音がでかいライヴ ROOSTERZ 87.10.23.中野サンプラザ

花田&下山タッグのルースターズと言えば轟音ギター・アンサンブルであるが、
それでもまさか耳を塞ぐようなことは無かったと思うだろう。
でも、実はひとつだけとんでもなかったライヴがあったのである。

87年、パリ録音のアルバム 『PASSENGER』 を引っさげてのツアー最終日。
中野サンプラザ。

当時のルースターズのライヴを良く観ていたのは、
今は亡き芝浦インクスティックだった。
所謂ライヴハウスで観ることが多かったのだが、
このツアーはホールを廻るという規模が大きなツアーだった。

一曲目から驚いた。

でかい。

轟音。

辞書で引くと「響き渡る音」だが、
まさにサンプラザ・ホールをまんべん無く埋め尽くす音であった。
インクスティックではなく、サンプラザである。
ライヴハウスでは無い。
ここはでかいホールだ。
それなのに人によっては耳を塞がないと、
とてもじゃないが聴いていられなかっただろう。
本当にとんでもない音であった。

結局このツアーを最後に、ベースの柞山一彦とドラムの灘友正幸が脱退。
まさにルースターズにとってもポイントとなるライヴになってしまった。
そんなバンドの内部事情がどの程度表面化していたのかはわからない。
しかし、四人のメンバーのある種の思いや想いが、あの音に出ていたのかもしれない。

当時、ロッキング・オン誌にこの日のライヴ・レヴューの記事が掲載された。
ライターは広瀬陽一氏だったと思う。
そこには当然のように音がでかいことが書かれ、更にこうも書かれていた。

  「このライヴにもう一度行くかと聞かれたら、僕は行かない」

このままの文章では無かったが、それだけ酷い音のでかさだったのである。

あの日、サンプラザのPAスピーカー前の席でこのライヴを体験した人は、
どんな感想を持ったのだろう。
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花田裕之

つい先日、土屋公平のソロ・ライヴのゲストに花田裕之が出演した。
たった四曲のセッションだったようだが、
ストリート・スライダーズ在籍時に発表した名曲「届かぬラブレター」。
そして亡くなってしまったからだろう、
ウィルソン・ピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」等をプレイしている。

それにしても、スライダーズもルースターズも、
そのデビュー時からファンで目にして耳にしてきたが、
二つのバンドが現役の頃は、この二人のセッションなど想像もできなかった。
というか、絶対に当時はありえなかっただろう。
お互いにストーンズに対してのシンパシーが感じられるバンドだったが、
そのアプローチや消化が異なっていたし、
ルースターズはバンドの音がどんどん変化していったこともあり、
当時は接点などは感じられなかった。こんな二人が今行ったセッションは、
いったいどんなものだったのだろう。

現在は旧友である池畑潤二と下山淳とともにROCK'N'ROLL GYPSIESで、
後期ルースターズを彷彿させる轟音ロックン・ロールをクールにぶちかましている花田であるが、
平行したソロ活動ではその逆で、孤高のブルース・マンといった存在になりつつあるようだ。
それどころか、ルースターズや布袋寅泰と演っていた頃の派手で華やかなイメージよりも、
枯れた味わいのほうが今では一般的かもしれない。

僕も所謂CDショップで、ギターの弾き語りで演ったインストア・ライヴを観たことがある。
その時は「あれ?こんなに渋かったっけ?」のような軽い違和感をおぼえたものだ。
もちろん、それは良い意味で。

僕の場合はどうしても大江脱退後の下山淳とのルースターズが強烈で、
一般的なファンのイメージ…というよりも、
決定的なイメージである「大江慎也=ルースターズ」ではなく、
「花田=ルースターズ」である。
こんな自分なので、アコギを片手に渋くキメる花田を観るのは新鮮であった。
元々ニール・ヤングをフェイヴァリットにあげるミュージシャンであったから、
こういった二面性を出せるのは、まさにニール・ヤングっぽい点かもしれない。

さて、ギタリストとしての花田裕之である。
僕はライヴもレコードも大江が抜けたあとのルースターズにのめり込んでいたので、
初期の姿を観たのはほんの数える程度だ。
ただ、今では昔の映像や音源がいくつか発掘されているので、
冷静に観て聴いて振り返ることもできる。
いい時代になった。

まず、ルースターズ時代。
初期は早いビートのロックン・ロールで、
何ともカッコイイとしか形容できないギターを弾いていた。
3rdアルバム「インセイン」以後はアルバムごとにバンドが変化していくのに比例し、
ギターも重いディストーションでヘヴィさが加わったり、
「DIS」のような冷えたアコースティックっぽさが出たり、
「Φ」のようにクリアなサイケ?っぽさを聴かせてくれたりと、
バラエティに飛んだギターをその都度弾いていた。

大江脱退後は下山の個性が花田にそのままぶつかり、
激しい衝突の中から生まれるロックとなる。
まったくスタイルが異なる二人のギターも、
当時のルースターズにおいては良い化学反応が起こり、
何倍にもなって僕らの耳に届いた。

ただ、実際にはこの時期は、
ほとんど花田のギター・プレイは目立たなかったのが残念。
ヴォーカリストでもあったのと、下山淳という素晴らしいギタリストがいたためだ。
仕方が無いだろうな。

とにかくアルバム「KAMINARI」以降のルースターズは、
日本でいちばんカッコイイギター・バンドだったと思う。
サイケでビートがあってハードで。

●この一枚 ライブ帝国/THE ROOSTERS→Z -2003-
80年と87年の映像を観ることができる貴重なDVD。初期と後期の違いがハッキリわかる。
80年のライヴは最高。
特にレスポールを抱えてロックする花田はグッド・ルッキンなこともあり、素敵。
87年のほうは、残念ながら今ひとつ。音もペラペラである。
実際のルースターズはこんなものでは無い。

/ (2003/10/22)
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次に、ソロ時代。
まずは1stソロを布袋寅泰とのタッグで制作。ライヴも行った。
リズム隊は松井に池畑。この4ピースのバンド、今では伝説だろう。
僕は渋谷公会堂で目撃。観ることができて良かったと思う。

アルバムは花田が全面的にプロデュースを任せたために、布袋色が強く出ていた。
これはさすがに一部のファンには不評だったようだが、僕は好きである。
布袋から見た当時の花田像という感じでもあったのだろう。
さらに、ルースターズの曲をライヴで演奏する布袋を観られたのもオマケとして嬉しいことだった。

●もう一枚 Live JOY for U/山下久美子 -1991-
意外なアルバムと思われるだろう。
この時の山下久美子のレコーディングとライヴにギタリストとして参加。
しかもライヴでは、いまみちともたかとのツイン・ギターだった。
これも今となっては貴重だ。
単純にギタリストとしての花田を聴くのはこのアルバムが最適。
特に「君がいれば」でのイマサとのギター・ソロ・バトル。
こんなギターを弾く花田はここでしか聴けない。
ちなみにビデオも発売されているので、CDよりもそちらがお薦め。

山下久美子 / EMIミュージック・ジャパン(1991/11/06)
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そして再び下山らルースターズのメンバーと結成したROCK'N'ROLL GYPSIES、
ソロ・バンドの活動等で現在に至るわけだ。
また、フジ・ロック・フェスでのオリジナル・ルースターズ復活も記憶に新しい。

自身の活動以外のゲスト参加は少ないミュージシャンなのが不思議だ。
ギタリストとしても魅力的なのに。

※オマケ:花田が薦めるアルバムの記事はこちら → レコセル花田裕之

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ハガクレ・レコード

ユニヴァーサルの復刻レーベル?として、
鳴り物入りで始動したはずのハガクレだが、結局どうなったのかな?
当時のチラシを見ると、
日本の音楽シーン黎明期を中心にした復刻とCD化の予定ラインナップは凄かった。
僕は本当に嬉しく、更に大きく期待していたものだった。

個人的には、まずRCサクセション。
キティ、ポリドール期(何故か「KING OF LIVE」も含まれていた)の紙ジャケットでのCD化に加え、
そこには「at武道館」と「DAYS OF R&B」のCD化が予定されていたのだ!
「at武道館」についてはハッキリとした情報は無かったが、これはおそらく映像でも発売され、
更にカセットのみでロンドンから発売されていた音源と思われる。
結局「at武道館」と「DAYS OF R&B」、「KING OF LIVE」はリリースされなかった。
「DAYS~」は後に別途CD化されたが、
ハガクレで出していれば当時のブックレットも復刻されていただろう。
残念である。

次は甲斐よしひろの1stソロ・アルバムである「翼あるもの」。
これは日本のアーティストのカヴァー集で、昔から大好きだった。
浜田省吾や憂歌団、ムッシュかまやつひろし。キングトーンズに早川義夫にザ・ピーナッツ。
そして無名時代のモッズ森山達也の曲など、その選曲はバラエティに富む。
特に早川義夫「サルビアの花」と、ピーナッツ「恋のバカンス」は秀逸なカヴァーだと思う。
これはボーナス・トラック付きでめでたくCD化された。

更に、カルメン・マキ&OZのギタリストであり、
仲井戸麗市の初期ソロ活動のプロデュース&ギタリストでもある春日博文が結成していたバンド、
NOIZ唯一のアルバムもCD化された。これは嬉しかった。
若き無名のひとみげんきのエモーショナルなヴォーカルと春日博文のギターがうなる名盤だ。

初期ルースターズの未発表曲やLIVE盤も出ていた。

ただ、何と言っても期待していたのは古井戸のキティ時代のアルバム「サイド・バイ・サイド」だ。
これは過去にもCD化の予定があったのだが立ち消えになり、
今度こそ…だったが、結局今回もお蔵入りした。
このアルバムのCD化は実現するのか…。

チラシに掲載されていたもののうち、いったいどれだけがCD化されたのだろう?
いつの間にか頓挫してしまった企画だが、何かをきっかけに再始動しないものだろうか。

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ぼくの好きな先生/RC・サクセション from single -1972-

実際にこの曲のモデルになった先生がいるという話は有名だろう。
清志郎が高校三年の時の担任であり、美術の先生だったそうだ。

さて、僕にはこのような先生がいるだろうか、いただろうかと、ふと考えた。
好きな先生はいなかった。ただ、印象に残っている先生は何人かいる。

僕は小学校三年の時に転校を経験した。
その転校先の最初の担任のI先生は、さすがに印象に残っている。
野球が好きな先生だった。
小学校には野球部というものが無かったが、
この先生がソフトボール部(のようなもの)を作ったのだ。
それは僕よりもひとつ上の学年から始まる。これがきっかけだった。
そのひとつ上の学年から地区大会に出たが、
僕らの学年からは、もう都大会に出るような強豪になる。
今では、この母校は全国大会出場レベルにまでなっている。

同じく小学校の音楽のH先生。
何故かこの先生が好きで、家にも遊びに行った。
「サウンド・オブ・ミュージック」のビデオを観せてくれたのがすごく印象に残っている。
僕にビートルズを教えてくれたのもこの先生だ。

中学校の美術のK先生には何故だか気に入られていた。
気に入られていたと言っても、贔屓されていたとか特別扱いされていたとかでは無い。
今思えば、僕は変わった絵を描いていたからかもしれない。もちろん上手なんかでは無いよ。
他の生徒が課題や宿題で人物や風景を描いてくる中、
当時の僕はプログレッシヴ・ロックのバンドのレコード・ジャケットにインスパイアされた、
わけがわからない絵を提出した覚えがある。
こんなことがあって「変な子だ」と思われたのかもしれない(笑)。

以上、印象に残っているといってもこのくらいだ。みんな今でも元気なのだろうか。

*****

初期のRCのヒット曲である。頻繁では無いが、80年代も何度か演奏されていた。
ヒットした当時は古井戸も「さなえちゃん」があり、良く比べられたりしたようだが、
どう考えても「ぼくの好きな先生」のほうが何百倍も曲として優れている。
比べものにならないだろう。

実に清志郎らしい曲だと思うが、
同時期のシングルは「キミかわいいね」や「三番目に大事なもの」。
この両面があるから清志郎は偉大なのだ。

ちなみに仲井戸麗市は絶対に歌わないテーマだろう。
何せ自身の1stソロ・アルバムに「俺は学校と教師には憎悪でいっぱいだ!」
とクレジットした人である。
チャボには「ぼくの好きな先生」なんて、どうしてもいたとは思えない。

さて、このシングル盤のメンバー・クレジットを見ると、
忌野清志郎(ひまわの きよしろう)となっている。
これはミスなのか、それとも当時は”ひまわの”だったのか…。
Rainbowさん、知りませんか?

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ファイティング80'sの思い出

「ファイティング80's」というのは、
TVKで放映されていたアーティストのライヴを流す一部で有名な番組だった。
後に「Live TOMATO」と名が変わるが、基本的な内容は変化しなかった。
つい最近、「ライブ帝国」というシリーズでこの番組が続々と映像化されたのは記憶に新しい。
もちろんお宝の山である。
80年と81年のRCサクセションのライヴも「early 80's」として発表された。
また、「ファイティング80's」の前身である「ヤングインパルス」の映像も一部が発掘され、
「RCサクセション70's」というタイトルでリリース。これは本当に驚きの映像だった。
RCは他にも「Live TOMATO」の87年、88年のライヴも発売されている。

さて、押入れをゴソゴソしていたら、何度目だろうか僕が書いた昔の日記が出てきた。
特に読み返したわけでは無いが、何冊かを手に取り何となくページをパラパラとめくっていたら…。

82年の日記の最後のページに、殴り書きのメモを発見した。そこにはこう書かれている。

  横はま市 中区 山下町
  TVKテレビ ファイティング80's こーかいろくが係
  10月15日(金) RC&佐野

「ファイティング80's」のライヴは、
東京の蒲田にある日本電子工学院という専門学校のホールで録画されていた。
観客は応募し抽選で選ばれていた。
このメモは、その公開録画へ応募するための情報である。

ここで注目して欲しいのは、まず日付だ。
82年の10月15日は、アルバム「BEAT POPS」が発売される直前だ。
RCサクセションが、まさに怖いものなしの状態だった時期である。
そして衣装等も含め、いちばん派手だった頃でもある。

更に注目して欲しいのは「RC&佐野」だ。
この「佐野」というのはおわかりだろう。佐野元春のことである。
要するに、この公開録画はRCサクセションと佐野元春のライヴなのである。
抽選で当たれば、この二組のライヴを観ることができたわけだ。それも82年の。

ちなみに82年の佐野元春は、まだ第一期ハートランドを従えていたはずである。
ギターは伊藤銀次だ。
そして10月はといえば「ROCK&ROLL NIGHT TOUR」の真っ最中だ!

ファイティング80'sは、こんなカップリングの公開録画を当たり前のようにやっていたのである。
もちろんオンエアは別々になるが、今から考えると物凄いものであるなぁ。

「ライブ帝国」だが、この時の模様はRCも佐野元春も、共に発売されていない。
何故か「early 80's」から外されてしまった。
「エリーゼのために」や「トラブル」等を演奏しており、凄くレアなライヴなのだ。
いつか陽の目を見て欲しい。

佐野元春については、おそらく権利関係が厳しいためだろう、
こういった映像はまったく発表されない。
EPICソニーモノだもんなぁ。今後もかなりの確率で無理だろうな…。
同じEPICモノでモッズが出たのは例外中の例外のようだ。
「ファイティング80's」で観られる、ロックン・ロールする初期の佐野元春は最高なんだけどなぁ…。

さて、僕は公開録画の抽選で当ったのか…。

外れました。
あぁ…。

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ラプソディー ネイキッド/RCサクセション -2005- ★個人的一曲解説バトン

UMCK-1197 ユニバーサル シグマ 2005.10.26

1.Opning MC
2.よォーこそ よォーこそ
3.ロックン・ロール・ショー
4.エネルギー Oh エネルギー
5.ラプソディー
6.ボスしけてるぜ
7.まりんブルース
8.たとえばこんなラヴ・ソング
9.いい事ばかりはありゃしない
10.Sweet Soul Music
11.エンジェル
12.お墓
13.ブン・ブン・ブン
14.ステップ!
15.スローバラード
16.雨あがりの夜空に
17.上を向いて歩こう
18.キモちE
19.指輪をはめたい

RCサクセションのファンで、このアルバムを聴いて何も感じなかったという人はいないはずだ。
そんな人のひとりであった恭さんの発案に賛同した人が書いた19曲の記事。
この19曲の記事で「RHAPSODY NAKED」のレヴューとしたい。

どれも「RHAPSODY NAKED」やその収録曲、
そしてRCサクセションをもとにした文章であるが、
それぞれが自分の言葉を持って書かれていると思うし、RCを通して自分を語っている。
ブログ上で流行のバトンという形をとってはいたが、
やはり参加者のひとりのRainbowさんが指摘したように、
途中からプロジェクトになったと言ってもいいだろう。
小さな広がりであったが、そこには何らかの力と、
もちろんRCや音楽に対する愛情が確実に感じられた。
参加した実感だ。

もちろん、もっともっと多くの人達の「RHAPSODY NAKED」があるはずだから、
これはほんの一部。いや、たった一粒、一滴だ。
でも、楽しかった。

僕自身としてはRCサクセションに対し、
とりわけ80年から82年あたりまでは思い入れがあまりにも強すぎる。
自覚している。
だからここでの僕の記事は、まさに思い入れのみ。
読んで「何じゃこれ」と思われても仕方が無い。
ただ、例えばこれを「RHAPSODY NAKED」の本物のライナーで書いてしまったらどうかと思うが、
僕自身の管理するブログ内ということで、ご容赦。
でも、連野氏のライナーも僕に負けず劣らずの思い入れたっぷりだと思うんだけれどね…(笑

あえて記事を書いた人達のHNは載せていません。先入観無しで楽しんでください。

     **********

久保講堂に二階があった事を僕が知ったのは、ずいぶん後になってからだ。
80年4月5日にはまったく気付かなかった。
それほど緊張、興奮でいっぱいだったんだろう。
今回19個の記事を読んで、心の中の隅のどこかにもぐりこんでいた25年前の久保講堂が、
僕の目の前にハッキリと現れた気がする。

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ステップ!/RCサクセション from『RHAPSODY NAKED』 -2005-

清志郎以外はスタジオ・ミュージシャンで録音された事で有名な「ステップ!」であるが、
ライヴでは、おそらくRCの全ナンバーで最もヘヴィな演奏の曲だったと思う。
その要因は、およそRCサクセションらしくないと思われるこの16ビートのリズムであろう。

悪いけれどコーちゃんとリンコのリズム隊では、
どうしたって跳ねるようなビートやグルーヴを出すことは困難。
しかも銀次とチャボのギター・スタイルも、このリズムとは相性が合わないタイプだ。
曲もマイナーだし、メロディーも泣きのフレーズが満載である。
そんな曲をこのメンバーのRCが料理するわけだから、どうしたってヘヴィな演奏になるのだ。
その結果、こうしたRC流16ビートのヘヴィなライヴ・ヴァージョンが出来上がる。

この「RHAPSODY NAKED」で聴くことができる演奏は凄い。素晴らしい。
RCでは無いが、後の「GLAD ALL OVER」のヴァージョンと聴き比べれば、
その違いは明らかだ。
「GLAD ALL OVER」では、特にそのリズム隊はスタジオ・ヴァージョンに近い演奏であった。
ただ、ベースもドラムも派手だけど、軽いのだ。
これはテクニックがあれば演奏が良くなるとは限らないと言う好例である。

更に言えば、「ステップ!」のライヴ・ヴァージョン自体が貴重だ。
79年のスタジオ・ライヴがNHK-FMサウンドストリートで、
そして81年の武道館での演奏がフジテレビでオン・エアされた以外、
RCサクセションとしてのライヴ音源は、公式にはほとんどお目見えしていないはずだから。

曲は、僕が大好きだった清志郎のMCのひとつ、
「去年、ビンビンに売り出した曲で…」で始まる。
ちなみにこのMCの応用編では、
「バリバリに売り出し中のシングルで…」等がある。

さてここで、この久保講堂ライヴの目撃者らしい話をひとつしたい。
当日のライヴも既に後半であった。メンバーのノリも上がっており、
観客も爆発寸前であったはずだ。
ただ、この「ステップ!」が始まる前までは、
まだまだ観客は自分の席で騒いでいたのである。
しかし「ステップ!」が始まると同時に、
一部の客が我慢できずにステージに向かって走り出したのだ。
これが合図となり、一階の観客がステージへ突進したのである。
あの久保講堂の熱狂のきっかけである。

この一部の客というのが、僕らであった。
もしかしたら、この「僕ら」は他にも出てくるかもしれない。
しかし、これだけは絶対に絶対に、絶対に譲れない。
決して記憶違いでも無い。自信を持って「僕らだ」と言うことができる。
久保講堂の熱狂の引き金を引いたのは、僕らである。

「RHAPSODY NAKED」を聴くと、
「ステップ!」の前後で会場のノリがまったく変化しているのがわかるだろう。

この曲での聴きものは、あえて僕は小川銀次によるギターを挙げたい。
梅津和時のサキソフォンがあるため、あまり前面に出ていないが、
曲を通してそのバッキング・プレイからギター・ソロまで銀次のギターをじっくり聴いてみて欲しい。
気が利いた本当にカッコイイギターを弾いている。
そして、間奏のギター・ソロ。スリリングな最初の一小節!
音を外しているのも、
ミスというより興奮し気分が高揚していた故のプレイであると信じているため、
まったく違和感は感じない。

「RHAPSODY NAKED」。
中盤のハイライトである金子マリとのセッションや、
あまりにも感動的なラスト・ナンバー「指輪をはめたい」でのエンディングが素晴らしすぎるが、
ある意味でこのアルバムを代表する曲に「ステップ!」を強く押したい。

最後に「ステップ!」以降に演奏された曲のタイトルを並べてみよう。

 ステップ!
 スローバラード
 雨あがりの夜空に
 上を向いて歩こう
 キモちE
 指輪をはめたい

これがRCサクセションである。
何も言うことは無い。

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ロックを贈る

音楽好きならば、
例えばプレゼントにいろいろな音楽に関するものを贈ったことがある人は多いだろうと思う。
僕にとってのそんなケースは、やはりロックものだ。
そして最初に僕が贈ったロック。それはRCサクセションの「BEAT POPS」のレコードだ。

その昔、僕の高校三年生の一時期を丸々一色に染めた女の子がいた。
特に夏休みは、まさにその子だけのためにあったようなものであった。
まぁ、ここで当時の恋愛話を書こうというわけでは無いから、この話はここまで。
その子は僕と同じくRC、とりわけチャボが大好きであったので、
誕生日だったかなぁ、とにかく何かの記念日。
当時のRCの最新盤だった「BEAT POPS」を、彼女にプレゼントしたのである。

後日、彼女からはお礼の手紙…というか彼女自身の手書きイラスト付のメモをもらった。
そこには「チャボ、カックイイ!」と書かれていた。
これは今でも僕の「BEAT POPS」のLPジャヶットの中に入っているはずだ。

さて、他にもいくつか時代や相手を順不同に思い出してみると…、

●ローリング・ストーンズのTシャツ
 当時付き合っていた女の子。ブライアン・ジョーンズが好きな子だったから、
 「ディッセンバーズ・チルドレン」のジャケ写がプリントされたTシャツをプレゼントした。

●ビートルズの腕時計
 「ウィズ・ザ・ビートルズ」のジャケット・デザインの時計。
 これも当時付き合っていた女の子の誕生日だったかな。

●サイモンとガーファンクル「明日に架ける橋」のCD
 当時のその女の子に対するいろいろな思いにピッタリだったのがこのアルバムだった。

●ビートルズ「1962-1966」(通称赤盤)のギター譜
 エレキ・ギターを買ったばかりの女の子へのクリスマス・プレゼント。
 この時のクリスマスは、忌野清志郎と2・3'sの武道館コンサートだった。この子と一緒に行った。
 席はアリーナのど真ん中でほとんど最前列という最高のシチュエーション。
 ちなみに、そのエレキ・ギターも御茶ノ水へ一緒に買いに行ったなぁ。

●SONIC YOUTHの「Youth Against Fascism」のホワイト・ヴィニール10インチEP
 ソニック・ユースのサーストン・ムーアに、このレコードにサインしてもらった。
 パリの百貨店に就職が決まった女の子に、送別会でプレゼントした。
 ちなみにサーストン・ムーアはサインの横に「KEEP THE FAITH」と書いてくれた。

●「キース・リチャーズ 彼こそローリング・ストーンズ」の本
 これは職場の女の子への誕生日プレゼントだったと思う。


思いだしただけでも、これだけ出てきた。きっと他にもあるはずだ。
プレゼントを考えるだけでも楽しいのに、
それがロックに関するものだったりすると更に楽しさ倍増だ。
さて、次にロックをプレゼントするのは誰で、何を贈ろうかなぁ。

それにしても女の子ばかりだな…。

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酔醒/古井戸 -1975-

SOLL-176 CBSソニー 1975.10
CSCL-1252 CBSソニー 1990.9.15.(CD)

SIDE:A
1.飲んだくれジョニイ 2.おまえと俺 3.ねえ君 4.スーパードライバー5月4日 
5.ステーションホテル 6.遙かなる河

SIDE:B
1.Wisky Romance 2.雨に唄えば 3.私の風来坊 4.黄昏マリー 
5.人生に幸多かれ 6.懐かしくない人

ELECからCBSソニーに移籍後のアルバム。

  古井戸が自らの手で、アレンジ・プロデュースし、
  混沌としたニューミュージック界に波紋を投じた…

レコードの帯にはこう書かれている。

前作『四季の詩』をさらに発展させ、
初期のフォークっぽさは完全に消され、古井戸独自の音になった。
しかし、時代もあったのだろうその洗練されたサウンドは、
ニューミュージックに波紋を投げるどころか、
おそらくニューミュージックとしか聴こえなかったと思う。


古井戸(2006-04-05)
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僕は90年にCD化されて初めて聴いた。狂喜した。
RCサクセションの「Johnny Blue」の元曲である「飲んだくれジョニィ」のあまりにも渋い演奏。
仲井戸麗市2ndアルバム『絵』のTOURで披露されていた、
「スーパードライバー5月4日」のロックなカッコ良さ。
シングルになった「ステーションホテル」のチャボらしいPOP感。
何とチャボの奥様であるおおくぼさんのコーラスが聴ける楽しいナンバー「雨に唄えば」。
全12曲、非常に質の高いナンバーばかりである。

僕は後追いで聴いた訳だからこの音に何の違和感も無かったが、
ELEC期から聴いてきたファンは、やはりその変化に戸惑っただろうなぁ。

また、このアルバムから加奈崎芳太郎と仲井戸麗市の違いが、
ハッキリとしてきたのではないだろうか。
加奈崎作はA-2、6とB-5である。
僕にはチャボの曲とは明らかに違った質感を持つように聴こえる。

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うらみ・ます/中島みゆき from『生きていてもいいですか』 -1980-

いろいろな意味で絶対に忘れられない曲と言うものが誰にもあると思う。
そしてそれはほとんどが良いイメージを持ってのことだとも思う。
要するに聴いたときの印象がカッコ良いとか詞が良いとかね。

でも、僕の場合のそれは違う。
真っ先に思い浮かぶのはビートルズでもストーンズでもドアーズでもスプリングスティーンでも無い。
RCサクセションや清志郎、チャボでも無い。
それは中島みゆきだ。
真っ暗なレコーディング・スタジオで一人泣きながら歌ったという伝説を持つ、この超有名曲である。

中島みゆきが暗いというイメージを決定付けてしまったのもこの曲だろう。
だいたい、収録されているアルバムのタイトル「生きていてもいいですか」からして尋常では無い。
さらにそのジャケットも同じだ。黒いベタにタイトルを縦に配しただけである。
何なんだ、これは。

ちょっと話はそれる。
78年の名盤「愛していると云ってくれ」に収録されている「化粧」にもみられるように、
曲の途中で感極まったように泣き声になるという中島みゆきの十八番のヴォーカル・パターンがある。
「うらみ・ます」の終盤も、これである。
これが何故だか僕は当時から大好きであった。
この点も暗いと言われる要因であったはずだが、
僕はどちらかというと " 暗い " ではなく " 凄い " と感じていた。
更に、男にはなかなかわからないであろうと思われる壮絶な詞の内容も相まって、
それらは曲として迫力がある優れたものとして僕の目の前に現れていたのだ。

暗い、振られ女の歌、泣き声、怨念…といった彼女の当時のイメージ。
「うらみ・ます」がその最高到達点だと思う。

さて、そんなこの曲なのだが、実はアルバムのオープニングを飾っているのだ。
あのジャケットとタイトルのアルバムを買ってきて、
針を落として出てくる最初の音が「うらみ~まぁ~す~」である。
これを聴いた人が受けるインパクトは相当なものだろう。

久しぶりに聴いてみたが、今でも当時の印象とほとんど変わっていない。
名曲である。
後藤次利によるドラマチックな編曲も素晴らしい。

アルバム全体も「うらみ・ます」のトーンで統一されているが、決して息苦しいものでは無い。
しかも、中島みゆきのアルバムの中でも、僕がお薦めできる度はかなり高い作品である。

まだ未聴の人は、是非このアルバムを体験してもらいたい。

ちなみにこの曲は81年のtourで演奏されている。しかも本編のラスト・ナンバーだ。
いったいどんな「うらみ・ます」だったのか…。
タイムマシンがあれば絶対に観て聴いてみたいライヴのひとつである。


中島みゆき(2001-03-28)
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1976年 その個人的追憶

僕が洋楽(主にロック)を意識して聴き始めたのは1975年である。
しかし、自分の意思を明確にして聴き出したのは翌1976年だ。
今年は2006年。何と、洋楽ロック・ファンになって30周年ということになる。
ということで、元々超個人的なブログだし、
勝手に自分で30周年記念として76年をふり返ってみたい。

記事中のアルバムや曲の年代は必ずしも発表された年では無いかもしれないが、
日本で発売された時期やヒットした時期がずれていたのが当時は普通だったのと、
僕の記憶による部分が大なので、例え間違っていたとしてもご容赦頂きたいと思います。

●ベイ・シティ・ローラーズ
1975~1976年と言えばベイ・シティ・ローラーズである。
76年の日本で発売された主なシングルを憶えている限り挙げてみる。
「ロックン・ロール・ラヴレター」「二人だけのデート」「ラヴ・ミー・ライク・アイ・ラヴ・ユー」。
後は「ロックン・ローラー/イエスタデイズ・ヒーロー」の両A面シングル。
もしかしたら「サタデー・ナイト」も…。
しかし怒涛の名曲群だなぁ。

学校に行けば女の子も男の子もローラーズに夢中だった。
誰に何と言われても構わないが、
僕を洋楽の世界に導いてくれたのがBCRなのはまぎれも無い事実である。
ここから始まったと言っても大袈裟ではない。

●キッス
76年のキッスは「DESTROYER(邦題:地獄の軍団)」。
そして「ROCK AND ROLL OVER(邦題:地獄のロック・ファイアー)」を発表した年だ。
それぞれ言わずもがなの70年代の名盤。
僕が始めて買ったキッスのLPは「ROCK AND ROLL OVER」の米盤。
ジャケットと同じデザインのステッカーが付いていて、当時は得した気分になったものだ。
国内盤は見開きジャケット(米盤はシングル・ジャケット)で、
中はメンバーのライヴ写真だったと思う。
これが何ともカッコ良く、当時は国内盤が欲しかった。
でも、2,500円は高かったんだよねぇ。

●クイーン
76年のシングルは「マイ・ベスト・フレンド」と「愛にすべてを」。
僕は翌77年の「手をとりあって」の印象が強い。
アルバムとしても「華麗なるレース」だな。
聴いていたが、まだまだクイーンはのめり込んでいなかった。

●ダニエル・ブーン
76年のBCRも吹き飛んでしまうのが、実はこの人。
曲はもちろん「ビューティフル・サンデー」だ。
ロックとして紹介できるのかがわからないが、
いまだに日本国内の洋楽売上のTOPなのではないか?
当時の朝のワイドショー「おはよう700」で使用され大ヒットした。
僕もすぐにシングルを買った。
典型的な一発屋ヒットだが、僕と同じ年代の人達には強烈な印象を残していると思う。

既にミュージック・ライフ誌を買っていた。
そこで紹介されるレコードや新譜の広告を見るのが大好きだった。
レコードは買えなかったが印象に残っているのは、
まずはピーター・フランプトンの「カムズ・アライヴ」。
このレコードの当時の扱いは凄かったから、欲しくて仕方が無かったものだ。
ボストンの「幻想飛行」やイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」も76年だった気がする。

意思を持って聴きだしたと言っても、
何だかんだで76年はベイ・シティ・ローラーズ一色だったような気がするなぁ。
もっといろいろなバンドやアーティストが思いだせるかと思ったけれど、結局はこんなもんだった。
まだレコードをそんなに買うことができなかったし。

実際は翌77年~79年の三年間で、一気に洋楽ロックにのめり込むわけだ。
この辺りも機会があったら思い出してみたい。

皆さんは76年、どんな曲を聴いていましたか?

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HERO ヒーローになる時、それは今/甲斐バンド from『single』 -1978-

現在では、元旦になる時報と同時にCMが流れることなどは無くなった。何故だろう?
まぁ、お金もかかるだろうしね。
今はTVの番組の途中で年が明けてしまうというのが実状だろう。

さて、今から27年も前の話。
1978年から1979年になった瞬間、TVを観ていた人でこれを憶えているのはどのくらいいるのだろうか。

甲斐バンドの代表曲でもある「HERO」。
当時はSEIKOのCMで使用され、街中の時計店に甲斐バンドのポスターが貼られていた。
これだけなら他にも良くある話で終わるのだが、SEIKOは凄いことをやったのだ。

1979年になったその瞬間、当時のTV(民放)はすべてSEIKOのCMが独占したのである。
今で言うならカウントダウン。その時報と同時に全国のお茶の間に「HERO」が流れたのだ。
1979年は甲斐バンドで始まったと言っても過言では無い。

この企画に甲斐バンド・サイドがどのくらい関わっていたのかはわからないが、
関わっていなかったとしても、実に甲斐よしひろらしいエピソードだと思う。
CM出演云々ではなく、「やるならでかくやろう」のような考えで、甲斐ならやりそうだもん。

結果はご承知の通り。宣伝されていた時計は全く思いだせないが、曲は大ヒットした。
僕も名曲だと思う。

ただ、スタジオ・ヴァージョンはストリングス入りのアレンジになっていて、
これが曲の強さを薄めちゃってると思うんだよね。
ライヴ・アルバム「100万ドル・ナイト」収録のこの曲を聴いて欲しい。まったく印象が変わるはずだ。
僕はこのライヴ・ヴァージョンがいちばん好きである。

甲斐も今、カウント・ダウンでライヴを行い、
年が明けたと同時に「HERO」をぶちかますという演出をしたらオールド・ファンは喜ぶと思うんだけどなぁ。

     **********

あけましておめでとうございます。

今日は元旦らしい記事を書きたかったのです。
これは思い切り古い話ですが好きなネタなのです。
新しい一年のスタートとしても相応しい曲だと思います。

今年もよろしくお願いします。

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Blue

Author:Blue
1980年4月5日からスタートしたGREATな体験。それは見事に現在に至るまで続いています。

" 君の手を握りたいんだ 君の手を握りしめたいんだ 君の手を握りしめていたいんだ そう いつかのメロディーに聞いた "

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