3大ギタリスト

書店に行ったら表紙にエリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、そしてジェフ・ベックが…。
ギター・マガジンかと思ったらPLAYBOYだった。突然どうしたのだろうか?

今ではこの3人で「3大ギタリスト」なんて言われなくなったと思う。
僕が洋楽を聴き出した76年前後はまだこの言葉は生きていた。
でも、当時「何故この3人なのか」ということに違和感があった。
ちなみに僕がロックを聴き出した頃の彼らの最新作は、
エリック・クラプトンが「スローハンド」(77)。
ジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)は「プレゼンス」(76)。
そしてジェフ・ベックが「ワイアード」(76)と「ライヴ・ワイアー」(77)である。
その前後は、ツェッペリンはライヴ盤「永遠の詩」(76)。
ベックは名盤「ブロウ・バイ・ブロウ」(75)だ。
これらを聴いた僕は、ペイジとベックが3大ギタリストに入っているのは素直に納得した。
ギターを弾き始めていた当時は、やはり派手なプレイに目や耳が行くのは当然だった。
問題はエリック・クラプトンだ。

当時のクラプトンのギター・プレイの代表的なものとしてあげられていたのは「レイラ」だった。
最新作やその前後のアルバムから選ばれてはいなかった。
例えばベックは「スキャッターブレイン」だったし、
ペイジも「プレゼンス」や「永遠の詩」でのプレイは、
10代のロック・ギター少年を納得させるに十分だった。
クラプトンが「スローハンド」の次に出したアルバムは「バックレス」(78)。
派手なギター・プレイはゼロだ。
こういう流れであれば、
派手でハードでそれなりに早弾きのギターに注目していた10代の少年には、
ヤードバーズなんてバンドを知らなかったこともあり「何故クラプトンが?」と思うのは自然だろう。
だってもうひとりいたんだもの、リッチー・ブラックモアという凄いギタリストが。

後年、もちろんクラプトンの物凄さを知ることになるのだが、
この時点では僕の中ではリッチーのほうが上だった。

僕はこの3人を括る際には、アタマに「ヤードバーズ出身の」を、
今からでも必ず入れるべきだと思うのだ。

さて、このPLAYBOYにはチャボもコメントを寄せている。
それぞれの3曲と3枚も選んでいるのだが、チャボの3曲というのがまた渋い。
それにならって僕もこの3大ギタリストの3曲と3枚を選んでみる。

私が選ぶ3曲

[エリック・クラプトン] 
歌物であれば「ホリー・マザー」
ギターであれば「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」ビートルズ

[ジェフ・ベック] 
「哀しみの恋人達」

[ジミー・ペイジ] 
「レイン・ソング」

私が選ぶ3枚

[エリック・クラプトン]
「いとしのレイラ」デレク&ザ・ドミノズ 

[ジェフ・ベック]
「ブロウ・バイ・ブロウ」

[ジミー・ペイジ]
「永遠の詩」
スポンサーサイト

PINK FLOYD その個人的追憶

僕のフェイヴァリット・バンドのひとつでもあるこの偉大な英ロックを代表するバンド。
出会いははるか昔76~78年あたりだったと思う。
当時の僕がロックの情報を得ていたのはミュージック・ライフ。
この月刊誌をかかさず買っていて、毎月隅から隅まで読んでいた(レコードの広告も大好きだった)。
とにかく洋楽を聴き始めたばかりなので、どんなことでもいいから知りたかったときだ。
今と違って音は簡単に聴けない。当時はレンタルも無いし、お金も無いからレコードも買えない。
FMラジオのロック特集は良くエア・チェックしていたが、それでも全てをカバーできるわけではない。
だから当時の僕は記事で「名盤」とか「凄い」とか書かれているのを信じるしかなかったのだ。

ミュージック・ライフにはそんな僕にピッタリの「ロックの歴史を作ったアルバム」という連載があった(と思う)。
要するに、誰もが認めるロック定番ものが毎月1枚選ばれており、
それについて紹介する1ページの記事だった(はずだ)。
間違っているかもしれないが、
そこで紹介された僕の記憶に残っているアルバムをいくつか列挙してみる。

  ディープ・パープル/マシン・ヘッド
  ビートルズ/アビイ・ロード
  キング・クリムゾン/クリムゾン・キングの宮殿
  ピンク・フロイド/原子心母
  イエス/こわれもの

と、こんな感じである。
当時の僕はロックの過去の作品については何もわからない状態だったので、この記事は助かった。
ここで紹介されているアルバムを買えば間違いないだろうと信じ込んでいた。
そして実際にそうして、それは自分にとって結果としては間違っていなかったのである。

僕が信じて買ったのは上記のうち4枚。
買わなかったものは何か?
それはビートルズである。凄いでしょ(笑)。

今にして思えば、洋楽を聴き始めたばかりの中学生。
何も知識が無いバンドよりもビートルズを選択するのが普通だろうと思う。
しかし何故か僕はそうしなかったのだ。
プログレッシヴ・ロックなどという言葉も知らず、フロイドやクリムゾン、イエスに手を出したのだ。
こわいもの知らずである。無知と言うのは恐ろしい。

しかし、これがOKだった。3バンド共、全然OKだったのだ。
クリムゾンの1stは、その1曲目のギター・リフ1発でやられた。
イエスも、その1曲目のアコギのハーモニックスにやられた。
また、この2つのバンドは、各メンバーの演奏テクニックの凄さに圧倒された。
当時、キッスやエアロといったアメリカのハード・ロックを聴いていた耳には、
このイギリス(とわかっていたのかも当時は怪しい…)の深く重い音は新鮮だったのだろう。

そしてピンク・フロイドである。
「原子心母」はイエスやクリムゾンの音とはまったく違っていたが、その印象は強烈だった。
もこっとした音で、いわゆるロック的な作品では無いと感じたが、
楽器以外の効果音の使い方が素晴らしく、
そういうのが好きだった僕は完全にのめり込んだ。
そして、お金をためて次に買うものもフロイドに決めた。

次は「狂気」である。
このアルバムが決定的であった。以来、いまだにヘヴィ・ローテーションの1枚だ。
ただし、この当時はその音だけが僕の耳をとらえたのであって、フロイド自体のことは何もわからなかった。
後にロジャー・ウォーターズの凄さやデイヴ・ギルモアの泣きのギターの鋭さなんかを知ることにより、
更にディープに聴き込んでいくことになる。

ウォーターズ抜きのフロイド来日公演ももちろん観にいった。
武道館のアリーナど真ん中という最高の席だったが、何がなんだかわからないど派手なステージで、
「これがフロイドか?」と、狐につままれた感じだった。
ウォーターズの来日公演は、残念ながら観ることができなかった。
ギルモアを観てウォーターズを観ていないのだ。
ファンとしてはどうしたっておかしい…と、これは今でも本当に大後悔している。
しかし、それ以上に70年代の来日公演を観たかったが…。

技術の進歩は素晴らしく、今では「こわれもの」はDVDオーディオで、そして「狂気」はSACDで、
5.1マルチ・チャンネルのサラウンド・バージョンを聴くことができる。
これは人によって賛否があると思うが、僕は大歓迎である。
特に「狂気」は素晴らしかった。
僕が好きなフロイドの4枚、「原子心母」「狂気」「炎」「アニマルズ」。
「狂気」以外の3枚も是非SACD化してほしいものである。

さて、フロイドと言えばもう一人。シド・バレットであろう。
ただ、フロイド好きだが僕にとってのシド・バレットというのが実はやっかいなのだ。
バレット在籍時とそれ以後は、僕はまったく違うバンドだと思うのだ。
確かにバレット中心に作られた1stは、時代を考えれば今でも名盤と呼ばれるべき作品だろう。
しかし「原子心母」以前と以後では、僕はどうしても同じバンドの音として聴くことができない。
何も知らずに1stと「狂気」を聴いた場合、同じバンドだと思う人はいるのだろうか?
「炎」の中でウォーターズがバレットに向かって歌うのを聴いて感動はするが、それ以上のものではない。

もうひとつ、デイヴ・ギルモアのギターについて。
クリムゾンのロバート・フリップやイエスのスティーヴ・ハウとは違い、まともに聴けばブルース・ギターである。
試しにギルモアのギターをエリック・クラプトンに差し替えたらどうか…。
結構はまると思うのだ。
実際にウォーターズが自身の1stソロを発表した際にギターを弾いていたのはクラプトンであるし、
その後のツアーにも同行した。良し悪しはともかく、あまり違和感は無かった。
ただし、クラプトンよりもギルモアのほうがギターのフレーズは泣いている…と思う。

そういえば「アニマルズ」のジャケットで豚を飛ばしたあの発電所は今でもあるのかな?

1994.6.25. 渋谷公会堂

RCサクセションの活動休止以降、
清志郎とチャボの正式な共演はありそうで無かった。
それどころかお互いの充実したソロ活動により、
僕は二度とふたりが並んで立つ姿は見られないと思うようになっていた。
マイペースで広い範囲で活動する清志郎と、マイペースで限られた範囲で動くチャボ。
ビートルズ解散後のジョン・レノンとポール・マッカートニーを、
勝手に僕は二人に重ね合わせていたものだ。
別に共演を強く望んでいたわけではない。
だってレノンとマッカートニーなのだから、あり得ないだろうと。

もちろんお互いのライヴは欠かさず足を運んでいたから、
その日もそんな中のひとつであったし、
いつものようなライヴになるはずであった。

渋谷公会堂は満員である。
忌野清志郎・スクリーミング・レヴュー。
94年6月25日。
オープニング、アコギを抱え、頭を花で飾った清志郎が歌いだす。
ソロの曲、RC時代の曲、泉谷しげるのカヴァー等も含め、
かなりのサービス・メニューで進む。
バック・メンバーは大所帯であるが、音は決して派手ではない。
盛り上がる。

今のこのネットの時代であれば、
情報はかなりのスピードで伝わるし入手できるので、
例えばその気になればライヴを観る前に、
そのメニューなんかを知ることができるだろう。
どのくらいの人数かはわからないが、
この時もそれを知っていた人はいたのだとは思う。
しかし残念ながら、いや、ありがたいことに僕はそれを知らなかった。

アンコールで清志郎に紹介されステージへ出てきたのは、仲井戸麗市であったのだ!

その時の会場の雰囲気、僕自身の感情をうまく言い表せることは絶対にできない。
あえて言うとしたら、表すとしたら " ! " である。
驚きと喜び、嬉しさはもちろん、
疑問やもしかしたら悲しみや怒り(笑)もあったかもしれない。
そんなのを全部ひっくるめての " ! " だ。
ただし、僕の表情はとびきりの笑顔だったであろうことは自信を持って言える。

二人によって目の前で演奏されたのは「君が僕を知ってる」。

  何から何まで君がわかっていてくれる
  僕のことすべてわかっていてくれる
  上から下まで全部わかっていてくれる…

RC活動休止後、初めての共演で二人はこう歌ったのである。

このコンサートの模様はヴィデオになって発売され、二人の共演も収録された。
今ではDVD化もされている。映像として残された事は本当に素晴らしい。
しょっちゅう観るわけでは無いが、今でも観るたびに涙腺が緩む。
そりゃそうだろう。
僕らの時代のレノンとマッカートニーが共演したのだから…。

そしてこの後、二人はTVでの共演を挟み、真夏の臨時ニュース、
あの「GLAD ALL OVER」へなだれ込んでいくのだ。

LET IT BE / BEATLES -1970-

ビートルズ、1970年発表のアルバムである。
一般的にはラスト・アルバムと認識されている。
プロデューサーはジョージ・マーティンではなく、フィル・スペクター。
現在このアルバムについて書かれたり言われているもののほとんどが、
フィル・スペクターの仕事について否定的である。それは100%と言っていいだろう。
要するに「ビートルズ的ではない」ということがキーワードだ。

例えばタイトル曲の「LET IT BE」。
ジョージ・マーティンが手がけたシングル・ヴァージョンと、
フィル・スペクターによるアルバム・ヴァージョン。
素材にした音源は両方とも同じものだ。
しかし出来上がった音はまったく違うものになっている。
マニアックなビートルズ・ファンや評論家の人達はこぞって言う。
「シングルのほうがビートルズの音である。スペクター・ヴァージョンはビートルズ的なものが希薄だ」

本当にそうなのだろうか?
だって、どうしたって僕の耳には、アルバム・ヴァージョンは間違いなくビートルズに聴こえるのだ。
僕の耳はおかしいのだろうか?

僕はもちろんリアル・タイムでこのアルバムを聴いたわけでは無い。
聴いたのはビートルズ解散から数年後の中学のときである。
ビートルズについての知識も無かったから、当時は内部のゴタゴタなんてまったく知らなかった。
よって「LET IT BE」を単にビートルズの曲、アルバムとして聴いたのだ。
いまだに大好きなレコードだし、これからもそれは変わることはないだろう。

このアルバムを否定的に言う人達の気持ちは、今ならビートルズの知識もついたのでわかる。
更に、スペクターを否定しているのが、
ポール・マッカートニー自身であるということも最大の後押しになっているだろう。
だけど僕はハッキリと言いたい。
アルバム 『LET IT BE』 はビートルズだと思うのだ。
フィル・スペクターの仕事も素晴らしいと思う。

「LET IT BE」の曲に関しても、マーティンよりも断然スペクター・ヴァージョンである。
ギター・ソロひとつとっても、シングル・ヴァージョンよりも好きだ。
アルバム・ヴァージョンのギター・ソロの、何とカッコイイことか!

この先、ビートルズに関する本などで、LET IT BEに関して、
そしてフィル・スペクターの仕事に対して肯定的に書かれる事はあるのだろうか?
もし、そういった人がいたら、間違いなく僕はその人を信用するんじゃないかな。

『LET IT BE』 は、ビートルズのアルバムである。


The Beatles / Capitol(1990/10/25)
Amazonランキング:9002位
Amazonおすすめ度:

DADA/仲井戸麗市 -1993-

麗蘭で駆け抜けた91年の活動を経て、
翌92年は新宿パワーステーションでの麗蘭満1歳ライブ。
そして初の単行本「だんだんわかった」を引っさげてのポエトリー・リーディング&LIVEツアー。
ソロでのライヴ企画「密室」シリーズのスタートと、
本職の作品発表は無かったが活動は充実していた。

ポエトリー・リーディング&LIVEのツアーは国立、大宮、横浜と僕は足を運んだ。
中でも国立。
それもリバプールというライヴ・ハウスで行われたものは、
個人的に忘れられないライヴである。

国立という場所である。
どうしたってRCサクセションという単語が頭の中に浮かぶ。
実際に清志郎との共作であり、
単行本にも出てくる「コーヒーサイフォン」が演奏された。
国立で無ければ絶対に、いや国立だからこそ演奏したのだろう。
また、アンコールで突然狂ったかのように演奏された「雨あがりの夜空に」。
このインパクトは強烈であり、一瞬、僕は何が起こったのかがわからず、
アタマの中が真っ白になったが、気付いたらステージめがけて突進していた(笑)。

さて、93年発表の『DADA』。
当時は待望していた3rdソロ・アルバムだ。
音は『BOOK』や『絵』とはまったく違い、異様にクッキリとした音。
しかし麗蘭の後だ。このような音になるのは必然であっただろう。
実際に蘭丸が参加し、そのまんま麗蘭と言える曲が収録されてもいる。
ただ、そうなるであろうとわかっていても、当初は違和感があったものだ。
麗蘭とソロでは、やはり僕の思いも違ったのである。

基本的にはバンド・サウンドであり、
PONTAと早川によるリズム隊が固定なので統一感がある。

アルバムのオープニングを飾るのは「ムーンライト・ドライヴ」。ドアーズだ。
カッコ良過ぎである。ヒヤシンスなんて単語も出てくるのがまたマニアックで良い。
後年、カースケやたつのすけ等が参加したチャボ・バンドで、
サイケでハードなブギに生まれ変わったバージョンの演奏を聴く事ができた。
特に日本大学文理学部の学園祭で演奏されたバージョンは白眉。
早川氏のベースもぶっ飛びものだった。

軽快な「BABY LOVE」は、
その曲調には似合わずピンク・フロイドのシド・バレットがモチーフ。
タイトルはモータウンのヒット曲からとったようだが、
内容はとても「BABY LOVE」なイメージでは無い(笑)。

そしてシングルとしても発売された「向日葵10.9」。
チャボはこの曲を「デレク・アンド・ドミノズのように…」と言っていたが、
僕にはそう聴こえないのが悩みである(笑)。

「はぐれた遠い子供達へ」は、
ジョージ・ハリスン・ライクなスライド・ギターが耳に残る感動的な曲。
「HUSTLE」と「ラジオ」は、共に麗蘭満1歳ライヴでも演奏されていた曲だ。
衛星放送でその模様は放送されたのでファンは観ているだろうが、
その時とはアレンジ、歌詞が違う。
特に「ラジオ」はまったくの別バージョンとなっている。
麗蘭ではスロー・テンポでしっとりとした曲となっていた。
おそらくそのままだと「ランタン」と同じタイプの曲になってしまうので、
テンポをあげてアレンジし直したと想像しているが、
僕はスローな麗蘭ヴァージョンのほうが好み。
特にライヴで最後に歌われていた「She Loves You」のフレーズ。
これは曲のテーマとしても、とっても重要だと思うのだが…。

忌野清志郎との共作である名曲「ランタン」はジミ・ヘンドリックスへのオマージュかな。

ドアーズに始まり、シド・バレットにエリック・クラプトン。
ジョージ・ハリスンにジミ・ヘンドリックスがちりばめられているのが、いかにもチャボらしい。
それもさりげなくではなく、そのまんまなのだから。

CDの帯には " リアルな現実など、突き抜けてしまうブルース " とある。
これがアルバム制作前にあったテーマなのか、後からのものなのかはわからないが、
実際に突き抜けたい、突き抜けようという音であり、実質的な1stソロ・アルバムでもあろう。
チャボにとっては「DADA」以前、以後という言い方ができる、
最重要作品であることは間違いない。

DADA.jpg
仲井戸麗市(1993-02-03)
Amazonランキング:133129位
Amazonおすすめ度:

Get Back/麗蘭 from『SOSが鳴ってる』 -2004-

ザ・ビートルズ。
「ザ」を抜かせばカタカナにしてたった5文字。アルファベットでも7文字だ。
しかし、それを口にしたとたん広がる何ともいえない気持ち。
それは、あるときは自分自身に勇気や自信や元気を与えてくれるもの。
またあるときは悲しみや切なさを味わわせてくれるもの。

ビートルズは自分で見つけた大切なミュージックである。
もちろん僕は遅れてきたビートルズ・ファンであるが、自分で聴き、歌い、触れ、読み、書き、演奏し、話し…、
そうやって見つけて手に入れたのだ。
そして、ビートルズが好きだという事を確信に変えてくれたのが、仲井戸麗市である。

ビートルズに関するあらゆるものが世界中に溢れているので、情報取得や研究は難なくできる。
まして今はネットの時代だ。瞬時に知りたいことがわかることも少なくない。
僕もいろいろな文献、特にインタビューや研究本を読み漁った。
もちろん音も正規以外のものを含めて聴きまくったが、本は本当に良く読んだ。

そんな中で、本当に信用できるものは大きく分けてふたつになる。
ひとつはメンバー本人のインタビューである。
そしてもうひとつは、66年の武道館であの4人を観た人達の話である。
当時は日本中がビートルズで盛り上がったかのように言われるが、
実は中学、高校のクラスに1~2名程度しかビートルズのファンはいなかったらしい。
そんなマイノリティな日本中の2~3人達が、あの日武道館に集まった…というのが真相のようだ。
そうか、ビートルズは人気が無かったのか…。

しかし僕があと15年早く生まれていたら、そんな人達と同じように武道館にいただろうか…?

もちろん仲井戸麗市は、そんな2~3人のうちのひとりであった。

僕の好きな話。

  武道館のコンサートは女の子達の声で演奏はまともに聴こえなかったと大人たちは言っていた。
  でもそれは違う。聴こえなかったんじゃなくて、聴かなかったんだ。
  俺は、聴こえた。
  1曲目の「ロックン・ロ-ル・ミュージック」のイントロ、ジョンが弾いたコード。
  俺はハッキリと聴こえた。

麗蘭の「Get Back」は、こういう人がビートルズをテーマにして描いた曲である。
これ以上何を書けば良いのか。

永久不滅のロックン・ロール。それが麗蘭の「Get Back」。

麗蘭/麗蘭 -1991-

TOCT-6325 東芝EMI EASTWORLD 1991.10.30
TOCT-25445 東芝EMI EASTWORLD 2004.8.4(リイシュー)

1.ミッドナイトブギ 2.待ちわびるサンセット 3.アメリカン・フットボール 4.今夜R&Bを… 
5.真夜中のカウボーイ 6.さみし気なパイロット 7.ユメ・ユメ 8.月の夜道でマンボを踊る友人の唄
9.ハイキング 10.ココナッツバター 11.がらがらへび(P.Greenに捧ぐ)12.ハーモニー(挽歌)
13.ミュージック 14.夏の色調

90年のクリスマス武道館コンサートを最後に無期限活動休止となったRCサクセション。
ファンクラブも清志郎とチャボとで別々になり確実に何かが終わったが、別の何かの始まりでもあった。
そして仲井戸麗市が次に選んだのはソロ活動では無かったのである。

何とストリート・スライダーズのギタリストである土屋公平とのユニット。驚いた。
僕の印象は「え?」である。
この「え?」というのは、これまた大好きなバンドであるARBから田中一郎が脱退し、
後釜としてBOWWOWの斉藤光浩が参加すると聞いたときと同じ「え?」であった。
要するに「マジかよ?」ということだ。「大丈夫なのかよ?」でもある。

スライダーズはそのデビュー当時から聴いてきたフェイバリット・バンドだが、
チャボと蘭丸がうまく交わった音や絵がまったく想像できなかったのだ。期待より不安が勝っていた。
しかしそんな僕の気持ちは聞き入れられず(当たり前だ)、いきなり全国TOURである。
とにかく実際に観るしかない。聴くしかない。
TOUR発表時は何故か東京でのライブは組まれていなかったので、仙台に決めた。
知り合いが仙台に実家があり宿の心配が無かったのと、できるだけ早く観たいとの理由である。
仙台はTOURの4~5日目だった。

そして当日。
これは東北の特徴なのか開演時間ギリギリまで席が埋まらない会場に麗蘭は遂に現れた…。

おお!チャボだ蘭丸だ。一緒にステージに立っているぞ。
清志郎とハリーはいない。何が始まるんだ?
RCやスライダーズの曲はやるのか?
ちょっと待て、チャボはアコギだぞ…。

リズム隊がパーカッションなのでスカスカな音に慣れていない耳にはエッジがきつくなく心地良い。
でも、物足りなくもあった。
4日目ではまだ音も固まっていなかっただろうし、だいいち初めて聴く曲ばかりだ。
チャボもいつものようなMCを飛ばすが、ステージは淡々と進んだ…という記憶がある。
とにかく終演後は何がどうなのか良くわかっていなかったと思う。
いいライブだったということ以外…。
まだこのユニットを掴めていなかったのだ。

ただ、この時点で2曲、既に強烈に印象に残った曲がある。
後に麗蘭の代表曲となるこの曲たちは「今夜R&Bを…」と「ミュージック」。この2曲は別格であった。

僕がようやく麗蘭の素晴らしさを理解できたのは、TOURのビデオ「Welcome Home!」が発表され、
その音が完璧になっていたことを知らされたときである。
京都の磔磔でシューティングされたこのビデオの音は、仙台で観て聴いたそれとはまるで違っていた。
「アメリカン・フットボール」でのチャボのヴォーカルと蘭丸のギター・リフ。
「今夜R&Bを…」でのチャボのヴォーカルと蘭丸のギター・ソロ。
そして「ミュージック」。
間違いなくロックであった。
これが仲井戸麗市である。本気を出すと怖いのである。
あまりにも完璧な演奏と曲で感動し、発売日に僕はこれを朝まで一晩中観ていた。

そして麗蘭の1stアルバムのリリース。
あまりにもビデオが素晴らしいので、当然アルバムも期待する。
発売日には僕が良く行くレコード店のほとんどが麗蘭を店頭でかけていた。
僕は気付かなかったが、かなり注目されていた作品でもあったのだろう。

さて、正直に言うと僕はこのアルバムをうまく評価できないのだ。
嫌いな作品では無い。ただし、好きな作品でも無いのである。
これは僕個人の好きか嫌いかのレベルである。
ビデオのあの音と曲がCDに刻まれると思っていたのだが、やはりそれは別物であったのだ。
各曲はすべて素晴らしいが、アルバムとして、作品として僕の好みでは無いということだ。
もっとハッキリ言えば、3曲しか好きなトラックが無い。
それは「ハーモニー(挽歌)」と「ミュージック」。そして「夏の色調」。
しかし僕にはこれだけで十分だ。
特に「ミュージック」はまったく隙が無い完全無欠なロックである。

この麗蘭というのはチャボにとってはかなり大きな意味を持つユニットであったと思うし、
実際にこの後に発表されるソロ名義の作品のほとんどに麗蘭の影響が見られることとなっていく。
そして2004年の傑作「SOSが鳴ってる」に繋がっていくのだ…。



麗蘭, 仲井戸麗市 / 東芝EMI(2004/08/04)
Amazonランキング:63031位
Amazonおすすめ度:

Profile

Blue

Author:Blue
1980年4月5日からスタートしたGREATな体験。それは見事に現在に至るまで続いています。

" 君の手を握りたいんだ 君の手を握りしめたいんだ 君の手を握りしめていたいんだ そう いつかのメロディーに聞いた "

Information
- Information -

★非公開コメント、承認前コメントは非表示としています。よってコメントを頂いてもしばらくは何も表示されませんが、ちゃんと届きますのでご安心ください

テンプレート変更(12/18)

ツイッターをブログに表示(12/11)

「ツイートを毎日まとめて記事にする」を追加(5/14)

Blueの本棚ブログパーツ設置(2/20)

[ツイートする][Facebook]ボタンを設置

ブログ拍手へのたくさんの拍手を頂き、どうもありがとうございます。
ブログ拍手からは私Blue宛コメントもできますが、コメントは非公開設定にしているため返事をすることができません。拍手コメントを頂いた方には、あらためてこの場でお礼を申し上げます。どうもありがとうございました

★コメント、トラックバックについて

当Blogはコメントとトラックバックを承認後の表示とさせて頂いています。反映されるまで時間がかかりますが、ご了承ください。

基本的にはすべて承認していますが、明らかに悪意のあるコメント、または不快で不適切なコメント、コメントの度に名前を詐称する別人のなりすましや意味不明のコメントなど、管理者が承認できないコメントとトラックバックは予告無しに削除、及びその後のコメントを拒否させて頂きます。その後、書き込みとアクセス拒否の対応をさせて頂く事もあります。承認するか否か、または拒否の判断は管理者に権限がありますのでご了承ください

今後とも『Blueの雑記帳』をよろしくお願い致します


-- E N D --
.
.
Access Counter
Welcome Home!!
Realtime Counter
よォーこそ!
Blue's Link
Blue's BBS
Recent Comments & Trackbacks
twitter
Entry Ranking
Blueの雑記帳内 検索フォーム
Still Alive And Well
Blue Day Horns
Blue's INFORMATION
チャボの盗難楽器発見にご協力をお願いします
The Beatles
My R&R
Blog Category
Past Entries
Blog Link
Contact

名前:
メール:
件名:
本文:

Blog Ranking

FC2ブログランキング

人気blogランキング

ブログパーツ