ビートルズ世代のミュージシャン

ティーンエイジャーと呼ばれる時期を、中学1年生から高校3年生までの6年間に限定する。
これに異論を唱える人はいない、または少ないと言う前提で話を進める。

ビートルズが日本でデビューしたのは1964年。そして解散が1970年。
1964年に中学1年生だった人は高校3年生までの6年間が、ビートルズの活動期間に重なるのだ。
これにピッタリと該当するのが1951年生まれの人。
僕が洋楽、ロックを聴き始めたのは小学校5年のときだから、
それに合わせれば1953年生まれの人が小学校5年生でビートルズのデビューに立ち合えたわけだ。
この人達こそが、人生でいちばん多感な頃にビートルズと共に過ごすことができた世代なのだ。
あ~うらやましい。

さて、この年代に当てはまるミュージシャンを独断でちょっと挙げてみよう。

●1951年生まれ
忌野清志郎/近田春夫/近藤房之助/立花ハジメ

●1952年生まれ
坂本龍一/中島みゆき/高橋幸宏/浜田省吾

●1953年生まれ
山下達郎/高中正義/甲斐よしひろ/渡辺香津美/大貫妙子

当時、ビートルズのことが好きだった人はクラスに2、3人だったそうだ。
その2、3人が現在はメジャーなミュージシャンになっているわけだ。
これ、凄くないですか?

もう少し年代を広げてみる。

●1950年生まれ
仲井戸麗市/萩原健一/遠藤ミチロウ

●1954年生まれ
松任谷由実

●1955年生まれ
竹内まりや/矢野顕子/Char

1955年生まれでも、ギリギリ中学生で「WHITE ALBUM」や「ABBEY ROAD」が聴けたわけだな。

それにしても「RUBBER SOUL」や「REVOLVER」、そして「SGT.PEPPER'S」に「WHITE ALBUM」を、
ビートルズの新譜として聴けたというのは、いったいどういうことなのだろうか?
この4枚のA面1曲目を考えてみて欲しい。
だってレコードに針を落として最初に出てくる音が"DRIVE MY CAR"であり"TAXMAN"であり、
"SGT.PEPPER'S"の歓声であり"BACK IN THE U.S.S.R."であるのだ。
あ~うらやましい。
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STRAWBERRY FIELDS FOREVER/BEATLES from『single』 -1967-

知らなければ良かった…というお話。

ビートルズの中期の傑作、
そしてジョン・レノン全作品でも代表曲であるこの曲を初めて聴いたのは、
中学のときにお金を貯めてやっと買ったビートルズのアルバム「1967-1970」。
通称青盤であった。
青盤というのは、タイトル通りビートルズの中~後期の代表曲(初~中期は「1962-1966」の赤盤)を、
LP2枚分、ジョージ・ハリスンが選曲したものだ。赤盤と共にビギナーにはうれしい2セットである。

ちょっと話はそれる。
後年思ったのだが、この企画は3セットでやるべきではなかったか、ということだ。
そのいちばんの理由は、66年発表の「REVOLVER」からは"Yellow Submarine""Eleanor Rigby"、
このたった2曲しか収録されていないからだ。
この2曲であの傑作アルバムを知ることができるはずが無い。
例えば、赤盤「1962-1964」、黄(緑でも可)盤「1965-1967」、青盤「1968-1970」とするのである。
これならば各アルバムとシングルからバランス良く選曲できるし、
シングルB面というマニアックなものも、何曲か収録できるだろう。
だってアップルは「ANTHOLOGY」シリーズを、実際にこの年代で分けて制作したのだ。
これが正しいことの証明である。

どうもビートルズの公式編集盤というのは、
わざとどこか外しているのだろうか、納得できないものがある。
日本でも巨大なセールスを記録したことが記憶に新しい「THE BEATLES 1」。これもそうだ。
英米でチャートの1位になった27曲を収録した編集盤だが、重要な2曲が漏れている。
まず"Please Please Me"。誰がこの曲を外したのか?責任者に聞いてみたいところだ。
そして最大の不思議と疑問が"Strawberry Fields Forever"が収録されていないことだ。
67年に両A面として"Penny Lane"とのカップリングで発表されたこのロック史上最強のシングル盤。
"Penny Lane"はちゃんと収録されているのだ。何だか良くわからない。
それにしてもポールもジョージもリンゴも、そしてヨーコが良くOKを出したものだと思う。

さて、僕がビートルズを改めて深く聴きこむようになったのは20歳を過ぎてからだ。
特に30歳前後は本当にビートルズ1色だった。
曲に関するいろいろなデータやエピソード、レコーディングの背景なんかを本で読むに従って、
どっぷりとディープにマニアックに聴くようになっていく。
英米の各レコードやモノラルとステレオのバージョン違いから始まって、
もちろんブートレグの世界にまで広がっていく。
この時期の僕のお金はほとんどがビートルズの本とレコード、CDであった。

こういう聴き方になって一番驚いたのは、昔は聴こえなかった音が聴こえてきたことである。
普通に考えてみると大したことでは無く、実際には最初から聴こえていた音も多いのだが、
それでも僕には初めて聴こえた音だったのだ。マニアックなものも含め、3つだけ例を挙げてみる。

●Help!
サビ?からAメロへ行く間にジョンがギターのボディを叩いてリズムを取る音が聴き取れるようになった。
正確には"気付かなかった"のだが、僕的には"聴こえるようになった"のだ。

●Paperback Writer
最後のコーラスに行く前のギター・リフのバックで、誰かが"ペーパバック…"と音を確認している。
ヘッドホンをして大音量で聴いていた時に発見した。
この曲の他にも、ビートルズにはこういうものが多い。発見するとかなりおもしろい。

●Lady Madonna
2パターンのドラム・プレイだとは最初はわからなかった。
右がスネアとバスドラ、左がブラシでのプレイだ。
これも気付かなかったのだが、わかったときはうなってしまった。
アレンジが細かい。さすがだ。

こんなことを知っていくのが本当に楽しかった。
どうでもいいことも多いのだが、この辺にはまっていくとビートルズは底なし沼なので要注意。

ここでやっと本題。
"Strawberry Fields Forever"はKeyもテンポも違う2つのバージョンをくっつけて完成した曲である。
要するに、ふたつの"Strawberry Fields Forever"が合わさってひとつの曲になっているのだ。
デジタル・レコーディングが当たり前の現代ならば簡単にできるだろう。しかし66年である。
ジョン・レノンの不可能に近い希望を実現させたジョージ・マーティンは凄すぎると言わざるを得ないが、
その結果がうまくいってしまうというのが何よりも凄いと思う。
ビートルズがやったことは、それがめちゃくちゃなことだとしても、ほとんどがうまくいってしまうのだ。

これはある程度ビートルズに詳しくなれば知ることだし、世界的にも有名な話だ。
でも、最初は当然僕は知らなかったし、知ってからもその繋ぎ目がどこかを見破ることはできなかった。
しかし、ある日何かの本で僕はその位置を知ってしまったのだ。
そして、聴いてしまったのだ、そこを…。

この話を初めて知った人、知っていたけど繋ぎ目がどこかはわからない人。
是非、そのままでいてください。
今では本を入手しなくても、ちょっとネットで調べればそれを知ることができるだろう。
しかし、知らないほうが良いこともあるのだ…と思う。

何故か?

全ミュージシャン、ロック・ファン、ビートルズ・ファン必読の本、
「ビートルズ/レコーディング・セッション」。


マーク ルウィソーン
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これはビートルズのすべてのレコーディングの様子を詳細に日記形式で綴った本だ。
この本の中に、その答えが書かれている。

  正確な位置を知りたいという向きのために書いておくが、継ぎ目は   にある。
  ただし、それを確かめる場合は覚悟しておくように。
  一旦その位置がわかったら、
  この曲は二度と同じようには聴こえなくなるだろう。(※下線は私)

アート・ワーク・オブ・ヒプノシス

自身のキャラクターや、肝心要である歌(詞、メッセージ)と演奏によるサウンド。
これがロック・アーティストの2大要素なのは間違いないが、僕はここにもうひとつ加えたい。
それは作品のビジュアルである。
シングルでもアルバムでもいい。ジャケットその他のデザインも重要な要素だと思うのだ。

ロックを聴き始めた時期はハードな音が中心ではあったが、
あまりジャンル(あくまでもロックの中の)に拘らないでアーティストやバンドを選んできたので、
知識も何も無かったが、所謂プログレッシヴ・ロックのアーティストも良く聴いていた。
その中で大好きだったのがピンク・フロイドである。
当然ピンク・フロイドの出す音が僕を捉えたのだが、彼らのレコードはジャケットが魅力的だった。
特に70年代に発表された作品は、何とも独特で想像力を刺激するものばかりだ。
この、一連のフロイド作品を手がけていた代表的なデザイン・チームがヒプノシスである。

93年に、宝島社から「アート・ワーク・オブ・ヒプノシス」という、
彼ら自身がその作品を解説するという本が出た。
冒頭の挨拶の言葉を引用する。

  この本ではぼくらの仕事をおおまかなテーマで分類し、アルファベット順に並べてある。
  テーマは特定のイメージを指すこともあれば、個々の作品を指すこともある。
  場合によってはぼくらの過去といった、ぐっと普遍的なものだったりもする。
  といっても分類はけっこういい加減で、
  雑多な作品が妙なところでひと括りにされていることも多い…。

という本である。
図版はすべてカラーであり、見ているだけでも本当に楽しい。
そのうえに、ヒプノシス自身による製作過程が語られているのだからたまらない。
全ロック・ファンは必読だ。
しかし、今でも入手できるのかな?

その挙げられているテーマの1部と、そこで取り上げられている主な作品を少々紹介する。

★ANIMALS[動物] ATOM HEART MOTHER/PINK FLOYD
牛が草原に1匹、こちらを振り返っているだけという有名なジャケットである。
これを見て「何だこれ?」と思わない人はいないであろう強烈なインパクトを持つジャケットだと思う。

★BALLS[球体] VENUS AND MARS/WINGS
火星と木星を表したのだろうが、ただ赤と黄の球体がふたつ並んでいるだけである。
しかし、センスの良さが感じられるジャケットで、
実際に英ミュージック・ウィーク誌のアルバム・カヴァー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

★BUILDINGS[建物] GOING FOR THE ONE/YES
イエスのアルバム・ジャケットと言えばロジャー・ディーンによるカヴァーであるが、
そのライバルとも言えるヒプノシスが手がけたジャケットがこれである。
プログレのジャケット・デザイン2大巨頭の作品が楽しめるのはイエスだけかも。

★PORTRAITS[ポートレイト] MADCAP LAUGHS/SYD BARRETT
このジャケットはバレットの自室で撮影しただけとの事。
部屋の床がストライプなのは、彼自身が撮影のために、事前に赤とブルーにペイントしていたそうである。

★STORIES[ストーリー] LAMB LIES DOWN ON BROADWAY/GENESIS
ジェネシスが作ったストーリーからいくつかの場面を選んで写真で再現し、
時系列に沿らず連続マンガのように並べたそうだ。素晴らしいジャケットだと思う。

とまぁ、こんな調子である。そのレコードを聴いたことがなくてものめり込むことは必至だ。
興味深い話が満載なのだが、その中でも印象的なのがこれ。
ローリング・ストーンズの「GOATS HEAD SOUP」のアイディアがキャンセルされたというエピソードだ。
フォト・セッション用に広大なスタジオを予約し、山積みのビールとソフト・ドリンクをバンドのために、
そしてキース用にはジャック・ダニエルズを用意して彼らの到着を待つ。
しかし遅れに遅れ、約束の時間から3時間後にストーンズ到着。
そのうえ、キースが撮影は嫌だとごね、ミックと口論。
撮影自体は何とかこなしたが、言うまでもなくストーンズ側からキャンセルされたという話だ。
実現していれば、いったいどんなデザインになったのか。残念な話である。

テーマ別になってはいるのだが、アルバム単体で解説されているものも何枚かある。
この本の最後を飾っているのもそんな1枚だ。
それはWISH YOU WERE HERE/PINK FLOYDである。
このデザインの魅力を伝えるには、実際にアナログ・レコードを手にとってもらうしか無いのであるが、
作品としてのレコード・ジャケットの究極の形といっていいかもしれない。
ヒプノシスの作品としても、最高傑作といえるものだろう。

さて、この本と似たようなものでは、
ミュージック・マガジン社から「100ベスト・アルバム・カヴァーズ」という研究本が出ている。
こちらはヒプノシスのメンバーが自身だけでなく他の有名なジャケットについて解説しているので必見だ。
例えばアンディ・ウォーホルがストーンズの「STICKY FINGERS」をデザインしたいきさつとは?
ブラインド・フェイス「BLIND FAITH」のモデルがギャラの代わりに欲しかったものは?
というように、誰でも読んでみたいと思うような話がたくさん載っている。

最後に、数あるロックのレコード・ジャケットで1枚だけ僕が選ぶとしたら…で締めてみたい。
好きな、キレイな、豪華な、カッコイイ…等と視点によっても違ってくるが、
あえてそれら全てをおさえてしまうであろう1枚を挙げたいと思う。
これしか、無い。

Unfinished Music No.1 Two Virgins. Yoko Ono/John Lennon -1968-


ジョージ ハーディ,ヒプノシス
JICC出版局
発売日:1993-09

AEROSMITH その個人的追憶

やぁ、元気か?
久しぶりに再会できて嬉しかったよ。
そうそう、あれからお前からのメールを読み返してみた。
俺達は同世代だから、中学あたりまでの話が共通することばかりで楽しかったよ。
興味を持ったバンドは違えど、俺もほとんど同じロック体験だったな。

ところで20日のドーム、AEROSMITHはどうだった?
俺は今回の来日公演は行けないんだ。
そのかわりと言っちゃ何だが、
今日はお前のロック・アイドルでもあるAEROSMITHの話でもしようか。

俺もあの中学生のときに夜中のTVで観たカリフォルニア・ジャム2は衝撃的だったよ。
とりわけジョー・ペリーはカッコよかったよね。
照明のライトがキラキラしてさ。そこでプレイされたDRAW THE LINEに釘付けだった。
後年、そのときのビデオを手に入れて観たけど、当時の感動はもちろん無かった。
あれは、あのときにしか味わえない、何とも言えない体験だったよね。

AEROSMITHのほかにFOREIGNERも良かったと思わないか?
確かCOLD AS ICEの間奏でギタリストのミック・ジョーンズがキーボードも弾いていてさ。
そこからギター・ソロに移るシーンが最高だったな。
ギター・ソロの直前まであのフレーズをキーボードで弾いていてさ。
すぐさまギターを弾くというシーンだ。
覚えているか?
当時はこんなシーンを目の当たりにするだけで感激していたものだ。

俺の中学はさ、洋楽を聴く友達は結構たくさんいたんだよ。
小学校5年のときからかな、本格的に洋楽を聴くようになったのは。
当時のギンザNOWの木曜日、ポップティーン・ポップスや、
FM東京のポップス・ベストテンとか、そういうのから洋楽の情報を得ていたよ。
当時はまだまだFMは貴重で重要な情報源だったよね。

BCRが圧倒的に人気者だったけど、
KISS・QUEEN・AEROSMITHが御三家と呼ばれていたような…。
で、しばらく経つと、それぞれ好きなバンドとか出てくるだろ?
当時、俺はKISSでH君はQUEEN、そしてF君がAEROSMITH好きだった。
F君は渋かったよ。AEROSMITHの他にAC/DCとかさ。
で、レコードをお互いに貸し借りしてた。
ジャケットと歌詞カード、それにミュージック・ライフを食い入るように見ながら聴いたもんだ。

俺はティーンエイジャーらしくハードな音が好きだったけど、メロディ志向でもあったんだ。
だからKISSやQUEENは大好きだったけど、AEROSMITHは苦手だった。
当時はまだああいったロックの良さなんてこれっぽっちも理解できなかった。
ROLLING STONESも、全部同じ曲に聴こえたしね。
AEROSMITHはヘタクソだな~なんて、何も知らないガキの俺は思ってたよ。

そんな俺が初めてのめり込んだアルバムが「DRAW THE LINE」だ。
これは死ぬほど聴いた。
AEROSMITHの歴史から言えば今では賛否あるアルバムだろうけど、
いまだに俺はこれがいちばん好きだ。
名曲揃いだよねぇ。
特にジョーが歌うBRIGHT LIGHT FRIGHTだ。カッコイイよね、これ。
死ぬまでに一度はこのロックン・ロールを歌うジョーをライヴで観たいのだが…無理かな?

そして初めてAEROSMITHを観たのがパーマネント・ヴァケイション・ツアー。
武道館だ。88年かな。
今となっては、武道館でやった最後のツアーだね。

俺は当日の昼間はバイトで、夕方にあがって観に行く予定だった。
でも、その日は風邪をひいて最悪の体調。仕事どころでは無い。バイトなんてどうでもいい。
スティーヴンに、ジョーに会いに行くんだと、早々ととんずらして帰宅。
ちょっとだけ仮眠を取って武道館へ。
東スタンドの席についても、まだふらふらしていた。
こりゃ、最後まで観られるかなって思ってたが…。

そのオープニング、ステージを覆っていた幕がスパッと降り、
例のマイク・スタンドを持ったスティーヴンがステージをかける。
「TOYS IN THE ATTIC」だ…。
あぁ、AEROSMITHだ…と思ったら、風邪も一瞬で吹っ飛んだ。

おぉ!スティーヴンはカッコいいな。動きっぱなしじゃん。
ジョーは客に背を向けてニヒルに弾いてる。でも、いつか観たTVの中の、あのままだ。
ブラッドはどこだ?あぁ、あそこに立っているのがそうか。
トムはベーシストなのに何であんなに目立つんだ?
ステージの前面にあんなに出てくるベーシストはこいつだけだ。
ジョーイのドラムのパワーは凄いな。レコードじゃ全然わかんなかったよ。

中盤に演奏されたANGELのギター・ソロで、ちょっとだけ泣いた。
これが俺のAEROSMITH初体験だよ。
その後も2回、東京ドームで観た。
「JUST PUSH PLAY」のツアーでは、スティーヴンの凄さに圧倒された。
世界一のヴォーカリストだと本気で思ったよ。

今、これは「DRAW THE LINE」を聴きながら書いている。
曲はKINGS AND QUEENSになった。
レコードならB面の1曲目だね。
CDだからBRIGHT LIGHT FRIGHTが終わってすぐにこのイントロが聴こえてくるのは、
いまだに違和感があるな。

さて、こんなことはまだまだ書き続けられるけど、
キリがなくなるので今回はここで終わりにしよう。
昔のロック体験談なんて話し出すといくらでもできそうだよね。
今度は飲みながらでも話そう。

それじゃ、また会える日を楽しみにしてるよ。

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HOLY MOTHER/ERIC CLAPTON from『AUGUST』 -1986-

2003年11月3日、東京はSHIBUYA-AXでの仲井戸麗市のライヴ。
そこで歌われた曲のひとつに、
「I think R・MANUEL(リチャード・マニュエルに捧ぐ)」というのがあった。
リチャード・マニュエルは、
70年代アメリカン・ロックの最高峰であるTHE BANDというグループのメンバー。
チャボはツアー中にTHE BANDを良く聴いていたらしく、
そんなこともあってこのオリジナルを作ったそうだ。

86年、リチャード・マニュエルはフロリダのモーテルで首を吊って亡くなっている。

チャボが歌うその曲は感動的に胸に響き、僕はつい涙してしまった。
ライヴを通しても印象に残る曲だった。
そして、この話はまだ続くのである。

SHIBUYA-AXから1ヶ月後の日本武道館。
エリック・クラプトンの何回目だろうかの来日公演。
THE BANDはボブ・ディランやエリック・クラプトンとも親交があり、共演も多い。
そのためだろう、86年に発表したクラプトンのアルバム「オーガスト」の中に、
リチャード・マニュエルに捧げたバラードが入っている。

「HOLY MOTHER」。
大好きな曲なのだが、なかなかライヴではお目にかかれない。
その時点では、僕は何かのブートレグでライヴ・ヴァージョンを聴いたことがあるだけであった。

しかし、2003年の武道館。
ライヴの中盤だっただろうか、突然この曲が演奏されたのである。
これは心の底から本当にびっくりした。
演奏されたこと自体に驚き感動したのだが、
つい1ヶ月前にチャボが歌って、まさかクラプトンまでが…なんて…。


  聖母よ どこにおられるのですか? 今宵は胸が張り裂けそうです
  空から星が落ちるのを見ました 聖母よ 涙が止まりません
  あなたの助けが要るのです この孤独な夜を乗り切るために
  いったいどうしたら 見失った自分を取り戻せるのでしょう
  もう待ちきれない これ以上は待てません
  もう待ちきれない あなたが待ち遠しいのです
  ついに終わりが来たようです  もはや一歩も走れません
  今宵 私はあなたの腕に抱かれましょう
  もう指が動かない 声も出ない…私は消えてゆくのみ
  聖母よ そして私はあなたのみもとで安らかに眠るのです

まさかリチャード・マニュエルの霊がふたりに歌わせたというわけでは無いだろう。
単なる偶然だったのだ。
しかし、何かの力が働いていたと僕は思うのだ。
それが何なのかはわからないし、そう思いたいだけなのかもしれない。
でも、それで良いと思っている。
音楽、ロックは素敵だなぁと感じた印象的な出来事のひとつだ。


エリック・クラプトン / ワーナーミュージック・ジャパン(2006/08/23)
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宴[うたげ]/麗蘭 -1993-

TOCT-8067 東芝EMI EASTWORLD 1993.7.28

Opening SE:浪路はるかに/BILLY VAUGHN
1.ミッドナイト ブギ 2.ヒッチハイク'93 3.顔 4.蜜の味 5.BIRTHDAY SONG 6.クッキーと紅茶
7.がらがらヘビ 8.ココナッツバター 9.今夜R&Bを… 10.ミュージック

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麗蘭の2ndアルバムとして完全限定盤で発売されたライヴ・アルバム。
93年の春に行われた「その名は麗蘭'93春 全国Tour計画 "宴たけなわでは御座いますが…。" から、
大阪公演を収録したものだ。
ツアーのラストは、新宿日清POWER STATIONの5DAYS。
僕は5日共行くつもりであったのだが、最終日のみチケットが取れなかった。
いや、取らなかったのか…。もう記憶は曖昧だ。

このときの麗蘭は、4人のオリジナル・メンバーにドラムスを加えた5人編成。
ドラムが加わるだけでグルーヴが違う。
良い悪いではなく、僕は個人的にはドラムスが入った麗蘭が好きだ。
ただし条件がある。パーカスは外さないで欲しいということ。
これは蘭丸には是非お願いしたいことだ。
早川氏のベースと鈴木氏のパーカスも更に活きるし、相乗効果も出ていると思う。
そういえば思い出した。いつかの年末に観たツイン・パーカッション編成のライヴも良かった。
こうしてみると、麗蘭はリズムが肝だな。

さて、そのライヴは4日間すし詰め状態のフロアで揺られながら、
2年ぶりの麗蘭を十分に楽しませてもらった。
いつもの曲で登場し、いつもの曲で始まり、新曲を挟み、いつもの曲で終わる。
アルバムをまだ1枚しか出していないわけで、そりゃ仕方が無い。
しかし、ここで演奏された曲達はすべて表情を変えていた。楽器編成の影響もあるだろう。

アルバムは、1曲目の「ミッドナイト ブギ」からして、いきなりカッコイイ。
これはスタジオ・バージョンの打ち込みサウンドでは絶対に出せないノリである。
ライヴの良さだ。
ビデオ「Welcome Home!」にも収録されていた「ヒッチハイク'93」は、まったくの別バージョン。
これは蘭丸のギターが気持ちいい。
KeyがGなので、3弦と4弦の開放弦を使ったエレクトリック12弦ギターでのプレイだ(と思う)。
個人的にはビートルズの 『REVOLVER』 っぽい雰囲気で好きなのだ。
この路線の曲が少ないので、もっとやってほしいものである。
そうそう、ギターだけでなくチャボと蘭丸のハーモニーもいい。

「BIRTHDAY SONG」も蘭丸!という曲。
こういったギターを弾かせたら日本一だし世界レベルだろう。
「がらがらヘビ」はふたりのギター・ソロを堪能できるので、
その違いをハッキリと聴くことができるブルース。
簡単な一言で表すとしたら、チャボのソロのほうが湿っていて、蘭丸は乾いている感じ。

しかし仲井戸麗市というのは不思議なギタリストだ。
蘭丸だって、チャボとはタイプは違うギタリストである。
過去にも泉谷しげる with LOSERというバンドに参加し、
当時ROOSTERZのギタリストであった下山淳と絡んだこともある。
これは蘭丸どころではない。
エリック・クラプトンとトム・ヴァーラインが一緒のバンドにいたようなものである。
これでも違和感無く聴かせてしまうのだ。
うまく絡んでいるとは決して思わないが、それでも不快ではない。
この辺の謎は、いつか解きたいと思っている。

アルバムは麗蘭の代表曲の2曲で締めくくられる。
「今夜R&Bを…」のラストでは、偉大なソウル・ブルース・R&B系のミュージシャンの名前に混ざり、
リンゴ・スターやジャニス・ジョプリンなんかも挙げられるのが印象的だ。
強力なライヴ・バージョンの「ミュージック」は、
テンポもグッとあげられていて感動的なラスト・ナンバーとなっている。

実際のライヴから見ると、ここで聴けるのは1/3以下である。
それでも、聴くとあのPOWER STATIONの雰囲気と興奮が一瞬にしてよみがえる。
録音も素晴らしく、よって音が良い。
日本のロックのライヴ・アルバムとしても優れている1枚だと思う。
そして第1期麗蘭は、これにて " 完結 " となった。

RICK NIELSEN/CHEAP TRICK

チープ・トリックといえば、いつまで経っても若いままのロビンとトム。昔から歳をとっていたバーニー。
そしていつ見ても年齢不詳のリックである。
リック・ニールセンというと、まずあのギョロッとした目。特異なルックスであろう。
帽子も忘れちゃいけないし、いつもバッヂがいくつか付いているカーディガンかセーターだ。
まこと虫のバッヂを付けていたこともあるぞ。そして蝶ネクタイ(Cheap Trickのロゴ入りなんだよねぇ)。

ギター・コレクションの中には、例の5本のネックがついたギターを筆頭に、サキソフォンを模ったもの、
「NEXT POSITION PLEASE」(83)のジャケットにあるリック自身をデザインしたもの等、
見ているだけで楽しいギターばかりだ。しかも、これらを本当にライヴで使うんだから最高である。

さて、70年代後半に登場した彼らだが、その音はずーっと一貫している。
もちろんレコードは時代やプロデューサーによってサウンドの変化はあるが、
ライヴを観ればそれこそ「at Budokan」(78)から何も変わっていない。これは実際に僕が観て感じたことだ。
変わっていないのは音だけでは無い。ステージに朝礼台こそ置かれなくなったが、
リックはライヴ中にギターを弾きながら器用に休まずピックを投げまくるし、
クライマックスである「サレンダー」では、お約束のレコードを客席に投げるし…。
そして、観に来ているファンも変わらないのではないか?
僕が観た武道館でのライヴでは、ファンは「今夜は帰さない」をアタマから終わりまで歌っていた。
おかげでロビンの声がまったく聴こえなかった。
彼らを永遠のデジャヴ・バンドと評したのは渋谷陽一である。

レコードで聴けるリックのギターは、決してハードでヘヴィにならない。
ハード・ロックの影響を受けているのは確実で、音的にはかなり歪んでいるが、ギリギリのところでPOPである。

そしてリックのセンスが最大に発揮されるのがライヴだ。
ロビンもギターを持つが、実際はライヴはリックのギター1本だ。これが、凄い。
あれだけ動き回り、ピックを投げていても、まったく音が薄っぺらくならない。
最近のストーンズなんてロニーなんかほとんどギターを弾いていないので、
ふたりのギタリストがいても曲によっては全然グルーヴも無いし音も薄い。
しかし、リックは確実に音を操り、ギター1本でグイグイと引っ張っていく。
ギタリストが1人のバンドは、そのライヴを観れば実力とセンスがハッキリとわかる。
実はかなり弾きまくっているのに、聴いただけではサラリとしているのもリックのセンスだと思う。
「at Budokan」で聴けるが、ギターのフレーズにさりげなくビートルズの「please please me」を混ぜる。
この辺も実にいい。

ギタリストとしてはあまり名前があがらない人だが、もう少し評価されていい人であろう。

●この1枚 Cheap Trick at Budokan -1978-
本文でもふれたように、全編に渡ってリックのギターが素晴らしい。
スタジオ・バージョンには無いアドリブを混ぜ、単に歌のバッキングにとどまらないそのプレイは、
ボーカルを無視し、ギターだけ聴いていても十分に楽しめると思う。
特に「I WANT YOU TO WANT ME(甘い罠)」のライヴ・バージョンのギターは白眉。
これを聴いた後は、この曲のスタジオ・バージョンが聴けなくなってしまうだろう。



チープ・トリック / Sony Music Direct(2003/07/30)
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MY LOVE/PAUL McCARTNEY and WINGS from『Red Rose Speedway』 -1973-

リンダ・マッカートニー。
この聞きなれた、見慣れた名前を去年のある夏の日の夕刊に見つけた。
モノクロのカクタス・フラワーの写真が隣に載っている。
そう、ポールと結婚する前の彼女はカメラマンとして活動していたのだ。
何でこんな時期に突然…と思ったが、
彼女の写真展がひっそりと日本で開かれていたのである。

その最終日、リンダの写真に会いに赤坂に出かけた。
そこは本当に小さなギャラリーで、行ったときはお客さんは僕ひとりだった。
後から数人の客、中には家族連れも来ていたが、静かに落ちついて見ることができた。

彼女の代表作に、
ロック・ミュージシャンを写した「シックスティーズ」という素晴らしい写真集がある。
しかし、今回の写真は静物・風景のシリーズである「wide open」と、
車の中からシャッターを切った瞬時の出会いを表現したシリーズ「road works」。
このふたつから初公開作品を含めた60点が展示されていた。
特に静物・風景のシリーズ「wide open」は、彼女の遺作であるという。
僕は見たことが無い写真ばかりだった。

「wide open」は、ひとことで言うととても静かな写真達。
花、落ち葉、楽譜、マッシュルーム、霧がかかった農場の風景など、
リンダの視点がどういうものかを知る事が出来て興味深い。

「road works」も良かった。
イギリスはもちろん、ニューヨーク、そして日本のデコトラを撮ったものまである。
60年代のロンドンの街を走るバスや、ヒッチハイクなのだろうか、
「ハングリー」という看板を掲げて道端に座っている人や、
学校に一緒に通学する?親子や…。

ロンドンにある発電所(これはピンク・フロイドのアニマルズのジャケットの発電所?)を、
逆光で捉えた写真が個人的に素晴らしかった。

それにしても、車の中からリンダにカメラを向けられたら、いったいどんな気分なんだろうな。

ビートルズやポール絡みの写真は無い…、いや、1枚だけそれはあった。
車のバックシートからフロント・ガラスに向けてシャッターを切った1枚。
バック・ミラーにはポールの顔が写っている。
タイトルは「MY LOVE」と付けられていた。

「MY LOVE」は、73年に発表された愛妻リンダに捧げられたラヴ・バラードだ。
その曲と同じタイトルをこの写真に付けたリンダの気持ちというのは…。

ジョンとヨーコ、ポールとリンダ。
何かと比べられ、
ほとんどが「ジョンとヨーコに比べてポールは…」と否定的に語られることが多いが、
ポールにとってのリンダは、ジョンにとってのヨーコと同じなのであろう。

ポールは80年の1月に来日した際、
マリファナを所持していたことで逮捕され、数日間身柄を拘束された。
ポールとリンダが一緒に夜を過ごさなかったのは、この数日間以外は1回も無かったそうだ。
ジョンとヨーコのエピソードの陰に隠れてあまり語られないが、僕はこの話が大好きである。

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ジョン・レノン・ミュージアム

ジョン・レノン・ミュージアム訪問記。

念願のこの場所に行けたのは、実に開館から3年経ったある日だった。
ここはジョンの生誕60年にあたる2000年10月9日に、
オノ・ヨーコさんの正式な承諾を得てオープンした世界で初めてのミュージアムとの事。
常時展示品とは別に、時期や季節によって特別展示がある。
例えば「ジョン・レノン最期の遺留品」というものがあった。
これは何かというと、1980年12月8日に射殺された時に見につけていた遺留品の展示だ。
血痕の付いた愛用のメガネと最期の衣服…。
その衣類が詰められた袋はヨーコさんのもとに遺留品として返されたものだ。
返された後、一度も開封されていないらしい。
こういう展示が企画されるミュージアムなのである。

さて、上野から電車で数分。
笑っちゃうほど大袈裟な作りの駅を出て、さいたまスーパーアリーナ方面へ向かう。
最初に目に入ってくるのはミュージアムの外のガラスに浮かぶジョンの顔だ。
そして奥の入口へ。
建物に入ると左側にモノクロのジョンの写真が数十枚、いや百枚以上はあるだろうか、
それをコラージュした巨大なパネルが…。これだけでもう胸がいっぱいになってしまう。
そして正面にはこれまた巨大なタペストリーが下がっている。
シンプルなエントランス部が素敵だ。

エスカレーターを上がり入口へ。
チケットカウンターの横には等身大のジョンとヨーコ。かっこいい。

そしてついに館内へ。
まず、10分弱のジョンの歩みを綴った短い映画が上映される。
見ている間、ちょっときてしまう。
まずい。知っている話ばかりなのに、こんなところで泣いてどうする。
何とかこらえて、係りのお姉さんに案内されて順路へ。

各ゾーンはテーマ別になっている。
まずはゾーン1「少年の記憶」、2「ロックン・ロール」と進む。
ここで凄いのは、ポール・マッカートニーと初めて会ったときに弾いていたギターだ。

そしてゾーン3「ザ・ビートルズ」へ。ここでも目を引いたのはギター。
初期のトレードマークだった黒いリッケンバッカー。
ビートルズのステージで使われていたギターだ。
あぁ、これでジョンはツイスト・アンド・シャウトしていたのか…。
ガラスケースをぶっ壊してリッケンバッカーを抱きしめたいと思ったのは僕だけでは無いだろう。

ゾーン4は「ジョンとヨーコの出会い」。
1966年、ヨーコの個展に出かけたジョンは、「天井の絵」という作品に関心を持つ。
天井に1枚のキャンバスが貼ってあり、横に虫眼鏡がぶら下がっている。
はしごを登り、虫眼鏡でキャンバスを見ると、そこには小さい文字で”YES”と書かれている…。
ジョンとヨーコの出会いのあまりにも有名なエピソード。これが再現されていた。
ただし、はしごだと子供が登ると危険なので、階段が使用されていた。
素敵だった。

もうひとつ良かったのがテレフォン・ピース。白い電話が置かれているだけ。
この電話には、ニューヨークからヨーコさんがたまにかけてくるらしい(本当?)。
運が良くその場にいた人はヨーコさんと会話ができるというアート作品。
今にも電話が鳴りそうだったので、しばらくその前にいた。
ヨーコさんとの会話をそこでイマジンした…。

ゾーン5「ラブ・アンド・ピース」、6「イマジン」、7「ニューヨーク・シティ」、
そして8「失われた週末」と進む。

ゾーン9の「ハウス・ハズバンド」へ。
ここはジョンとヨーコが住んでいたダコタハウスを再現してあるそうだ。
ここでも何故か泣きそうになる。
中央には白いピアノの上には、
ジョンとヨーコの子供時代から最近までの写真が立てかけられている。
もちろんショーンとの写真も。これは実際に置かれている通りに再現してあるらしい。
そして窓から見える青い空には飛行機雲。
それは”HAPPY BIRTHDAY JOHN+SEAN・LOVE YOKO”の文字…。
これは1980年のジョンとショーンの誕生日にヨーコさんが贈ったプレゼント。
ニューヨークの青空にこのメッセージを浮かばせたという素敵な贈り物だ。

そして次がいよいよファイナル・ルーム。
しかし、そこまで行く通路の真っ白で大きな壁。
その中央に「1980.12.8」という日付が書かれている。
しばらくその前で立ち止まる。
ここまで観て来て白い壁に書かれたその日付を目にすると、
なかなか次の部屋に行くことができなかった。

ファイナル・ルームは、白い壁やガラスの壁にジョンのメッセージが書かれていて、
それを透明なイスに座って見るという趣向。開放感が溢れる素敵な空間であった。

観て来た事は全部知っていることばかりなのに、
実物じゃないにしてもどこかで目にしたものばかりだったのに、感動した。
ただ観てまわっているだけなのに3回ほど泣きそうになった。

ジョンのことが好きならば、是非行ってみてください。

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ただの私/オノ・ヨーコ

「ただの私」というオノ・ヨーコの本がある。
自身の半生を綴った文章からウーマン・リブ、
フェミニストとしての面を書いたエッセイやインタビューなど、
70年代の文章を中心にまとめたものだ。
とにかく彼女の生き方、考え方はもちろんだが、その凄まじい人生に感動すると思う。
ただしそれは結果としてそういう生き方や人生になっているだけなのかもしれない。
その結果を見て聞いた僕らが感じた事が、ヨーコのイメージになっている面は多いと思うのだ。
こういう点をヨーコ本人は、あまり気にしていないのだろう…と思うのだが…。

事実、彼女は本のタイトルのように「私はただ私でありたいと思って暮らしてきただけ」と言う。
しかし、やはりあの時代とジョン・レノンを抜きには語れないと思う。
ただ、本を読めばわかるが、不思議なことにジョン・レノンの香りがあまりしないのだ。
もちろんインタビューでも語られているしエッセイにも名前は出てくる。
しかし、それでもジョンの色は薄い。
これはヨーコの本(や、インタビューなども含めて)の特徴だと、常々個人的に強く感じていることだ。

この本はハード・カバーよりも文庫版がお薦めである。
その理由は、文庫化にあたり、ヨーコからの希望でふたつの短い文が追加されているからだ。
ひとつは「空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか」というもの。
これは、もう1冊のヨーコに関する代表的な本である「オノ・ヨーコ 人と作品」という、
彼女の前衛芸術活動について書かれたものがあるが、この本にヨーコが寄せた文章の再録だ。
編者である飯村隆彦さんがあとがきに「大変、力強い文章である」と書いているが、そのとおりだ。
僕は今までロックに関する素晴らしい文章をたくさん読んできたつもりだが、
この文章はおそらくその中でも個人的にいちばんかもしれない。
これが文庫版ではまず巻頭に置かれている。

そしてもうひとつは「明日また行くんだ」という感動的なエッセイである。
これは某百貨店主催のビートルズ展にヨーコから寄せられたエッセイということだ。
ジョンを失った後に訪れた軽井沢での出来事を綴ったもので、読むたびにグッときてしまう。
これが文庫の最後を飾っている。
このふたつは、立ち読みでも良いから読んでみて欲しい。


オノ ヨーコ
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最後に、去年の初夏に東京で開催された「YES オノ・ヨーコ」展について。
過去に日本でも何度か個展は開催されているが、このときが初めて足を運べた個展である。
ヨーコの作品は、我々が参加をして完成するものがほとんどだ。
展示してあるものは、実際に参加できた作品もあったが、できないものもあった。
できないものの前では、いつかのジョンと同じように「想像の中で参加」したつもりだ。
とにかく有名なアート作品を実際に目にする事ができて感激した。

加えて僕が感じたのはヨーコのカッコよさだ。
特に昔の写真を見ると、その目が印象的である。
特に正面を見ている写真の視線の力強さは凄い。
そして、美しいのだ。きれいなのだ。
ヨーコはカッコイイのである。やっているのは音楽では無いが、ロックだと思った。

それにしても、世界一有名な日本人のひとりであるが、
いまだにジョン・レノンの未亡人ということ以外、
日本では彼女のことはほとんど知られていないというのも不思議である。

ハイウェイのお月様/RCサクセション from『BEAT POPS』 -1982-

この連休はちょっとした長距離ドライブ。
残念ながら運転席からお月様を見ることはできなかったが、
ドライブの時、それが夜であれば僕は必ず空に探すようにしている。
そうなったのはこの曲がきっかけだ。

今日はちょっとしたこの曲が絡む個人的エピソードを書いたものを思い出したので、
引っ張り出してみる。
2003年の11月に、忌野清志郎のライヴを観た直後に記したものだ。

     **********

11月の終わりに忌野清志郎のライヴに久しぶりに足を運んだ。
最近の僕の清志郎への接し方は、ここ数年は発売されるCDを買ってはいたが、
以前のようにのめり込むように聴くことがなくなっていた。
RCサクセション無期限活動休止以降、どうしても清志郎よりもチャボにのめり込んでいたので、
僕と清志郎の距離はどんどん離れていくばかりだった。

そんな感じだから、その時もあまり期待していなかった。
大体、チケットも偶然取れたようなものだったし…だったのだが…。

オープニングはいきなり「雨あがりの夜空に」だった。
反則だろうこれは。
そして「ロックン・ロール・ショー」「たとえばこんなラブソング」と、
80年、81年のRCナンバーが立て続けに前半に演奏された。

何なんだこれは。
RCサクセションじゃないか。

コンサートが始まって4曲目。
すでに僕の意識は25年前に吹っ飛んでいた…。

  時は1979年の師走のある夜だ。友人のTが家にやってきた。
  何やらあるバンドのラジオ公開ライヴに行ってきたという。
  Tはもう一人の友人と、いかにそのバンドが格好良かったか、
  凄かったかを一通り話し終えた後、満足して帰っていった。
  その奇妙なバンド名だけが記憶に残った。
  その名はRCサクセション。

  年が明け80年代が始まった。
  中学を卒業していたが高校生してはいなかった4月5日。
  霞ヶ関の久保講堂というホール。RCサクセション・リサイタル。
  友人に誘われ、チケット代が1500円という安さだったという理由だけで僕はそこにいた。
  まさか、後に伝説と言われるコンサートに立ち会うことになるとは夢にも思わず…。

  この日の翌日「雨あがりの夜空に」のシングル盤を買った。
  繰り返し繰り返し、何度も何度も聴いた。
  聴くたびに世界観が変わっていくのがわかった。
  今では、僕の10代はきっとこの時から始まったのだと思っている…。

僕にRCを教えてくれたTも、この日の清志郎のライヴに来ていた。
終了後、軽く食事をした。
僕たちはRCによって何かが決まってしまった人間である。
久しぶりにRCのネタで盛り上がり、短くも楽しい時間を過ごした。

翌日、Tからメールが携帯に入った。

  ハイウェイのお月様へ  
  キヨシよかった。現実社会で溜まった乳酸が抜けた気がする。
  いつもキヨシに教えてもらいっぱなし。
  明日からもがんばって生きていけそーな気がする…

僕もメールを返した。

  ミスター・TVプロデューサーへ
  RCをBGMに今これを書いている。アルバムは「PLEASE」だ。
  曲は「いい事ばかりは ありゃしない」になったぞ。
  このアルバムには、これと一緒に「トランジスタ・ラジオ」も収録されているが、
  この2曲は大人になれない大人、俺達のテーマ・ソングみたいなものだな…

まるで10代の頃のようなやり取りを、当時は無かったメールで僕たちはした。
「ミスター・TVプロデューサー」というのはRCサクセションの曲名だ。
Tの仕事はTV関係なので、それに引っ掛けたのだ。

そして「ハイウェイのお月様」。
82年発表の「BEAT POPS」のB面ラストに収録されている、チャボが歌うブルージーな名曲だ。
きっと今夜もどこかのハイウェイから、きれいなお月様が見えているんだろうなぁ…。

ビートルズ・レポート

66年のビートルズ来日のすべてを記録した名著である。発売は同年7月。
当時は三島由紀夫も絶賛したらしい。
執筆者は竹中労をキャップにした7人のジャーナリスト。しかし名前は明かされていない。
その理由は「多くの真実を遠慮なく、しかも怒りをこめて書いたからだ」という。

発売当時はまったく売れず、返品の山が築かれたそうだ。
おかげで後に幻の名著などという、あまりありがたくない呼ばれ方をしていたようだが、
96年にWAVE出版から来日公演30周年記念として突然復刻された。
もちろん僕もこのときに手に入れた。

とにかくこれは読んでもらうしかない。
ビートルズ来日のどす黒い裏側も、正確に克明にすべて書かれている。
復刻版が今も簡単に入手できるのかはわからないが、
ビートルズに少しでも興味があるのなら絶対に読んで欲しい。いや読むべき本だと思う。

竹中労が巻頭に書いている感動的な文章の1部を引用し紹介したい。

  できるだけ多くの人々に、
  とりわけビートルズ・ファンである少年少女諸君に、この本を読んでもらいたい。
  むずかしい言い回しや表現があって、読みづらいかもしれない。
  だが、忍耐して読んで欲しい。
  そうすれば、日本のおとなと子供の間には、どんなに遠い距離があるかということがわかる。
  そして、正しいのはあなたがたであり、
  それを理解しているおとなも少しはいるのだということがわかる。
  あなたがたに読んでもらわなければ、
  私たちがこのレポートを書いた意義は失われるのである。



「ビートルズ・レポート」復刻委員会 / WAVE出版(1995/12)
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ロックな体験/ROLLING STONES 2003.3.10

何を持ってロックとするか。
その定義は人によりけりだが、
それでもそう呼べる体験をロック・ファンならば必ずひとつは持っているはずだ。
例えば、ある1枚のレコードや1曲を聴いての衝撃もあっただろう。
そして、ミュージシャン自身に会っての驚きや感激によるものもあったかもしれない。
しかし、やはり一番多いのは、実際にライヴを観て聴いての体験だと思うのだ。

ロックを聴き始めて30年程経つが、
僕が今まで「これがロックだ」と感じたライヴ体験は3回ある。
今回はその3回についての個人的想いを。

最初は1981年12月24日、日本武道館。
記念すべきRCサクセション初の武道館コンサートだ。
中盤に仲井戸麗市がヴォーカルをとる「チャンスは今夜」が演奏されたのだが、
これがその時点で僕が観た中での、最強のロックン・ロールであった。
この模様はビデオにもなって発売されたので、今でもこの「チャンスは今夜」を観る事ができる。
しかし、あの場で実際に観るのとでは、当たり前であるがまったくその印象は違う。
ギターをほとんど弾かず、スタンド・マイクを引きずり回してシャウトしロックするチャボは美しい。
ビートルズのライヴで、
ラスト・ナンバーとしてポールによって歌われた「I'M DOWN」を僕は思い出してしまった。

2番目は1985年4月10日、代々木のオリンピック・プール。
ブルース・スプリングスティーンの初来日公演だ。
「BORN IN THE U.S.A.」発売後のワールド・ツアーの一環としての来日であった。
盛り上がり方は尋常ではなく、
1曲目からメーターがレッド・ゾーンへ振り切れ、それがラストまで続く。
ライヴは日本版のコンパクトなサイズだったと思うが、
それでも2部構成だったし、噂どおりのステージで圧倒された。
特にアンコールのロックン・ロール・メドレーは圧巻。
会場の客電がすべて点き、
昼間のような明るさの中で演奏された「TWIST AND SHOUT」は忘れられない。
スプリングスティーンを、
ロックン・ロールの未来と言ったジョン・ランドーはノストラダムスよりも偉大である。
僕はそのロックン・ロールの未来に実際に立ち会って目撃したのだから…。

このときのスプリングスティーン以上の体験はこの先は無いだろうな…と思っていたし、
実際にずーっと無かった。
あの日が来るまでは。

3回目の体験。
2003年3月10日。スプリングスティーンの代々木から18年後である。
場所は日本武道館。
まさか20年近く経って、
あれを超えるロック・バンドのライヴを体験できるとは思ってもいなかった。

ローリング・ストーンズ。
ストーンズは初来日からすべて観ているが、
来日も4回目ともなればさすがにこちらも慣れてくるので、心がときめくということも特に無い。
普通に期待して、それに応えてくれれば満足する…という感じであった。
しかし、この時のツアーは今までとは少し趣向が違っていた。
ライヴのメニューをスタジアム、アリーナ、シアターと3つに分け、
実際に会場もそれにあわせて選ばれる。
要するに、シアターのメニューであれば、小さな会場でストーンズを観られるのだ。
まさか渋谷公会堂クラスはあり得ないだろうから、もし実現するならば武道館しかない。
そしてそれはその通りに発表されたのだ。

武道館でストーンズ! 
幻の初来日か、はては映画「太陽を盗んだ男」か…。
とにかく武道館でストーンズが観られるのだ。

ストーンズともなれば、来日が決まると、
それこそツアーの模様やセット・リストなんかの情報が事前に溢れ、
まだ観てもいないのに観たような気になってしまうという状態をこれまでも経験してきたので、
この時は自分から予め情報をシャットアウトし、なるべく最低限の情報のみで臨むようにしていた。
そして、それは僕にとっては大正解だったのである。

この武道館のチケット自体、運が良く偶然入手できたようなものだったから、席は関係なかった。
とにかく武道館でストーンズが観られるという事だけで良かったのだ。
会場に入ってステージ真横のスタンド席に座っただけで満足感が生まれてしまった。

案の定開演時間は押していく。
ただでさえ観客の期待でパンパンに張った空気で満たされた武道館は、
更に興奮と熱狂とに包まれていく。
武道館が風船になって破裂しそうだ。もうわけがわからない。
あのステージには、何かとんでもないものが出てくるような気がしてくる。
出てくるのはストーンズなのに。

開演予定時間を何分過ぎただろうか。ついに客電が落ちた!
会場の盛り上がりは既に最高潮である。
1曲目はいったい何だ?
ツアーのセット・リスト情報を得ていなかった僕の頭の中に、
様々なスト-ンズ・ナンバーが駆け巡る。
そのとき突然キースがステージに飛び出し、あのイントロをテレキャスターでぶちかました。
そしてミックが「俺は嵐の中で生まれた…」と歌いだす。

あなたにとってロックな1曲を選べと言われたとする。
僕は間違いなくローリング・ストーンズの「JUMPIN'JACK FLASH」を選ぶ。

武道館のオープニングを飾ったのは、
68年に発表されたスト-ンズ最強のロック・ナンバーであった。
この1曲で僕のアタマはショートしてしまい、その後のライヴはほとんど覚えていない。
だって密かに僕は、
「1曲目がジャンピン・ジャック・フラッシュだったら死んでもいいなぁ」と思っていたのだから。

後からこのツアーのいろいろな記事を読んだのだが、
シアター・メニューの1曲目はだいたいこの曲であった。
このことを知らないで本当に良かったと思っている。

今、思い出してもくらくらする。
このときの「JUMPIN'JACK FLASH」 以上の体験は、間違いなくこの先は無いだろう。

あなたにとってのロックな体験は何ですか?

ギタリストでは無いギタリスト

一般的にギタリストとして認識されていない人の中でも素晴らしいギターを弾くミュージシャンがいる。
僕もギターをいじるので、当然どこから見てもギター!といったジミヘンやベックのようなタイプも大好きだが、
本業がギタリストでは無い人や、ヴォーカリストも兼ねている人の弾くギターにも好きなものが数多くある。
ここではそんな何人かのことを書いてみます。

●ポール・マッカートニー
何はともあれ、まずはこの人である。
ベース・プレイヤーとしての才能もとんでもないが、ギターを弾く時のそれも、やはりとんでもない。
エレキはもちろんアコギも凄い。特にビートルズ時代はすばらしいプレイをたくさん残している。
エレキでは「Another Girl」や「Ticket To Ride」のヘタウマなプレイも味があって良いが、
何と言っても「Taxman」や「Good Morning Good Morning」「Hey Bulldog」での鋭いリード・プレイだ。
「Back In The U.S.S.R.」での、まるでジェット機のようなトレモロ・ピッキングもカッコよすぎる。
そしてアコギでは「Blackbird」につきるだろう。

それにしても、ジョン・レノンが弾く「You Can't Do That」のギター・ソロもそうだが、
ビートルズでのジョージ以外のメンバーのギター・ソロは、激しく過激なものが多いのが特徴だ。

この1枚 THE BEATLES(WHITE ALBUM)/BEATLES -1968-
ホワイト・アルバムは、ギタリストだけでなくマルチ・プレイヤーとしてのポールを堪能できる。


ザ・ビートルズ / 東芝EMI(1998/03/11)
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●ブルース・スプリングスティーン
意外だと思う人が多いのではないだろうか?実は僕もそう思っていた1人である。
だってE・ストリート・バンドにはスティーヴ・ヴァン・ザントという優れたギタリストがいたし、
彼が脱退した後もニルス・ロフグレンというこれまた素晴らしいギタリストが加入した。
当然のように彼らが主なギター・ソロをプレイしていると思っていたのは僕だけでは無いだろう。
しかし85年の初来日公演。
そこで観たのは、ニルス・ロフグレンにお構いなしにギターを弾きまくるスプリングスティーンである。
曲のイントロはもちろんギター・ソロまで、ほとんどがスプリングスティーンによるプレイであった。
彼が持つテレキャスターは決して飾りでは無かったのだ。
78年の名曲「Prove It All Night」でのギター・ソロが震えるほどに大好きだ。

この1枚 LIVE 1975-85/BRUCE SPRINGSTEEN&THE E STREET BAND -1986-
10年間に渡るライヴの集大成。
全編で鳴るエレクトリック・ギターすべてがロックしているが、中でも78年のライヴが素晴らしい。


ブルース・スプリングスティーン / Sony Music Direct(2005/07/20)
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●ニール・ヤング
この人をギタリストでは無いというのも本来はおかしいのだが、彼はギタリストとしてよりも、
そのミュージシャンとしての強烈なパーソナリティ全体で語られることが多いと思うので取り上げさせてもらう。
テクニックもへったくれも無い、とにかく本能のままに暴走ギターを弾く。
というよりもまさにかき鳴らすという表現がこれほど当てはまる人もいないのではないか。

そういった人だから、スタジオ録音作ではそのギターを100%堪能できることができない。やはりライヴだ。
幸いなことに、彼には多くのライヴ盤がある。どれを選んでも凄いギターが聴けるが、やはりこれだ。

この1枚 LIVE RUST/NEIL YOUNG&CRAZY HORSE -1979-
前半はアコギの弾き語りだが、中盤からのエレクトリック・セットが凄い。
ニール・ヤングのディストーション・ギターは、本当にズシンと重く響く音である。
レコードでこれだけの音だ。実際に生ではどんな音がしていたのだろう?
レコードで言う4面。
「Cinnamon Girl」「Like A Hurricane」「Hey Hey,My My(Into The Black)」「Tonight The Night」。
後半のこの4曲だけでいいから聴いてみて欲しい。


ニール・ヤング / ワーナーミュージック・ジャパン(2005/09/21)
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●浅井健一
ブランキー・ジェット・シティはピンク・クラウドと並ぶ日本を代表する3ピース・バンドだったと思う。
とにかくその演奏力は凄まじかった。何度かライヴを観たが、本当のホンモノだった。
ブランキーが素晴らしいのはスタジオ作からもバンドの凄さが伝わってくるところだ。
今までいろいろなバンドを観て聴いてきたが、スタジオ録音とライヴが近いアーティストはそうそういない。
しかし彼らは間違いなくそういうバンドだった。
これは初期のプロデューサーである土屋昌巳によるところも大きいのだろう。
しかし、やはりそれを具現化できるバンドが凄いのだ。
そして浅井健一のギターも間違いなく日本のトップ・クラスである。
バンドの活動中もあまりギタリストとして語られなかったのは残念。
ワイルドでハードだが繊細さと器用さもあわせ持ち、センスも良くテクニックも完璧である。
それに、何しろギターを持って立つ姿がロックしていた。
実際のレコーディングはわからないが、グレッチでライヴであれだけの音を出していたのは凄い。
決して弾きやすいギターではないし、ブランキーの曲から言えば他に合うタイプもあっただろう。
曲によってはライヴでストラトを使用していたが、やはり彼にはグレッチが似合う。

この1枚 BANG!/BLANKEY JET CITY -1992-
何の先入観も無しにこの2ndを聴いてぶっ飛んだのを今でも思い出す。
曲も歌詞も演奏もすべてが最高。全曲必聴。
このアルバムはギターもかなり重ねられていて丁寧な作りがされているので、
例えばギターが2人いるバンドで収録曲をコピーしてみるのも良いと思う。


BLANKEY JET CITY, 浅井健一, 土屋昌巳 / 東芝EMI(1992/01/22)
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BEATLES その個人的追憶

忘れもしない小学校3年生のときだ。
音楽の授業。
いつもはクラシックのレコードを聴くだけの退屈な時間だったが、
皆である曲を演奏しようということになった。
あまり興味が無かったけれど、
まぁ、いつもよりは面白そうだなという程度で、僕は先生の話を聞いていた。
今ではどういう経緯で曲が決まったのかの記憶はまったく無い。
後日、クラスの女の子が演奏する曲のシングル盤を授業に持ってきた。
それが「Yesterday/THE BEATLES」だった。
確か僕はオルガンを弾いたと思う。
授業の内容や練習の事はまったく思い出す事ができないが、
最終的な演奏をクラス全員でしている風景は、今でも生々しく覚えている。

当時、僕のクラスにはイギリス帰りの転校生がいた。
そいつは席が僕の隣だった。
僕も転校生だったので、すぐに仲良くなった。
日本名があるくせに向こうではテディという名で呼ばれていてサッカーが得意。
もちろん英語もそれなりにできるという、
当時の僕からすれば「すげぇなぁ」という存在だった。

何故、こんな話をするかというと、
めちゃくちゃな楽器編成で演奏した「Yesterday」は、
何とヴォーカル入りだったのだ。そう、歌ったのはテディである。
これが僕とビートルズの、初めての出会いである。

忘れもしない中学校2年生の時だ。
僕は始めて友達とバンドを組む。
今ではどういう経緯でそうなったのかの記憶はまったく無い。
ビートルズをやろうという事になったのだ。
初めて組んだバンドは、ビートルズのコピー・バンドだったのだ。

僕はジョン・レノンのパートを担当し、もちろんヴォーカルもとった。
「Ticket To Ride」「She Loves You」等、初期の曲をいくつかコピーした。
ジョンとポールをきどって、1本のマイクでハモったりしたものだ。
しばらくして「Let It Be」という曲をレパートリーに入れようという事になったのだが、
これには問題があった。この曲はピアノが必要なのである。
バンドには弾けるヤツはいない。さあ困った。
でも、僕は目をつけているヤツがいた。

それは当時好きだった女の子…。Mさんだ。
ピアノが弾けるという情報を手に入れていた僕は、
「とにかくこの曲だけ弾いてくれないか」と頼み込み、何とか了解を取ったのだ。
素晴らしい。この時の僕はバンドも「Let It Be」もどうでも良かった。
そいつと一緒にいたかっただけである。何て素晴らしい考えなんだろう。
ロックは「Sex&Drugs&Rock'n'Roll」なのである。不純な動機でいいのだ。
しかし神様はそんな僕をしっかりと見ていたらしい。
一緒に演奏する機会は、何故か遂に一度も訪れなかった。
うーん、素晴らしい…。

忘れもしない、やはり中学2年生の時だ。
今ではどういう経緯でそれを観たのかの記憶はまったく無い。
きっとたまたまだったのだろう。
当時のTVドラマに「七人の刑事」というのがあり、
ある回にジュリーこと沢田研二が出演していた。
ジュリーがそこで演じていたのは孤独なタクシー・ドライバー。
彼は街を流しながら聴く深夜放送の女性DJのファンだった。
その番組のテーマ・ソングはビートルズの「Let It Be」。
しかしその女性DJはある日自殺してしまう。
そんなある日、タクシーに乗ってきた客達の会話を聞いて彼は愕然とする。
その客達は、ある女性を暴行したことを自慢げに話していた。
そう、その暴行された相手が自殺した彼女だったことを知るのである。
彼女が自殺した原因を知った彼は復讐することを決意し、実行する。
そして、それがすべて終わったとき、
「これで彼女のところへ行ける…」と呟いてビルの屋上から飛び降りるのだ。
そして、そのシーンで流れるのが「Let It Be」だった。
影がある孤独な青年を演じるジュリーが素晴らしく、
最後のシーンは本当にきれいだった。

忘れもしない中学1年生の時だ。
今ではどういう経緯でその仕事についたのかの記憶はまったく無い。
僕は広報委員会という仕事をしていた。
登下校の校内放送やお昼の校内放送、
学校からのお知らせや連絡事項を放送する仕事だった。
委員長は2年生でSさんという女性。この先輩が格好よかった。
ひとつしか年齢が違わないのに、ずいぶん大人びて見えた。
Sさんは綺麗だったし可愛かったのだ。
当然のように、いつしか僕はSさんに対して憧れから恋心を抱くようになってしまっていた。

この委員会はお昼の時間が素晴らしい。
Sさんと2人で校内放送の当番を良くやったのだ。
完璧な防音設備が整った放送室である。そんなに広くは無いし、密室である。
そこにSさんと給食を持ち込み、一緒に校内放送をするのである。
校内放送といっても、
時間中適当なクラシックやイージー・リスニングのレコードを流しているだけで、
あとは2人きりで楽しく話しながら昼食だ。いつもドキドキしていた。
絶対に僕達は恋に落ちると思っていた。シチュエーションは完璧であった。
先輩との恋である。素晴らしい中学時代が過ごせると思っていた。
しかし、そんな事は夢だとわかるのも早かった…。

お昼休みの放送室には、いつも音楽好きなSさんの同級生が何人か遊びに来ていた。
家から皆それぞれレコードを持ってきて、それをかけていたのだ。
そんな中のひとりが良く持ってきたのがビートルズの「Let It Be」のLPレコードであった。
それもイギリス盤。そのきれいなジャケットは今でも鮮明に覚えている。
そのうち僕とSさんは、お昼の校内放送でも「Let It Be」をたまにかけるようになった。

忘れもしない中学…えーと、忘れているが、確かに中学生の時だ。
TBSかフジテレビだったと思うが、
夜中に映画をCM無しのノーカットで流すという番組があった。
そこでビートルズの映画も放送されることになったのである。それは「Let It Be」。
ビートルズの映画は他にもあるのだが、とにかく「Let It Be」が放送されることになったのだ。
今となっては、グループ内が最悪の状態だった時期を映し出したドキュメンタリーだと知っているが、
当時の僕はそんな知識も無かったから、単純に楽しんで観た記憶がある。
でも、全体的にダークな雰囲気なのはそんな僕にもわかった。
特にポール・マッカートニーが切々と歌う「Let It Be」のシーンが特に印象的だった。
この番組を録画したビデオ・テープがあったのだが、今ではどこかに行ってしまった。
それがどこかはわからない。

初めて知ったビートルズの曲は「Yesterday」だった。
初めて買ったビートルズのレコードは「All My Loving」のシングル盤だった。
初めて買ったLPは「Help!」だった。
初めて動くビートルズを観たのは、当時「20世紀最後の再放送」として放送された来日公演。
初めて組んだバンドはビートルズのコピー・バンドで、初めて演奏した曲は「Ticket To Ride」。
初めて…。

あれからかなり遠くまで来てしまった気がしていた2002年の秋の東京ドーム。
僕の目の前でポール・マッカートニーがバイオリン・ベースを手にして「All My Loving」を歌った。
いつもは突然歌い出す「Let It Be」を、ちゃんとピアノのイントロつきで歌ってくれた。

音楽にはマジックが絶対にあると僕は思っている。
そして、僕はこのときの東京ドームで初めてそれを体験した気がする。
既にジョン・レノンとジョージ・ハリスンはもうこの世にはいない。
しかし、ジョンとジョージのギターが確かに聴こえた…と思う。
東京ドームに彼らの声も確かに聴こえたのだ…。

僕には、今まで生きてきたその時代や時期に対してのサウンド・トラック盤が決まっている。
幼稚園から小学校低学年時代はドリフターズ。小学校時代後半はベイ・シティ・ローラーズ。
中学時代はビートルズ。高校時代はRCサクセション。
大学時代はブルース・スプリングスティーンといった具合だ。
それぞれのメイン・テーマ曲も決定されているのだが、中学時代のそれはもうおわかりだろう。
「Let It Be」ということになる。

ビートルズがすべてではないが、ジョン・レノンやポール・マッカートニーに出会っていなければ、
僕はもう少し違う人生を歩んでいたかもしれない。
100万人のビートルズ・ファンがいたとしたら、
それぞれにビートルズを通して自分を語らせてしまう存在。
個人的なベスト・アルバムを100万通り作らせてしまう存在。それがビートルズだ。

例えばモーツァルトと同時代を生きられた人達が幸せだったかどうかはわからない。
しかし、ジョンとポールと同時代を生きられた人達、僕達は絶対に幸せだと思う。
これは間違いないだろう。

In My Life/BEATLES from『RUBBER SOUL』 -1965-

飛び散る花粉の量はともかく、今日は久々に春が近いなぁと思えるような日だった。
新しいオフィスの周りにも慣れてきて、
お昼休みに落ち着ける場所もいくつか見つける事ができた。
今日もそんなお店のひとつでコーヒーを飲みながらビートルズの本を読んでいた。
店内のB.G.M.は有線放送であろうか。
知らない曲ばかりだが、
本を読むのに邪魔にならない適度のボリュームで流れているので気持ちがいい。

特に意識もせずにいたのだが、そこに突然聴きなれたメロディが流れた。

「In My Life」。

ビートルズでは無く、ジュディ・コリンズのカヴァーしたヴァージョンだった。

久しぶりの青空とコーヒー。
僕の他には3人程しかお客さんがいない店内。
ぽかぽかとした陽気。
そんなシチュエーションに流れた彼女の「In My Life」はあまりにも素敵で、
曲がかかっている間、「あぁ、いい曲だなぁ…」って、お昼休みと言うことを忘れ意識が飛んだ。

65年発表の「ラバー・ソウル」に収録されたこの名曲を描いた当時のジョン・レノンは25歳。
例えば、40歳にもなればここで歌われる内容にも自然にグッとくるものだが、
20代半ばでこのようなことを歌うジョンというのは普通ではない。褒め言葉だ。

  人生の中で覚えている場所のいくつかは変わってしまったが、
  素晴らしいときがどの場所にもあった。
  友達や恋人とそこで過ごした。
  もう亡くなった人やまだ元気でいる人。僕はみんなを愛した。

ジョンの伝記映画である「イマジン」のエンド・クレジットはこの曲であり、
ビートルズのドキュメンタリー「アンソロジー」のオープニングはこの曲が選ばれている。
つまり、そういうことなのだろう。

家に帰ってからCDを引っ張り出してジュディ・コリンズとビートルズの「In My Life」を聴いた。
そしてこの曲にはもうひとつ涙を誘われずにはいられない素晴らしいカヴァーがある。
フーのキース・ムーン最初で最後のソロ・アルバム「TWO SIDES OF THE MOON」(75)。
今となってはジョンもキースもいないのだ。聴いて泣くなと言うほうが無理だろう。

僕らの音楽 2005.3.5

忌野清志郎と仲井戸麗市の5年ぶりの共演であった。しかもテレビだ。
演奏したのは「アイ・シャル・ビー・リリースト」。この曲はどんな理由で選んだのかな?

番組は清志郎の35周年の企画だから、チャボはゲスト扱いである。
さて、どういった形でコラボレートするのか?
清志郎のバンドにギタリストとして参加をするのか、それとも2人きりで演るのか?
始まる前は、僕は漠然と前者を想像していた。

曲は清志郎のアコギで始まった。
しかし、まだチャボは映らない。
ただし、あの独特のフレーズが聴こえてくる。
テレビを見つめる顔がにやけてくる。
すぐに「これは2人だけで演奏するんだな」とわかったが、画面に2人が映し出された瞬間…。

「やられた!」、と思った。

これは誰が考えついたのだろうか?
清志郎とチャボは、向かい合って歌い、ギターを弾いていたのである。

  ストーンズのメンバーがうろうろしているところを映すだけで彼らは何かを語ってしまう。
  だから、彼らの映画には台本が無くても良いのだ

渋谷陽一がこんなような事を何かに書いていたのを読んだ記憶がある。
清志郎とチャボが立っている姿に、
見つめあう笑顔に演奏以外の何かを見たのは僕だけじゃないだろう。
それはファンだけが想像できる想いなのかもしれないが、
2人にある何かがそうさせるのだと思う。
台本は必要ないのだ。ギターがあればいいのだ。
2人でいるだけでいいのだ。

チャボ、今度はチャボの番組に清志郎を呼んでくれ。

ミュージック/麗蘭 from『麗蘭』 -1991-

ブログを通して知り合った人達の影響で、
最近はロックを聴き始めた頃のを良く思い出すようになった。

音楽は素晴らしいもので、昔聴いていた曲を今の時代に聴くとする。
いつだってその時のシチュエーションをハッキリと思い出すだけでなく、
聴いていた時の季節や空気や温度までも一瞬にして連れてきてくれるのである。
例えばイーグルスのホテル・カリフォルニア。76年のアメリカン・ロックを代表する1曲だ。
この曲を聴くと「小学生の自分がベッドに寝転がってラジオから流れるイーグルスを聴いている」
というシーンが鮮明に思い出せる。そしてそれは日曜日なのである。

とにかく今と違って当時は聴く曲すべてが新鮮であり、驚きであり、感動であった。
だって過去のレコードもその時の自分にとってはすべて新譜だったのだから。

ミュージック・ライフを買い、グラビアに見とれ、
シングルやアルバムのレビューをくまなく読み、
ビルボードのチャートに好きなバンドやアーティストの名前を見つけては嬉々としていた。
FM雑誌を買い、エア・チェックしたい番組に印をつけた。
1週間連続でクイーンのオリジナル・アルバムをすべて流すという番組があった。
これをすべて録音すればレコードを買わずに済むわけだ。
さて、何のカセット・テープにしようか? SONYかマクセルかTDKか…。
こんなことが本当に楽しかったしわくわくしていた。

そして何と言っても、
お金を貯めてお目当てのLPをレコード屋さんに買いに行くときは最高の気分だった。
クリスマスにキッスの「地獄の軍団」とクイーンの「華麗なるレース」の2枚を同時に買った。
いまだに僕の中ではこの2枚は1セットという意識がある。
要するに2枚組のアルバムということだ。

セックス・ピストルズの1stを新宿の輸入レコード店に買いに行った。
この時は、何か物凄いものを手に入れたような気になったのを覚えている。

フォリナーの1stを買ったとき、
レジにレコードを持っていったら大学生くらいのお姉さんが二人いた。
そのお姉さん達は僕が店員に差し出したレコードを見ると、突然話しかけてきた。

「君、フォリナー好きなの?」
 「はい…」
 「カッコイイよね~」
 「はい!最高ですよね」

あのお姉さんは今でもフォリナーを聴いているのだろうか?

もう30年近くもロックを聴き続けているが、
今でも部屋に流れる曲は、新しいアーティストよりも昔のものが多い。
何しろ最近手に入れたCDからしてロゼッタ・ストーンである。
ベイ・シティ・ローラーズのメンバーだったイアン・ミッチェル率いるバンドだ。
「二人のパラダイス」という曲が大好きだった。このCD化は本当に嬉しかった。

さて麗蘭の、いや、もはや仲井戸麗市の代表曲である「ミュージック」。
森田恭子さんというライターがこの曲のすべてを表した文章を書いている。

  ミュージックは、音楽は素晴らしいということを、音楽の中で歌っている歌である

音楽は素晴らしい。
その理由は人それぞれであるが、素晴らしいということだけは絶対に共通である。
それが、かすかな呟きだとしても。

Born in 新宿/CHABO BAND from『works』 -2000-

ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのカヴァーで、原曲は「Born in Chicago」。
初めてこの曲を聴いたのは98年の新宿パワーステーションでのシリーズ・ライヴ。
その名も「SWEET HOME SHINJUKU」、CHABO BAND NIGHTのオープニング・ナンバーであった。

カッコよかった。
バンドを組んだことがある人はこの曲を聴いた時の快感をわかってくれるだろうと思う。

チャボがカヴァーをやるときは、そのほとんどが日本語の詞で歌われる。
たとえストーンズやキンクスのメジャーな曲でも、
チャボがつけるその独特な日本語詞によって、まったく新しい曲に生まれ変わる。
ライヴだけの演奏が多いのでなかなかお目にかかることができないが、
すべてが聴きものと言えるだろう。

そんな中でも僕が好きなカヴァーは、まずストーンズの「ラスト・タイム」。
そしてビートルズの「バッド・ボーイ」。グリンの「今夜は映画に」。
そしてこの「Born in 新宿」である。

この曲は、たぶんほとんどの人が自分用に作り変えて歌うことができるはずだ。
実際、僕は最近ある場所でまったくの打ち合わせ無しの即興でこの曲を演奏した。
ハープ、ベース、ドラム、そして僕がギターとヴォーカルという編成で演った。

チャボの「最初の友達」は、僕の「最初の友達」でもあった。
チャボの「その次の友達」は、僕の「その次の友達」でもある。
チャボは「背番号3にあこがれた」が、僕は「背番号1が大好き」だった。
チャボは「中学3年にバンドを組んだ」が、僕は「中学2年にバンドを組んだ」ぞ。
しかしチャボは「あれからずっとバンド・マン」だが、僕は「現在、会社員」だ(笑)。

こういった歌詞もその場でしかも歌いながら考えた。
センスはともかく、誰でも絶対にできるはずである。
バンドをやっている人は試してみる事をおすすめする。
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Blue

Author:Blue
1980年4月5日からスタートしたGREATな体験。それは見事に現在に至るまで続いています。

" 君の手を握りたいんだ 君の手を握りしめたいんだ 君の手を握りしめていたいんだ そう いつかのメロディーに聞いた "

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