ヘリコプター/タイマーズ from 『single』 -1995-

つい昨日のことのようだ…というのは大袈裟だけど、そんなに前の出来事だとは思えない。
阪神・淡路大震災からもう12年も経つのか…。

当時の僕は主に平日が休みの仕事だった。
12年前の今日も、いつものそんな休日。
たまたま早起きをしたのだが、そこに飛び込んできたのがこのニュースだった。

TV画面の中に倒壊した高速道路が映し出されていた。
これが今、同じ時間で起こっている出来事ということが信じられなかった。
その日はただ、TVのニュースを見つめていただけだったな…。

災害発生から約3ヶ月後にタイマーズはシングルを発表した。
ハッキリと阪神大震災チャリティーシングルと銘打たれていた。

CIMG5577.jpg

収録曲は3曲。「サヨナラはしない」と「スィート・ヒッチ・ハイカー」。
そして「ヘリコプター」。

  このシングルCDの売上により発生する、歌唱印税、原盤印税のすべては、
  タイマーズの意向により永続的に、
  阪神大震災の被災者の方々への義援金として泉谷基金に寄付されます。

このCDにはこうクレジットされているが、その上部にはポッカリとスペースが空いている。

これは「ヘリコプター」の歌詞が全て削除されている為である。

  マスコミばかりが乗ってるヘリコプター
  人命救助をしてみろヘリコプター
  燃え広がる前に飛んで来い
  レポーターよりも俺を乗せてくれ

ゼリーの冷めたヴォーカルが今でもリアルだ。


ZERRY, TOPPI, THE TIMERS / 東芝EMI(1995/04/08)
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ROCKマイナスOKイコール「RC」

私が「RCサクセション」の話を書き出すと、どうしようもない程の想いが何メガバイトになるのか、わからない。昨今、清志郎の話題にビンジョーして、沢山の書籍やら登場している。昨日は読み切れてないそれらにも目を通した。まだ残ってる、多過ぎるもん。このよー....

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あの朝、大阪でも北西部に住んでいた私は「震度5」レベルの衝撃、に
身体がベッドに張り付いて動かせなかった事と、家中の後片付けが
大変だったなぁ、と云う実質的な記憶と

TV見終わった後、車でミナミへ向かった際、帰り道の梅田の街全体が
死んでいた事、駅で待ち続けて夕方やっと動き出した
徐行運転の電車が止まった、河を越える橋の上から見た西の空で
ヘリコプター同士がぶつかり合うんじゃないか?ってな程
混雑していた風景のバックは、夕焼けより赤く、灰色に煙っていた
そんな視覚的記憶、が残っています。

あのヘリコプターは、てっきり消火活動してたんだと思ってて
帰宅後TV見ながら家族と「…ってか、いいのこの(ヘリの)数?」と
ツッコミを入れたのも覚えてます。
でも、覚えている懐かしい街並は消えてしまったので
(ウチの親戚等が昔は多くいたんで)
もう、まるっきり人ごとみたいな震災でした。

タイマーズの中ではかなり好きな曲ですね~ちょっとウチでも公開しちゃおう。どうせ誰も知らないだろうし。
しかしこれがチャリティソングになっていたとは知りませんでした。

やっぱあの歌詞はまずいのでしょうか?
オレも大阪にいてるのでかなりゆれました。ほんと立ち上がれなかった。で、TV付けたらえらいことになっていて・・・

一番ぽかーんとしたんは、ワイドショーで『実際車で被災地までどれくらいで行けるのかやってみましょう』とかいって渋滞してる中にわざわざ中継車で乗り込んでいくというやつ。あれには頭きた。

ani-lineさん

そういえば去年、神戸に行ったのですが、何故か震災のことは思い出しませんでした。
震災の後が残っている場所はあるのでしょうか?

マイトさん

>やっぱあの歌詞はまずいのでしょうか?
歌詞が載っていないことについて言及したものは、当時でも見た事はなかったような気がします。
まさかタイマーズ側の意向じゃないと思うので、何かしらの理由があるんでしょう。
とにかくタイマーズに対する東芝EMIの対応はめちゃくちゃでしたからね。

>震災の後が残っている場所があるのでしょうか?

・・・恐らく、現地点でモニュメントとして一カ所(市内中心部の公園)に
犠牲者名簿と時計あしらった銅像があると思いますが
それ以外、もう全部なくなっちゃたんじゃないかな?
震災記念館みたいなとこも確か閉鎖されたし、崩れた港
(メリケンパーク)も崩れ落ちたまま暫く置いてましたが
未確認です、多分財政難で追憶に浸ってる余裕ないんですよ。

傷跡はキレイになくなりましたが、あの体験の記憶は口に出すのも
嫌になる位、沢山の人の心にあるんでしょうが、それこそ
今更しみじみする「思い出」なんかじゃないってのも…

あの時、マスコミ系と行政系へは現地へ行ける「通行手形」が
発行されていたようです。関西エリアの人間は延々、相当の期間
テレビもラジオも震災以外の話題出て来なくて、敏感な人は
その行為(ワザワザ取材に駆け巡る)に辟易してたと思います。

ani-lineさん

神戸では、とにかく観光地を歩いていただけでした。

今でも、どうして震災のことがアタマに無かったのかが自分でも不思議です。
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1980年4月5日からスタートしたGREATな体験。それは見事に現在に至るまで続いています。

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