、
今夜ここに書くことにします。

  きれいな月だよ 出ておいでよ

この「出ておいでよ」の部分、二回目は口笛になるのだが、
そのバックに女性の声が聴こえるのはファンならわかるだろう。
まぁ、全編で女性の何とも妖しげなつぶやきが聴こえる曲なのだが、
僕はどうしてもこの口笛の後ろが気になって仕方が無いのである。昔っから。

  ちょっと待って …

「ちょっと待って」は聴こえる。わかる。
しかし、この「…」の部分。ここが何と言っているのかずーっと知りたいと思っているのです。
知っている人がいたら、是非コメントへお願いします。

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いい事ばかりはありゃしない/RCサクセション from『RHAPSODY NAKED』 -2005-

もう今から20年近くも前のこと。
中学の時から僕が10年以上やってきたバンドの解散が決まった。
最後のライヴは友人や知り合いのバンドと一緒に演ろうということで、
渋谷にあった某ライヴハウスを貸しきった。
オールナイトのイヴェントにしたのだ。
もちろん僕らはトリを飾らせてもらった。
そのバンドの結成当時からのオリジナル・メンバーは僕とドラムの二人だけ。
記事にも書いたが、
RCサクセションのドラマーであるコーちゃんに一緒にサインをもらったヤツである。
よって、バンドを作ったことに、RCサクセションの存在はもちろん大きい。

バンド結成時にはRCの曲もコピーしていたが、
メンバーが入れ替わり始めたと同時にRCとは離れていく。
曲もすぐにオリジナルを作るようになり、
解散当時にはRCの色は皆無なバンドだった。
そんなバンドであったが、
解散ライヴのラスト・ナンバーに演奏したのがRCサクセション。
その曲は「いい事ばかりはありゃしない」であった。
何故この曲を選んだのか。
もう理由は憶えていないが、僕の意見であった事は確かである。
しかも、バンドにはヴォーカリストがいたのに、
僕も曲の一部を歌わせてもらったのだ。
その時の自分がどんな気分だったのか忘れてしまったが、
この曲を歌いたかった気分だったのだろう。

     **********

81年のアルバム「PLEASE」で発表されたナンバーであるが、
初期からライヴでのレパートリーであり、
そして既に代表曲でもあった「いい事ばかりはありゃしない」。
清志郎はザ・バンドをイメージして作ったと発言していたが、
なるほど言われてみればそんな匂いもする。
しかし、言われなければこの曲からザ・バンドをイメージすることはできるだろうか。

「RHAPSODY NAKED」での、
ビートルズの「サムシング」のようなコーちゃんのドラムのイントロが、まず良い。
二本のギターとサキソフォン、
金子マリのヴォーカルがフィーチャーされた強力なヴァージョンである。
演奏は非常にラフであり、ところどころで乱れるが、
そんなことは構いやしない程のカッコよさだ。

そして何といっても曲の冒頭での清志郎による「だけどさ~」。
続いて「いい事ばかりはありゃしねぇんだ!」とチャボも一緒に叫ぶ。
これですよ、これ。

歌詞に出てくる月光仮面が生理のことだとか、
坂の途中の坂は多摩蘭坂なのかなとか、
そんな楽しみ方ができるようになったのは、もうずっと後のことだ。

   金が欲しくて働いて 眠るだけ

とにかくこのフレーズを清志郎とチャボと一緒に歌うことが全てであった。
でも、今でもそれが全てのような気もする。

     **********

そうだ!
思い出したが、僕は大学を卒業するときも、この曲を歌ったんだっけ。
どうやら、僕は何か節目の時になると、この曲を歌いたくなるようだ。

     **********

だけどさぁ…やっぱり、いい事ばかりは ありゃしねぇんだよなぁ…

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スローバラード/RCサクセション from『RHAPSODY NAKED』 -2005-

80年代の初めのこと。

しかし、それを見たのは何の雑誌、何の本だったのか、もう憶えていない。
いや、それは雑誌、本だったのかどうかも…

  インタヴュアー:歌の中に出てくるグラウンドって実在の場所なの?
  清志郎:うん、そう。あれは八王子市営グラウンド。

前後の記憶は完全に吹き飛んでいるが、それは確かに…、
いや確実にこんなやりとりだったはずだ。
数ある忌野清志郎のインタヴューの中でも、
どうしても、そしてたぶん一生忘れられないものである。

富士山や東京タワーのように誰もが知っている場所では無い。
ただの無名な市営グラウンド。
しかし清志郎が歌うことにより、
聴く人の中で広がるこのグラウンド、駐車場のイメージはどうだろう。

今では曲が誕生した背景やエピソードが「GOTTA!忌野清志郎」や、
「BRIDGE 95年4月号」の特集”忌野清志郎の10曲”などで詳細に語られているが、
それらを見るまでは、僕にとっての「スローバラード」は、
あのインタヴューでの発言がすべてであった。
「八王子市営グラウンド」という清志郎のたった一言を自分の中で自由に勝手に膨らませていたし、
実際にそれはどこまでも、そして限りなく大きくなっていったのだ。

当時のライヴではハイライト的な曲として演奏されていた「スローバラード」だが、
「RHAPSODY NAKED」では、実に感動的な瞬間が収録されている。

ギターのイントロに導かれ清志郎が歌いだすと同時に、
観客の大きく暖かな拍手を聴くことができる。
それを聴いたからであろう。
清志郎は歌の途中なのに「サンキュー」と言うのである。
これは、つい本心から出た「Thank you」だと僕は思うのだ。
清志郎も感動したのである。

LP「シングル・マン」に収録されたピアノのイントロによるヴァージョンではなく、
小川銀次の鋭くも甘いサウンドによる泣きのギターで始まるのが、僕の「スローバラード」初体験。

清志郎による必殺のMCではあるが、
この時はまだまだ洗練されていない「愛しあってるかい?」「yeah!」のコール&レスポンスに続き、
一瞬、真空状態になったかのような「間」の後に銀次のギターの第一音が鳴る瞬間…。
ここには確実に僕の1980年4月5日が凝縮されている。

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ロックン・ロール・ショー/RCサクセション from『RHAPSODY NAKED』 -2005-

恭さんが、何とも「バカな頭で考えた いいアイデア」を提案してくれました(笑)。
RCサクセションの「RHAPSODY NAKED」の全曲を個人的解説で一曲ずつ回すバトン…。

やってみましょう。
あくまでも”個人的”な解説として、形に拘らず自由に書いてみたいと思います。
既に「Opening MC」と「よォーこそ」を解説してくれたので、
私は「ロックン・ロール・ショー」を受け取ります。

     **********

後に名盤「BLUE」のオープニング・ナンバーとして発表された「ロックン・ロール・ショー」だが、
実は渋谷の屋根裏で活動していた頃からのレパートリーだった。
「よォーこそ」ができる前は、良くライヴの一曲目に演奏されていたそうだ。

「BLUE」で聴かれるヴァージョンは強力。
イントロ、コーちゃんのフロア・タムとハイハットが印象的なドラムにチャボのドヘヴィなリフが絡み、
ハーモニクスに導かれて登場する清志郎のヴォーカルも、
最初からメーターのレッド・ゾーンをぶち切っている。
ラフであるが完成度が非常に高い、RC流ハード・ロックの究極的なナンバーだ。

「RHAPSODY NAKED」で聴かれるヴァージョンはこの原型というよりも、
これはこれで完成形だと思う。
リズムだけ聴くと軽快なのだが十分にヘヴィ。
その理由は、二本のギターによるアレンジになっているからだろう。

小川銀次によるオクターヴやハーモニクスを使ったイントロのリフ。
いきなりカッコイイ。
曲の命とも言えるこのリフは彼が考えたのだろうか。
そして、それに絡んでくるチャボのギターがまた抜群、絶妙なのだ。
ギターのエフェクトはフェイザー、または例のコーラスを強めにかけているようだね。

銀次もチャボも非常にタメの利いたバッキングであり、
RCのサウンドをこの路線で進み発展させていったら、
ミック・テイラー期のストーンズのような強力なギター・バンドになっただろうと思う。

それにしても清志郎のヴォーカルだ。
「よォーこそ」のすぐ後なのに、このサラッと感はいったい何なのだろう。
余裕で歌えるような曲じゃないよ、これ。
20代の清志郎は恐るべきヴォーカリストであったのだなぁ…。
もちろん、今もだけど。

僕がこの久保講堂で聴いたRCの曲は、ほとんどが初めて耳にするものだった。
そして80~90年代、いや現在までこれは一貫して変わらないことなのだが、
清志郎がライヴで歌う曲は、初めて聴く曲であっても必ず印象に残るフレーズがあるのだ。
これはどこのどんな場所で聴いても、その歌詞がハッキリと聴きとれるという、
清志郎のヴォーカリストとしての破格の才能である。

ただでさえそうなのに、「ロックン・ロール・ショー」は印象的なフレーズの山である。
当時の僕が印象に残ったのは、”ほら もういっちょう”と”役立たずの神様”、
そして”ロック・ショー”だった。

ライヴ後に皆で銀座で食事をした。興奮しながらその日のことを僕達は話した。

「ほら、あの”ロック・ショー”って歌っていた曲、カッコよかったよね」
「あぁ、”役立たずの神様?”」
「そうそう。でも俺は何だっけ?あの”バンドマン”っていうヤツ。あれが好きだな」
「あと、”金が欲しくて働いて 眠るだけ”も良かったよな」

曲のタイトルはわからなくとも、みんなでこう話していたのを今でもハッキリと憶えている。

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九月になったのに/RCサクセション from 楽しい夕に -1972-

会社の帰りに新宿のタワー・レコードへ行った。
ブルース・スプリングスティーンの紙ジャケット第三弾発売分を買うのが目的だったが、
ローリング・ストーンズの新譜がどのくらい盛り上がっているのかも、この目で見たかったのだ。

僕は勝手に店内のBGMはストーンズがガンガンかかっているのを想像していたのだが、
まったくそんなことは無かった。
だいいち、国内盤しか発売になっていないので、タワーでさえ盛り上げようが無いのである。
今の時代じゃ旧譜もバッチリと揃えて大きく展示するなんてことは、どこの店舗もしないだろうから、
寂しいもんであった。とりあえず今ある在庫を寄せ集めていると言う悲しい状態である。
試聴機の横には映像モニターがあったのだが、何故か流しているのはハイド・パークである。
最新映像を流さないでどうすんのよ…。

しかし、どうして国内盤が早いのだろう。
ビートルズの「レット・イット・ビー・ネイキッド」のときと同じ理由だろうか。
あの時は国内盤がCCCDだった。
最悪の評判だった。
よって、輸入盤が早いと誰も国内盤を買わなくなるので、先行発売ということになったのだろうし。
今回のストーンズの国内盤はセキュアCDというわけがわからないものなので、
やはり同じ理由としか思えない。
セキュアCDの評判はどうなんだ?
CCCD、セキュアCDの次は、いったいどんなメディアを作るんだろう?

九月になったのに大嫌いな夏が続いているが、さすがに勢いは無くなってきたようだ。
まだまだ暑いが、確実に一段落したような気がする。
これから涼しくなるぞ。
秋が待ち遠しいなぁ。
心地よい風が吹く十月も近い。

ねぇ、そちらはどうですか?
ねぇ、君はどうですか?
そちらも九月になりましたか?
九月はまだですか?


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国立市中区3-1(返事をおくれよ)/RCサクセション from『初期のRC・サクセション』-1971-

RCサクセションの偉大なるデビュー作に収録されているハード・フォーク・ナンバーである。

国立と国分寺を結ぶ何て事の無い坂。それが多摩蘭坂である。
81年の名盤「BLUE」で発表されたバラードの曲名でもある。
忌野清志郎がこの坂の途中に住んでいた事は、今更説明する必要は無いだろう。

当然、ほとんどのRCファンと同じように僕も国立、そして多摩蘭坂には何度も行った。
初めて多摩蘭坂を訪れた時は、それは感動したものだ。
だって、ビートルズでいうリヴァプールがRCの国立であり、
アビーロードが多摩蘭坂になるわけだから。
僕はこの時の体験を「俺のリヴァプール」という曲にした。

今でもあるのだろうか、国立にはその名もリヴァプールというライブ・ハウスがあった。
バンドをやっていたときに、
三多摩ツアーというのを企画して、ここに一度だけ出演したことがある。
また、仲井戸麗市のライヴを観たことも忘れられない。
単行本「だんだんわかった」発表後の、例のポエトリー・リーディングのライヴであった。
僕はこのライヴ終演後、多摩蘭坂に寄ってから帰った。

国立市中区3-1というのは、正確には「中区」ではなく、
ただの「中」という地名のようだ。
また、この住所は仲井戸麗市の母校である桐朋学園の近くになる。

坂の途中の石垣には落書きがいっぱいであったが、
今ではかなり整理されキレイになっている。
当然、近所の住民にはRCなんて関係ないし、
落書きなどはもってのほかで、いい迷惑だろう。

この何てことの無い坂の途中で、いいことばかりはありゃしないと立ち止まる…。
そんな清志郎の姿が、訪れるたびに目に浮かぶ。

国立にはずいぶん行っていない。久しぶりにたずねてみようかな。


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雨あがりの夜空に/RCサクセション -1980-

1980年4月6日に買ったレコードである。
この前日の4月5日に、あの久保講堂でRCのライヴを初めて体験したばかりだった。
完全に犯られてしまった僕は、翌日にこのシングル盤を買いにレコード店に走ったのだ。

POPなジャケットのデザインは、まさに80年代に突入する時期を象徴していると思う。
チャボのクレジットがREIICHI NAKAIDOと表記されているが、
当時は間違っているとは知らなかった。
また、BACKING VOCALS,RHYTHM GUITARとなっているのも、今見るとカッコイイなぁ。
今はリズム・ギターとクレジットされるギタリストっているのかな?

80年と言えば、RCを聴いていれば、
いやRCを知っているだけで時代の先頭にいるような感じがしていた。
学校へ「RHAPSODY」のLPを持っていったことがある。
クラスメートに貸すためだったと思う。
そいつはリザードが好きなヤツで、僕はRCを貸す代わりにリザードを借りたのかもしれない。
この辺はもう覚えていないが、とにかく学校へ持っていったのだ。

レコードは裸で持っていった。
通学の電車の中や街中で思い切り周りの奴等に見せびらかしたかったのだ。

  通学の途中でブルースのレコードを抱えた友人に数年ぶりで再会した音楽好きの少年がいた。
  ふたりは共通の話題で車内でしゃべり通した。
  レコードを抱えた少年はミック・ジャガー。もう1人の少年はキース・リチャーズ。

ローリング・ストーンズ結成の種が芽を出した有名なエピソードだ。
残念ながら僕にはこういう出会いは無かったが…。

RCというよりも、日本のロックの代表曲とも言える強烈なナンバーであり、
知らない人はいないだろう。
そしてB面は、これまたラヴ・ソングの名曲。
”僕が君を知ってる”では無く”君が僕を知ってる”と歌った清志郎には、
本当に当時は助けられたものだ。
ビートルズのストロベリー・フィールズ・フォーエヴァーとペニーレインのカップリング。
これとタメを張るシングルだと思う。

ジャケットは擦れているし、レコード盤も傷だらけだ。
もう自宅のターン・テーブルに乗ることも無い。
しかし、一生大事にするであろう宝物だ。
何てったって僕の10代がスタートしたレコードなのだから。

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ハイウェイのお月様/RCサクセション from『BEAT POPS』 -1982-

この連休はちょっとした長距離ドライブ。
残念ながら運転席からお月様を見ることはできなかったが、
ドライブの時、それが夜であれば僕は必ず空に探すようにしている。
そうなったのはこの曲がきっかけだ。

今日はちょっとしたこの曲が絡む個人的エピソードを書いたものを思い出したので、
引っ張り出してみる。
2003年の11月に、忌野清志郎のライヴを観た直後に記したものだ。

     **********

11月の終わりに忌野清志郎のライヴに久しぶりに足を運んだ。
最近の僕の清志郎への接し方は、ここ数年は発売されるCDを買ってはいたが、
以前のようにのめり込むように聴くことがなくなっていた。
RCサクセション無期限活動休止以降、どうしても清志郎よりもチャボにのめり込んでいたので、
僕と清志郎の距離はどんどん離れていくばかりだった。

そんな感じだから、その時もあまり期待していなかった。
大体、チケットも偶然取れたようなものだったし…だったのだが…。

オープニングはいきなり「雨あがりの夜空に」だった。
反則だろうこれは。
そして「ロックン・ロール・ショー」「たとえばこんなラブソング」と、
80年、81年のRCナンバーが立て続けに前半に演奏された。

何なんだこれは。
RCサクセションじゃないか。

コンサートが始まって4曲目。
すでに僕の意識は25年前に吹っ飛んでいた…。

  時は1979年の師走のある夜だ。友人のTが家にやってきた。
  何やらあるバンドのラジオ公開ライヴに行ってきたという。
  Tはもう一人の友人と、いかにそのバンドが格好良かったか、
  凄かったかを一通り話し終えた後、満足して帰っていった。
  その奇妙なバンド名だけが記憶に残った。
  その名はRCサクセション。

  年が明け80年代が始まった。
  中学を卒業していたが高校生してはいなかった4月5日。
  霞ヶ関の久保講堂というホール。RCサクセション・リサイタル。
  友人に誘われ、チケット代が1500円という安さだったという理由だけで僕はそこにいた。
  まさか、後に伝説と言われるコンサートに立ち会うことになるとは夢にも思わず…。

  この日の翌日「雨あがりの夜空に」のシングル盤を買った。
  繰り返し繰り返し、何度も何度も聴いた。
  聴くたびに世界観が変わっていくのがわかった。
  今では、僕の10代はきっとこの時から始まったのだと思っている…。

僕にRCを教えてくれたTも、この日の清志郎のライヴに来ていた。
終了後、軽く食事をした。
僕たちはRCによって何かが決まってしまった人間である。
久しぶりにRCのネタで盛り上がり、短くも楽しい時間を過ごした。

翌日、Tからメールが携帯に入った。

  ハイウェイのお月様へ  
  キヨシよかった。現実社会で溜まった乳酸が抜けた気がする。
  いつもキヨシに教えてもらいっぱなし。
  明日からもがんばって生きていけそーな気がする…

僕もメールを返した。

  ミスター・TVプロデューサーへ
  RCをBGMに今これを書いている。アルバムは「PLEASE」だ。
  曲は「いい事ばかりは ありゃしない」になったぞ。
  このアルバムには、これと一緒に「トランジスタ・ラジオ」も収録されているが、
  この2曲は大人になれない大人、俺達のテーマ・ソングみたいなものだな…

まるで10代の頃のようなやり取りを、当時は無かったメールで僕たちはした。
「ミスター・TVプロデューサー」というのはRCサクセションの曲名だ。
Tの仕事はTV関係なので、それに引っ掛けたのだ。

そして「ハイウェイのお月様」。
82年発表の「BEAT POPS」のB面ラストに収録されている、チャボが歌うブルージーな名曲だ。
きっと今夜もどこかのハイウェイから、きれいなお月様が見えているんだろうなぁ…。
Profile

Blue

Author:Blue
1980年4月5日からスタートしたGREATな体験。それは見事に現在に至るまで続いています。

" 君の手を握りたいんだ 君の手を握りしめたいんだ 君の手を握りしめていたいんだ そう いつかのメロディーに聞いた "

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