MY LIFE IS MY MESSAGE 2019 Brotherhood 山口洋×仲井戸CHABO麗市 THUMBS UP 2019.6.28.

ゴールである相馬へ向けてのツアーが組まれるという、
以前のようなドラマチックなストーリーがあるわけではなく、
賛同した何名かのミュージシャンたちによるセッションでもなく、
今回は山口洋と仲井戸麗市の二人だけで行なわれたMLIMM。
双方のソロ・パートがあり、セッションに繋げるという、
ハッキリ言ってフォーマットが決まっているであろうライヴである。
はたして…今回もその通りの構成だった。
しかし、そのフォーマットはMLIMMを冠したものであるから、
チャボのいつものソロとは何かが違って聴こえるのも確かだ。
その何かが何なのかを受け止める楽しみもMLIMMならでは…だ。

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チャボは特にテーマを設定せず、いつものソロだった。
雨が歌われている曲や、この時期しか歌わないという「ねぇHISAKO」といった、
6月らしいメニューではあったが、特にMLIMMらしい何かは見られなかった。
ただ、お客さんをいじる回数が減っていたのはよかった。
最近のチャボの傾向として、お客さんを意識すると演奏から客席に気が移り、
肝心の歌やギターが飛んだりおろそかになるのを何度も目にしているので、
その意味ではこの夜は最低限だったのはよかったと思う。
もっと自身の歌とギターに入り込んでほしい。

アンコールも定番ではあったが、ミチロウに触れての「新相馬盆歌」や、
「満月の夕」を聴けば、MLIMMのライヴということを意識するし、
これまで僕が体験してきた…それこそミチロウが加わっての渋谷、
そしてARABAKIでのセッションが浮かぶ。
それらの延長にこの夜があることに気づかされての感動もあった。

「ハングリー・ハート」もここではすっかり定番になったが、
言ってしまえばチャボの歌詞によりまったく別の曲になっているわけである。
しかし洋のギターがオリジナルのキーボード・ソロを再現するので、
あぁ、これはスプリングスティーンなんだ…と思いなおさせてくれる。
そんな良い意味でのねじれ方も、MLIMMでしか聴けないものである。

ラストは「R&R Tonight」だった。
洋のリクエストだったそうだが、明らかに浮いていた。
もちろんプラスでポジティヴに…であるが。
ミチロウ、そして本編のMCではショーケンの訃報にもふれられていたが、
そこに付け加えられる " 同い年 " がチャボの切ない想いを表していた。
そんなことを感じ続けているであろうチャボの " やるっきゃねぇ " は感動的だし、
僕自身もそれによって奮い立たされるけれど、
同時に見え隠れするやり切れなさを感じられるのも事実。
そんなものがこの日の「R&R Tonight」に結実してしまったように見えた。

やるしかない、やり続けるしかない…という思いと共に、
どうしたって溢れ出る切なさによって、
歌われる歌詞やフレーズが、それとは違った意味に聴こえてくる。
夏の寂しさの本当の理由…の夏とは単なる季節なのか。
預かってゆく僕らの重たい未来…の未来のゆくえはどこなのか。

" R&Rが溢れてるから、今夜は最高の気分さ " と歌われるが、
歌われている途中ではなく、歌い終えてからではあるけれど、
その最高の気分から何かがこぼれているように感じた。
歌い終わった後のチャボはしばらく下を向いたままで、
何だか放心していたように見えたからだ。

今夜は最高の気分さ…だけではなかっただろう。
歌いながらチャボの中に落ちてきたものは何だったのだろう?
今のチャボをリアルに感じられるシーンは、この日の最大の収穫だった。
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CHABOのKing Biscuit Time #14 南青山MANDALA 2019.6.14.

 CHABOのKing Biscuit Time。
 チャボと一緒に音楽を聴く。
 言葉にすればこれだけのことなのだが、決してラジオのリアル版ということではない。
 もし、誰かに " 何を聴かせてくれるの? " と質問されたら、僕はこう答えるだろう。
 " 仲井戸麗市を聴かせてくれるよ " と。
 単に曲を聴くだけの場ではなく、仲井戸麗市自身…チャボと言う人間を聴く場でもある。
 そしてさらに、チャボを通して自分自身を聴く場にもなっていれば素晴らしいと思う。

先月のKing Biscuit Time後、僕はここでこのように書いた。
振り返れば第1回目…最初からその要素はあったけれど、
特に最近は " 仲井戸麗市の個人史 " 的な色を濃く感じている。
1回目はその時間を通してチャボの親友がテーマだったので、
まさに個人的でディープな雰囲気で進行した。
しかしこれ以降はいくつか挟まれるエピソードや、ほんのちょっとした発言から、
チャボのプライヴェート的なものが見えるだけになっているのだが、
その重さと深さが僕にとってはとても大きい。

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思えば40年もチャボを聴いてきたのだ。
チャボにも僕にも等しく流れたこの時間で変わったこと、変わらなかったこと、
積み重ねられたこと、新たに知ったこと、無くなったこと、忘れてしまったこと…。
僕はこうしたものを抱えて、今のチャボを聴き、観て、触れている。
同じくチャボもそんなものを抱えて僕の前に立っている。
だから過去発表された作品や、知っている話、見たことのあるものやモノであっても、
すべてが2019年型に変換されて届けられ、伝わるのだろう。

おかげで、チャボのサウンドトラックを生で聴かせてもらっているかのようだ。
お馴染みのエピソードも、そこに添えられた音楽が今の新たな景色を呼ぶ。
それはどういうことかというと、その話と曲を、
そして曲に寄り添われた話を、何度も新鮮に楽しめるということだ。
感動的である。
しかし、これが感動的だということは、きっと40年が無ければわからなかったはずだ。
CHABOのKing Biscuit Timeは、音楽を好きな自分、
チャボを好きな自分が幸せであることを感じる時間になっているのかもしれない。

     **********

この日に生歌で披露されたのは「びしょぬれワルツ」。
信濃町、小石川、銀座の地名が歌われるが、ここから広がる70年代の風景と空気感。
想像に想像が重なり、それを知らず、そこにいなかった僕にも古井戸が見える。
音楽によってだけ、僕が感じるこの体験。
しかも、この歌とギターの上にチャボの言葉が乗る。
更に想像は広がり、短い演奏時間でも一本の映画を観たかのようである。

言葉と言えば、チャボの朗読もある。
今では " だんだんわかった " ポエトリー・リーディング・ツアーのような、
鬼気迫る朗読、緊張感溢れる客席はもうあり得ないが、
この夜、「THE BEATLES 日本公演」を読んだときは、わずかながら、
ティーンエイジャーだった1966年の仲井戸麗市をのぞかせていた。

ビートルズ…とりわけ来日時を語るチャボは、
溢れる思いや想いを抑えきれなくなることも少なくなかった。
もうずいぶん前になるが、THE Afternoon Tea & Music Time のタイトルで、
こうしたDJが横浜で行なわれていたとき、そんな瞬間に出会ったことがある
そのことやそんなチャボを知っているから、2019年の今も、
それが単なる話で終わったとしても、僕の心に響くのである。

ちなみに " だんだんわかった " の最終エピソード「ビートル一人一人達の再来日」。
ジョージの東京ドーム公演を観た後に、チャボはひさこさんと小石川を少し歩き、
タクシーを拾って家に帰るのであるが、ここに出てくる " 小石川 " が、
この日の「びしょぬれワルツ」の " 小石川 " に重なっての感動もあったことも記しておきたい。

     **********

おおくぼさんの初めての写真展。
その展示をチャボと二人でやったこと。
清志郎と泉谷しげるが見に来てくれたこと。

これだけのことでも、僕の中であまりにもの感動的なシーンを広げることは容易だ。
もちろん想像なのだが、きっとそれは実際のものとほぼ同じだろう。
そこに添えられた音楽がそう確信させてくれるからだ。

     **********

仲井戸麗市と自分が1対1で過ごしている。
お客さんがいても、そう感じられる時間である。
やはり単に曲を聴くだけの場ではなく、仲井戸麗市…チャボと言う人間を聴く場でもあり、
さらに、チャボを通してぼく自身を聴く場にもなっているのだと思う。

CHABOのKing Biscuit Time #13 南青山MANDALA 2019.5.14.

この日はデモ音源や、路上や駅構内などで録音されたものなどを含め、
チャボ的にめずらしいと判断された音源を取りあげる内容だった。
テーマがテーマだから非常にマニアックな講義を受けているようだったが、
講師がチャボなので、よい意味で堅苦しくなく楽しめた。

いつものことながら、有名なバンドやアーティストはかけない宣言があったが、
逆にこうしたテーマは誰もが知っている曲であればあるほど楽しめるはずだ。
例を挙げると、ダイアー・ストレイツの「悲しきサルタン」。
リトル・フィートの「ダウン・ビロウ・ザ・ボーダーライン」。
それぞれのデモ音源と正式に発表された音源の聴き比べがあったが、
なかなかにマニアックな選曲だ。
すべてのお客さんがロックに幅広く精通しているわけではないから、
この聴き比べ部分はメジャーな曲にしてもよかったんじゃないかとの思いはある。
ビートルズの「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」とかね。
それでも通してトークと曲に惹きこまれ続けた夜だった。

時間が進むにつれ " このテーマならチャボ自身のデモ音源を聴かせてくれるかも " 。
当然のようにこうした思いが出てくる。
過去にもCHABO BANDの「リトル・ウィング」リハーサル音源をかけたことがあるし、
ラジオではRCサクセション1980年クリスマスの渋谷公会堂ライヴをかけたこともある。
期待していた…ら、その予想のはるか上を行く音源を持ってきてくれていた。

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キヨシロー&チャボ 2006年4月 at ロッ研

チャボが手にするディスクにはこう書かれているという。
そう、アルバム『夢助』用の共作曲のデモ音源をかけてくれたのである。
曲は…のちに「毎日がブランニューデイ」「激しい雨」となる原曲だ!

チャボによれば演奏は清志郎と二人だけだと言っていた。
ドラムとキーボードを清志郎が担当し、チャボは歌とギター。
しかし、歌詞はまだない。
音源にはベースも入っていたように思うので、
チャボの言うとおり二人だけのセッションならば弾いているのは清志郎だろう。
しかし、「Oh!RADIO」のカップリングで発表された「激しい雨」のPrivate Session。
ここでは三宅伸治がベースを弾いているので、彼のプレイ、または被せた可能性もある。
ただしチャボがかけたのは2006年4月。
正式に発表されたPrivate Sessionは2006年5月。
1ヶ月の間があるので、僕としては二人だけのセッションであってほしいと思っている。

聴いてるあいだ、アタマは真っ白、ココロとカラダは真っ新だったが、
その中に清志郎とチャボの物語が詰まった音がすごい勢いで流れ込んできた。
二人だけの演奏でココロとカラダが満たされていった。
よく " 胸がいっぱいになった " と表現されるが、これの実体験はこういうことかと思った。
言葉がない…というか、この状態を表せる言葉はこの世に存在しない。
僕にとっては貴重を超えた国宝的音源であった。

もう1曲、モータウンを狙った未完成作品も聴かせてくれたが、
これはのちに麗蘭のライヴで演奏した曲になったようだった。

     **********

CHABOのKing Biscuit Time。
チャボと一緒に音楽を聴く。
言葉にすればこれだけのことなのだが、決してラジオのリアル版ということではない。

もし、誰かに " 何を聴かせてくれるの? " と質問されたら、僕はこう答えるだろう。
" 仲井戸麗市を聴かせてくれるよ " と。
単に曲を聴くだけの場ではなく、仲井戸麗市自身…チャボと言う人間を聴く場でもある。
そしてさらに、チャボを通して自分自身を聴く場にもなっていれば素晴らしいと思う。

ARABAKI ROCK FEST.19 THE ARABAKI ROCKERS SATURDAY NIGHT ROCK SHOW 2019.4.27.

TH eROCKERS、HEATWAVE、ROCK'N'ROLL GYPSES。
それぞれが30分ほどのステージを終えた時点で、寒さを含めかなり体力が奪われており、
正直、気力も失いそうになったが、ドラムに池畑潤二を迎えた麗蘭が登場し、
「ミッドナイト ブギ」が始まると、僕の中に再び小さな火がつく。
「ハッスル」が続き " 寒いのに待っててくれてサンキュー!" とチャボのMC。
この時点で心と身体は元に戻っていたかもしれない。

それにしても、池畑のドラムで演奏される麗蘭スタンダードの聴きごたえ。
前日にCharとの共演でも聴けた「あこがれのSouthern Man」に代表されるが、
表情が異なる演奏をこうして聴けるのは本当にうれしいし楽しい。
リズム隊が変わったことから、かなり昔のことになるが、
スライダーズのZUZUを迎えた麗蘭を思い出したりする。
あの時と同様に貴重なセッションとなっていたと思う。

そんな展開の中でチャボがラストに選んだのは「MY WAY」。
麗蘭の曲ではなかった。
昨年の大晦日、CDJでの演奏を思い起こす。
きっと伝えたいものと伝えるべきものがあったのだろう。

  愛する人を守るため
  大切な友達や何かに出会うため

僕はここが歌われるたびに感動するのだが、
この夜はその友達の中に池畑がいる。
そしてそれまでに演奏したバンドのメンバーが含まれるのも間違いない。
そして…。

  俺は行くのさ この道

チャボが言う " この道 " というのはロックン・ロールだ。
俺の行く道はロックン・ロールであるという宣言。

  この身が打ち砕かれても、行くぜこの道 MY WAY。
  行くぜこの道 ロックン・ロール。

このフレーズは、個人的でありながら普遍的に響いていた。
ここに立ったメンバーはもちろん、
それこそARABAKIに出演したすべてのミュージシャンに当てはまるかのようだった。
仲井戸麗市は最高である。

ラストはこの4人に細海魚が加わったバンドによる、
1969年をキーワードにしたロックの名曲セッション。
まずはチャボが歌う「Woodstock」。
もうずいぶん前になるが、チャボはライヴで演っていたことがある。
当時は黒のテレキャスター・カスタムをオープン・チューニングにし、
ロックする姿が実にカッコよかった。
" みんながスターさ 今夜 " という歌詞がARABAKIに似合っていた。
さらに、このバンドをバックに花田裕之が「Cinnamon Girl」を歌う。
本当ならここにいたはずの下山淳の姿とギターを追加しながら聴いた。
そして山口洋の「Some Kinda Love」に続き、全員で「Who'll Stop the Rain」。
通して3時間の長丁場だった。

演奏以外で見ものだったのが、
それぞれのバンドの演奏時にバックのスクリーンに映された映像。
そしてラストのセッション時は奈良美智さんのライヴ・ドローイングが映された。
曲のタイトルやミュージシャンから即興で描かれ、消され、再び描かれるそれらは、
まるで演奏しているかのようで、楽器のひとつとして音が聴こえてくるみたいだった。
途中からはPA卓の横で描く奈良さんとステージの両方を楽しんだが、
実際に奈良さんの近くにいた人は見応えあっただろうなぁ。

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Char×Chabo 宝箱 EX THEATER ROPPONGI 2019.4.26.

こうしてがっぷりと演るのは初めて…と言っていたが、確かにフル・サイズは初かもしれない。
しかし、二人は忘れているのだろうか。
2011年のJAPAN JAM
今回はCharのバンドにチャボが加わる形だったが、
この時は早川岳晴、河村カースケ、kyOnというチャボのバンドにCharが加わるセッション。
「Cocaine」のリフに乗って登場したCharとの、
とにかくギターギターギターギターギターギター…の印象で、
フェス仕様の短い時間だったが、カヴァーを中心とした素晴らしい共演だった。

その日を再び…ではないけれど、元々スタイルが異なるミュージシャン同士。
とはいえ、特にチャボはLOSERで下山淳と組んだときから僕が感じていたことだが、
そうした環境でも、しかも自身のスタイルをほぼ変えることなく、
不思議と違和感なく聴かせてしまうギタリストだし、それが独特の音となるわけだから、
いったいどんな演奏を聴くことができるのか、今回の共演をとても楽しみにしていた。

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「Let's Spend the Night Together」や「Little Wing」など前回も取りあげられた曲があったが、
決して2011年の拡大版ということではなかった。
特にそれを感じたのが前半にあったアコースティック・パート。
ライヴの入口として本人たちだけでなく、
お客さんもすんなりと受け止められたと思う、実に効果的な演出だった。
MCで笑いを取りながら二人はリラックスした雰囲気で進めたが、
演奏には自然と緊張感があったことが素晴らしい。
このことから重ねたリハーサルの回数が伺えたが、単なる数字の回数だけではなく、
二人が顔を突き合わせて重ねた物理的なものが気持ち的にも反映されていたからだと思う。

アコースティック・パートは途中からバンド編成に。
一気に音に色がつき、客席側に伝わるものが格段に変化する。
この感じと雰囲気はあのGLAD ALL OVERの構成を思い出す。

特にハッキリした統一テーマは感じなかったが、
二人に何らかで関連している曲たちが取りあげられた前半は良い意味で幕の内的。
ジョニー吉長、ムッシュかまやつ、山口冨士夫などの名前が挙がっても、
そうした雰囲気に引っ張られることはなく、曲を曲として楽しめた。

そんな中で聴きものだったのが「春夏秋冬」。
もしチャボ一人だったら、最近の傾向として歌詞をリーディングしたかもしれないが、
この泉谷しげるの名曲を名曲として二人は演奏し歌ってくれたからこそ、
僕の心に残るものになった。

クライマックスは仲井戸麗市の「ま、いずれにせよ」と、Charの「スモーキー」。
前者はこれまでも様々な人とのセッションがあり、そのどれもが素晴らしかったが、
全員で回すソロを含め、Charとそのバンドはさすがの安定した演奏を聴かせてくれた。
そして「スモーキー」を演奏するチャボを観られたことはかなりレアだろう。

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後半はエレクトリックのバンド編成。
実は、理由があってのことなのか、本編だけでなくアンコールを含めて、
この日はストーンズ・ナンバーが印象強かった。

まずは「Don’t Stop」。
“ やめるな、俺と行こうぜ “ とCharに呼びかける様はシンプルだが感動的だった。
土屋アンナが加わったアンコールでの「Gimme Shelter」もストレートでよかったが、
Charとチャボのどちらかにミック・テイラーに徹してソロを弾いてほしかったなぁ。
特筆すべきは「Rain Fall Down」。
チャボのやり方である日本語詞を乗せライヴでカヴァーしていたこの曲は
その歌詞を残すためであろう、後に「雨!」として改作してオリジナルで発表された。
しかしこの日はストーンズのカヴァーのまま披露。
こうしたチャボのモードが興味深い。

旅立っていった俺たちの友人。この曲で送らせて…の「Little Wing」。
さすがにグッときたが、これ以上だったのが石田長生の「ラ・ジ・カ・セ」。
“ いい歌聞かせろ たまには泣かせろ “ の歌詞も相まって泣けた。
Charの歌を聴いて、声質がCharと石やんは似ているなぁと思った。
いや、似ているのではなく、
「夜の散歩をしないかね」を歌うチャボの声が僕には清志郎に聴こえたことと、
もしかしたら同じ理由だったのかもしれない。
ホーンが印象的なイントロのフレーズを奏でるCharのギターが切なかった。

「雨あがりの夜空に」から「Crossroads」が演奏されたところで終わるかと思ったが、
またしばらく会えなくなるんだから(もう少し)遊ぼう…というCharの一言から、
内田裕也に捧げての「Route 66」「Johnny B. Goode」の連発。

Go! CHABO! Go!Go!
Go! Char! Go!Go!

冷静に振り返れば「Don’t Stop」で歌われた " やめるな、行こうぜ! " が、
この夜のテーマだったように思う。

終わっていく夜と終わらせたくない夜が、
音楽のジャンルを超えて歌いギターを弾いた2人に交錯。
今夜の六本木が俺たちのクロスロード。
チャボのこの言葉がそれを象徴していた。

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南青山MANDALA 25th Anniversary Special Duet GIG! 仲井戸CHABO麗市×竹中直人 2019.4.13.

竹中直人と仲井戸麗市となれば古井戸。
加奈埼芳太郎に酷似して聴こえる竹中さんのヴォーカル。
その声で古井戸を本気で歌うので、チャボとの共演でそれを聴けるようになってからは、
生の古井戸未体験の僕にとっては二人によるカヴァーが本物であった。

チャボが一人で古井戸を弾き語るのは古井戸ではない。
しかし、竹中さんの横でギターを弾くと、チャボが古井戸として機能するのである。
これは竹中さんが古井戸のファンで、声が加奈埼さんに似ていて…と、
こういった単純なことが理由ではない。
例えば中村中とチャボが共演した際に演奏された「ポスターカラー」を聴いたとき。
中村のピアノにチャボのギターという編成なのに、
加奈崎芳太郎と仲井戸麗市の編成を僕にハッキリと思い起こさせてくれたのだが、
名曲を名曲のまま名曲として僕たちに提示してくれた中村中の歌がその理由だと思う。
これによりチャボのギターとコーラスが古井戸として機能していたのだ。

僕だけが感じているのであろうこうしたことを、
何とかうまく表現できる言葉がないか考えているが見つからない。
共演相手の古井戸の音楽に対する本気度というような、
こうした何とも陳腐な形容がいちばんしっくりくる。
竹中直人も中村中も古井戸を古井戸として歌う。
本気で歌う。
それを隣で受ける仲井戸麗市が本気になるのは自然なことだと思うのだ。

前置きが長くなったが、僕の好きな古井戸を古井戸として聴けること。
加えて南青山という土地がそうさせるのだと思うが、
MANDALAでチャボが演る古井戸はいつも僕には特別に聴こえること。
こうしたことから二人の共演をこの日も楽しみにしていた。

想いが炸裂した竹中直人ソロパートは、その選曲を含めてすべてが最高だった。
ほぼ古井戸ナンバーで固めたセットは聴きごたえ抜群。
MCでの緊張や照れ隠しは竹中さんらしかったが、いざ演奏に入れば別人。
目の前にいるのは間違いなく今の竹中さんなのだが、
その姿からは古井戸を聴いていた当時の想いはもちろん、
70年代の空気までをも連れてきたかのような歌が凄い。
ファンとしての気持ちや、よく知っているといった知識的なものとはまったく違う。
俺は古井戸が好きなんだ…ではなく、俺が好きな古井戸だ…と叩きつけてくる。

更にサポートとして加わった田中潤。
ほぼオリジナルのアレンジで演奏されていたのだが、
それが引き立ち、かつ魅力的に生まれ変わったかのように聴こえるギターを弾いていた。
チャボが弾きそうなギターなのだが、そのフレーズの一部や終わりが微妙に異なる。
例えば、フレーズの落ちる場所。
聴きなれたチャボの「ここ」ではなく、田中さんは別の「そこ」に落とす。
この微妙さが実に効果的で、僕の好きな曲が好きな形のまま違う印象になるから、
グッとくる瞬間が何度もあった。

こんな二人による古井戸が僕に響かないはずはない。
二人で演奏された1曲目の「ちどり足」のイントロから受けた感動は、
「花言葉」「ポスターカラー」「love song」のいつまでも瑞々しい名曲たちで更に増幅。
「コーヒーサイフォン」をピアノ・アレンジで聴かせるなど意外な展開も加わり、
二人の古井戸には最後まで感激しっぱなしだった。

強烈な古井戸色で染められた竹中さんのパートだが、
締めくくりに選ばれていたのが清志郎の曲と定番「さよならCOROR」。
チャボだけで終わらないのは竹中さんの素敵なバランス感覚だったなぁ。

さて、あんなステージを受けるチャボは大丈夫なんだろうかと構えたが、
適度な軽さで一気に自分のペースに持って行く。
数曲の古井戸を歌ってもそのムードになることはなく、
選曲も含めてまったくいつものソロ・ステージだった。
物足りなくも感じたが、今のチャボはこれなのである。

セッションパートは「いい事ばかり~」「Holiday」「ティーンエイジャー」の直球曲の中、
「何とかなれ」「おやすみ」という両極端な古井戸の名曲も歌われた。
これが竹中さんのソロ・パートの雰囲気で放たれていたなら最高だったのだが、
残念ながら僕にはそうではなかったのがもどかしい。
これまでのような古井戸として機能する仲井戸麗市を体験できなかった。
僕の期待したそれは、竹中さんのパートにチャボが加わっていたら聴けたかもしれない。
それこそ「いつか笑える日」をこの日の竹中さんのテンションとチャボのギターで聴けたならば…。

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ここからはP.S.。
今回、チャボのMANDALA25周年ライヴをみてあらためて思う。
ティアラこうとうでのThe DuetやMANDALAでのMonthly CHABO。
このシリーズに代表される過去のDuetライヴの凄さを。
振り返ればCHABOの恩返しから始まった構成。
第一部と第二部がそれぞれ共演者のソロで第三部はセッション。
現在は完全にデフォルトになってしまったこの構成は変わらないのだろうか。
Duetとして、アタマから通してのセッションを再び体験したいと思う。
すごくそう思う。

南青山MANDALA 25th Anniversary Special Duet GIG! 仲井戸CHABO麗市×宮沢和史 2019.4.10.

これまでの二人の共演から勝手にポエトリーがキーになると思っていたが、
歌…特に宮沢和史のそれを堪能した日となった。

言葉がメロディを持つとそのメッセージは何倍にもなる。
さらにそれを伝える声の力。
こうしたものを確実に持つ彼の魅力があふれた時間だった。

一時は歌をあきらめざるを得ないような状況の話も知ったが、
そのことも、この日の彼の歌には滲み出ていたのだろう。
もちろんそれを意識して出していたのではなく、あくまでも自然に出ていたからこそ、
僕に伝わるものの深さも大きかったのだろう。

2011年、CHABOの恩返しでも感動的だったローザ・ルクセンブルグ「ひなたぼっこ」。
ボサノヴァ風味のRCサクセション「夜の散歩をしないかね」。
オリジナル以外で印象に残ったこれらの曲も、今の彼の状況と、
その曲を歌っていたどんと、そして清志郎がいないという現実も相まって沁みた。
しかもこの2曲で締めくくったので、深い余韻が残る宮沢和史ソロパートであった。

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共演者のカヴァーを自身のステージで演る場合、
歌わずに歌詞をリーディングするという反則技が定番のチャボであるが、
この日は「そこが僕のふるさと」を弾き語りした。
間違いなく歌ったほうがいい。いや、絶対に歌うべきである。
歌と言葉とギター。この3つをあわせてひとつの力に…と言っているわけだから。

     **********

アンコールのセッションは聴き応えがあった。
そのメジャー度においての大きさからラストの「島唄」は貴重なセッションだったが、
この曲に勝るとも劣らなかったのが「唄」。
チャボのリスペクト・アルバムで宮沢和史がカヴァーしたこの曲を
二人は捻らずに「唄」を「唄」として聴かせてくれた。

最近のチャボは自身の曲をオリジナル・アレンジで演ることが、ほぼ無い。
例えばその時、そのライヴだけのアレンジということではなく、
今やオリジナル・ヴァージョンが消えてしまっている曲さえある。
発表された曲のオリジナル・ヴァージョンには、
何ものにもかえがたい不滅の魅力があると僕は思っている。
こうした理由からもどかしさを感じ続けているので、この日の「唄」は感動した。
仲井戸麗市がそこにいた。
この日のチャボのどのオリジナルよりも仲井戸麗市してた。

     **********

2011年にも宮沢からチャボへの手紙…その返信があったが、
この日の20年近い時間を超えて交わされた手紙の書簡も感動的だった。
そこに読まれていた内容云々よりも、
歌ではなく、その経緯を含めた手紙という形式が二人を表していたように思う。
これも二人の音楽なのであろう。

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南青山MANDALA 25th Anniversary Special Duet GIG! 仲井戸CHABO麗市×新谷祥子 2019.4.6.

いつものようにチャボの紹介で新谷祥子のステージが始まる。
冒頭からインストが3曲ほど続いた。MCもない。
新谷さんらしい適度な緊張感。
心地よい反面、今回の進行が見えない戸惑いも過ぎったが、
演奏後の彼女はいつもの笑顔を見せてくれていたので安心感はあった。
はたして…。

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インストの後に、その演奏曲についてじっくりと語ってくれるのは、
音楽としての言葉を大切に思っている今の彼女ならではだろうと思った。
おかげで直前で聴いた曲のイメージが大きく、しかし柔らかく膨らんだ。
後に続く言葉がバラであれば、実際はワインであっても、
それを酒と訳してもおかしくはない…日本語は素晴らしい。

共演では欠かさないチャボのカヴァー。
今回はまさかの古井戸「さなえちゃん」を取りあげていた。
マリンバでチャボの曲にどう立ち向かうかゼロから考える…と公言している彼女である。
これまで様々なアプローチを「ガルシアの風」「ホームタウン」「荒野で」などにぶつけてきたが、
「さなえちゃん」はそのどれとも違っていた。
記名性が強いチャボの曲は、なかなかカヴァーする人の色に染まらないが、
今回は見事に新谷祥子色に染めあげていたように思う。
まさにマリンバで仲井戸麗市するということの実践。
結果としてそれが新谷祥子になっていることの感動。
いつかこの演奏をバックにチャボが「さなえちゃん」を歌うのを聴いてみたい。

昨年の夏、お寺でのライヴで披露された「月夜のハイウェイドライヴ」も歌われた。
あらためて聴くとその独特の歌いまわしが曲のメロディを際立たせていることがわかる。
新谷さんの解釈がチャボのメロディの良さも伝えてくれる素敵なヴァージョンである。

さて、新谷さんのライヴと言えば新曲だが、この日は発表は未定でも、
レコーディングは済んでいるという話から、そんな中から歌ってくれた。
本編最後に演奏された「美醜の星」とう曲が、そのタイトルもあって印象的。
早く作品化されたものを聴いてみたい。

花粉症の影響で声が本調子ではなかったが、
その中でも自分らしいステージを作ると宣言して、その通りに実行する。
新谷祥子、素晴らしいミュージシャンでありアーティストである。

     **********

チャボのパートはいくつかのカヴァーを含めてのここ最近の定番メニュー。
そんな中、その成り立ちと経緯が興味深い新曲を演ってくれた。
メロディは30年ほど前にできて吹き込んでいたらしいが、詞ができない。
何度もトライしたができない。
清志郎にも、こんなメロディがあるんだけど…とトライしたがダメだったらしい。
しかし最近きっかけがあって、このメロディには詞がないという曲にしちゃえばいいと。
タイトルは「名もなきメロディ」とつけたらしい。
確かにメロディはメジャー進行にマイナーが入り込む実にチャボらしい曲だったが、
詞は練られていない感があり、まだまだ完成形には遠い印象だ。

それこそ90年代には凄まじいほどの歌詞が乗った作品を発表していたチャボである。
それをリアルで体験してきた身としては、理由があったとしても、
言葉が見つからないという話をチャボから聞くのは淋しい限りだ。
例えば今回のメニューの中にあった「庭」だが、その歌詞から広がるイメージはどうだ。
曲の優しさに隠れがちだが、冷静に歌詞を読み返すと唸ってしまう。
今の作詞に向かう意識やスタイルが変わったことを否定しないが、
再びこうしたTHE NAKAIDO REICHI SONGを聴いてみたいと思う。

思えば、特にMANDALAでMonthly CHABOをやっていた頃には、
ステージでしか披露していない新曲はかなりの数あった。
中にはそのまま作品化できそうな、作品化してほしい曲もあったが、実現には至っていない。
チャボの基準がどこにあるのかわからないが、もったいないなぁと思う。
いつか、新曲…未作品化曲だけのライヴを演って欲しい。

     **********

さて、いちばんの聴きものである二人のセッション。
安定の定番曲中心ではあったが、マンネリ感は微塵も感じさせないのはさすが。
中でも「BLUE MOON」。
僕はこれだけにお金を払っているという気持ちで来ているし、
その期待に応えてくれなかった演奏は聴いたことがないし、それは今回も同じだった。
何度もここに書いてきたが、音楽での会話を可視化したかのようなそれは息をのむ。
それでいて美しく、楽しく、かっこいい。最高である。

     **********

僕にとってはこのライヴで春を迎えるここ数年である。
今年も春が来た。

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「第十回感謝の日」Songs for Kiyoshiro 三宅伸治と仲井戸CHABO麗市 磔磔 2019.4.2.

昨年、2018年も下北沢で同タイトルのライヴが行われたが、
今回は会場が磔磔に変わっただけで、ほぼ内容は同じだった。
しかし、構成や選曲が同じでも、印象もそうだったかと言えばNOだ。
1年前と間違いなく違っていた。
僕にとっては当然だ。
1年といってもそれは単なる時間の経過ではないからだ。
三宅伸治と仲井戸麗市のふたりが忌野清志郎を、RCサクセションを歌い続け、
さらに僕も清志郎とRCを聴き続けてきた1年である。
時間が経てば、その時間だけの何かがそこに足され、積まれ、浸透し、
時間による何かで色付けされ、包まれる。
新たな何かが加わった清志郎の曲を、同じく新たな何かで包まれたふたりが演奏する。
僕が触れるのは1年前とは違う新しさに満ちた清志郎の曲であったわけである。

その “ 何か “ とは何か?
それは “ 素晴らしさ “ である…と信じたいし、信じられるライヴだった。
“ 素晴らしさ “ だとしか思えないし、感じられないライヴだった。
もちろん三宅伸治と仲井戸麗市が演るから素晴らしいのもあるだろう。
でもやはり忌野清志郎が素晴らしいのである。

IMG_3594.jpg

1年が単なる時間の経過ではないと思う、もうひとつの理由がある。
それは、2018年からの1年は、2009年からの9年があっての1年であることだ。
前述したように各々のスタイルでこの10年間、演ってきたふたりである。
具体的な形としても、思いや想いとしても、きっと様々なことがあっただろう。
しかもそれは、いい事ばかりはありゃしない…だったことも想像がつく。
そんなふたりによる没後10年という区切りの年にあたる4月2日のライヴである。
具体的に言葉やテーマにしてはいないが、
意識の中では10年間の集大成的な何かになっていたのかもしれない。

清志郎の歩みを大まかに追える曲が並び演奏されたが、
本編終盤の「激しい雨」から「ドカドカうるさいR&Rバンド」。
アンコールでの「JUMP」から「雨あがりの夜空に」。
2019年4月2日に清志郎と共にいたふたりが演ることの意味と意義は、
このふたつの流れに尽きた。
ここには「RCサクセションと忌野清志郎」に「忌野清志郎とRCサクセション」。
そして「仲井戸麗市と三宅伸治」に「三宅伸治と仲井戸麗市」。
これらが見事に表現されていたと思ったからだ。
さらに清志郎とRCのライヴに僕が感じていた興奮と楽しさ、感動と切なさが、
やはりこのふたつの流れに象徴されていたように思ったからだ。
僕にとっての、1980年からのおよそ40年もの長い時間が、
一瞬であったがすべて詰められていた4曲でもあったことも追加しておきたい。

時間が連れてきた思いは、さらにもうひとつ。
三宅伸治と仲井戸麗市が Songs for Kiyoshiro のライヴを演るのではなく、
Songs for Kiyoshiro を冠した三宅伸治と仲井戸麗市のライヴだと感じたのは昨年同様。
しかし、昨年よりこの印象は増していた。
何より三宅伸治のチャボとやりたいという想いの強さが印象的だ。
彼はチャボを誘いたかったのだろうし、チャボは彼の誘いだからこそ受けたのだろう。
あの夜の磔磔にいたのは、清志郎と共にいた、
そして横で支えたふたりのギタリストとしての三宅伸治と仲井戸麗市だった。

ライヴから時間が経った今にこうして振り返ると、
何と感動的な場だったことだろうと、少し震えている。

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梅津和時プチ大仕事2019 D.U.B.~片山広明に捧ぐ ゲスト:仲井戸麗市 新宿ピットイン 2019.2.16.

第二部。チャボのゲスト・パートの1曲目は、
DOCTOR UMEZU BAND & KIYOSHIRO名義の『DANGER』収録、
「大いなる訣別(ナンデ・ナンデ・ナンデ)」だった。
これを知らない人は、おそらく片山さんに捧げた曲だと思っただろう。
なんでいっちまったんだ…と繰り返される歌詞。
これが " 何で逝っちまったんだ " と聴こえたに違いない。
しかし、元々がコミカルな要素を感じる曲調だし、
DUBもチャボも笑顔を交えながら、
曲の作者である清志郎の名も出し、からかいつつ演奏する。

実は第一部のDUBパート後に、梅津さんが持参した、
片山さんが写った多くの貴重なプライヴェート写真がスライドで披露された。
梅津さんと早川さんの生解説付きだったので、
普通なら悲しくなるはずの時間も、実に楽しく過ごすことが出来た。
この雰囲気は解説したお二人の進行もあるが、片山さんの人柄が大だろう。
実際に、梅津さんから語られる短い言葉からはそれが伝わってきたし、
写真に写る片山さんを見れば、誰もがそれを感じたはずだ。

第二部も、その雰囲気が消えぬまま始まったので、
チャボの " 片山、聴いてろよ " の第一声にはさすがに構えたが、
よい意味でステージ上へ自然に入っていくことができた。
前述した「大いなる訣別(ナンデ・ナンデ・ナンデ)」の歌詞の、
知っている人と、そうでない人の、それぞれの受け止め方の違いは、
どこまで意識・計算されていたのかはわからないが、
オープニング演出としては素晴らしかったなと、今、あらためて思う。

DANGERの曲では、他に「あの娘とショッピング」も演奏された。
このレア曲を2016年のMANDALAでチャボは歌ったが、
2007年に梅津和時プチ大仕事『25年目のD.U.B.』が行なわれたときに、
忌野清志郎が出演してこの曲を演奏していることから、
なぜ取りあげられたのかの理由を、今になって色々と想像したりできる。
この夜は片山さんと共にいるはずである清志郎への想いも浮かんだ。

過去に話されてきたことも、
この夜のチャボはいつも以上に突っ込んだ形で披露してくれたから、
「打破」ではRC日比谷野音間奏事件が、
「かえりみち」では通夜からの帰路の風景が、
「いい事ばかりはありゃしない」では片山さんの音がハッキリと浮かぶ。
しかし、やはりこれらすべてが湿っぽくならず、笑顔で楽しく進むのである。

そんな中、唯一、チャボが感情の赴くままに、そのやり切れなさをぶつけたシーンがあった。
片山さんのソロアルバム『So−Kana』にチャボが書いたライナーノーツを、
DUBの演奏に乗せての朗読した…いや、あれは叫びだ…シーンだ。
92年の発表だから、その歌詞やエッセイを含めて、
チャボの書く独特の文体が炸裂していた時期である。
しかもそれをチャボ自身が読むと、やはり独特のリズムが生まれ、
それも相まってまるで曲を聴いているかのような…、
時には曲や演奏を超えてしまうことも少なくなかった。
披露されたライナーも、やはり僕が知るそれだった。
DUBの演奏と重なるチャボの叫び、言葉が突き刺さる。
音だけではない。
視覚的にもそれを読んで…叫んでいる姿が突き刺さる。
何が読まれていたかなんて解説は不要だ。
実に仲井戸麗市らしいシーンだった。

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" こんなライヴはやりたくなかった "

チャボは言っていたが、やるべきライヴでもあったと思う。
ステージで語られた片山さんの人柄がそのまま流れていた素敵な時間だった。
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Author:Blue
1980年4月5日からスタートしたGREATな体験。それは見事に現在に至るまで続いています。

" 君の手を握りたいんだ 君の手を握りしめたいんだ 君の手を握りしめていたいんだ そう いつかのメロディーに聞いた "

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