南青山MANDALA 25th Anniversary Special Duet GIG! 仲井戸CHABO麗市×宮沢和史 2019.4.10.

これまでの二人の共演から勝手にポエトリーがキーになると思っていたが、
歌…特に宮沢和史のそれを堪能した日となった。

言葉がメロディを持つとそのメッセージは何倍にもなる。
さらにそれを伝える声の力。
こうしたものを確実に持つ彼の魅力があふれた時間だった。

一時は歌をあきらめざるを得ないような状況の話も知ったが、
そのことも、この日の彼の歌には滲み出ていたのだろう。
もちろんそれを意識して出していたのではなく、あくまでも自然に出ていたからこそ、
僕に伝わるものの深さも大きかったのだろう。

2011年、CHABOの恩返しでも感動的だったローザ・ルクセンブルグ「ひなたぼっこ」。
ボサノヴァ風味のRCサクセション「夜の散歩をしないかね」。
オリジナル以外で印象に残ったこれらの曲も、今の彼の状況と、
その曲を歌っていたどんと、そして清志郎がいないという現実も相まって沁みた。
しかもこの2曲で締めくくったので、深い余韻が残る宮沢和史ソロパートであった。

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共演者のカヴァーを自身のステージで演る場合、
歌わずに歌詞をリーディングするという反則技が定番のチャボであるが、
この日は「そこが僕のふるさと」を弾き語りした。
間違いなく歌ったほうがいい。いや、絶対に歌うべきである。
歌と言葉とギター。この3つをあわせてひとつの力に…と言っているわけだから。

     **********

アンコールのセッションは聴き応えがあった。
そのメジャー度においての大きさからラストの「島唄」は貴重なセッションだったが、
この曲に勝るとも劣らなかったのが「唄」。
チャボのリスペクト・アルバムで宮沢和史がカヴァーしたこの曲を
二人は捻らずに「唄」を「唄」として聴かせてくれた。

最近のチャボは自身の曲をオリジナル・アレンジで演ることが、ほぼ無い。
例えばその時、そのライヴだけのアレンジということではなく、
今やオリジナル・ヴァージョンが消えてしまっている曲さえある。
発表された曲のオリジナル・ヴァージョンには、
何ものにもかえがたい不滅の魅力があると僕は思っている。
こうした理由からもどかしさを感じ続けているので、この日の「唄」は感動した。
仲井戸麗市がそこにいた。
この日のチャボのどのオリジナルよりも仲井戸麗市してた。

     **********

2011年にも宮沢からチャボへの手紙…その返信があったが、
この日の20年近い時間を超えて交わされた手紙の書簡も感動的だった。
そこに読まれていた内容云々よりも、
歌ではなく、その経緯を含めた手紙という形式が二人を表していたように思う。
これも二人の音楽なのであろう。

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南青山MANDALA 25th Anniversary Special Duet GIG! 仲井戸CHABO麗市×新谷祥子 2019.4.6.

いつものようにチャボの紹介で新谷祥子のステージが始まる。
冒頭からインストが3曲ほど続いた。MCもない。
新谷さんらしい適度な緊張感。
心地よい反面、今回の進行が見えない戸惑いも過ぎったが、
演奏後の彼女はいつもの笑顔を見せてくれていたので安心感はあった。
はたして…。

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インストの後に、その演奏曲についてじっくりと語ってくれるのは、
音楽としての言葉を大切に思っている今の彼女ならではだろうと思った。
おかげで直前で聴いた曲のイメージが大きく、しかし柔らかく膨らんだ。
後に続く言葉がバラであれば、実際はワインであっても、
それを酒と訳してもおかしくはない…日本語は素晴らしい。

共演では欠かさないチャボのカヴァー。
今回はまさかの古井戸「さなえちゃん」を取りあげていた。
マリンバでチャボの曲にどう立ち向かうかゼロから考える…と公言している彼女である。
これまで様々なアプローチを「ガルシアの風」「ホームタウン」「荒野で」などにぶつけてきたが、
「さなえちゃん」はそのどれとも違っていた。
記名性が強いチャボの曲は、なかなかカヴァーする人の色に染まらないが、
今回は見事に新谷祥子色に染めあげていたように思う。
まさにマリンバで仲井戸麗市するということの実践。
結果としてそれが新谷祥子になっていることの感動。
いつかこの演奏をバックにチャボが「さなえちゃん」を歌うのを聴いてみたい。

昨年の夏、お寺でのライヴで披露された「月夜のハイウェイドライヴ」も歌われた。
あらためて聴くとその独特の歌いまわしが曲のメロディを際立たせていることがわかる。
新谷さんの解釈がチャボのメロディの良さも伝えてくれる素敵なヴァージョンである。

さて、新谷さんのライヴと言えば新曲だが、この日は発表は未定でも、
レコーディングは済んでいるという話から、そんな中から歌ってくれた。
本編最後に演奏された「美醜の星」とう曲が、そのタイトルもあって印象的。
早く作品化されたものを聴いてみたい。

花粉症の影響で声が本調子ではなかったが、
その中でも自分らしいステージを作ると宣言して、その通りに実行する。
新谷祥子、素晴らしいミュージシャンでありアーティストである。

     **********

チャボのパートはいくつかのカヴァーを含めてのここ最近の定番メニュー。
そんな中、その成り立ちと経緯が興味深い新曲を演ってくれた。
メロディは30年ほど前にできて吹き込んでいたらしいが、詞ができない。
何度もトライしたができない。
清志郎にも、こんなメロディがあるんだけど…とトライしたがダメだったらしい。
しかし最近きっかけがあって、このメロディには詞がないという曲にしちゃえばいいと。
タイトルは「名もなきメロディ」とつけたらしい。
確かにメロディはメジャー進行にマイナーが入り込む実にチャボらしい曲だったが、
詞は練られていない感があり、まだまだ完成形には遠い印象だ。

それこそ90年代には凄まじいほどの歌詞が乗った作品を発表していたチャボである。
それをリアルで体験してきた身としては、理由があったとしても、
言葉が見つからないという話をチャボから聞くのは淋しい限りだ。
例えば今回のメニューの中にあった「庭」だが、その歌詞から広がるイメージはどうだ。
曲の優しさに隠れがちだが、冷静に歌詞を読み返すと唸ってしまう。
今の作詞に向かう意識やスタイルが変わったことを否定しないが、
再びこうしたTHE NAKAIDO REICHI SONGを聴いてみたいと思う。

思えば、特にMANDALAでMonthly CHABOをやっていた頃には、
ステージでしか披露していない新曲はかなりの数あった。
中にはそのまま作品化できそうな、作品化してほしい曲もあったが、実現には至っていない。
チャボの基準がどこにあるのかわからないが、もったいないなぁと思う。
いつか、新曲…未作品化曲だけのライヴを演って欲しい。

     **********

さて、いちばんの聴きものである二人のセッション。
安定の定番曲中心ではあったが、マンネリ感は微塵も感じさせないのはさすが。
中でも「BLUE MOON」。
僕はこれだけにお金を払っているという気持ちで来ているし、
その期待に応えてくれなかった演奏は聴いたことがないし、それは今回も同じだった。
何度もここに書いてきたが、音楽での会話を可視化したかのようなそれは息をのむ。
それでいて美しく、楽しく、かっこいい。最高である。

     **********

僕にとってはこのライヴで春を迎えるここ数年である。
今年も春が来た。

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「第十回感謝の日」Songs for Kiyoshiro 三宅伸治と仲井戸CHABO麗市 磔磔 2019.4.2.

昨年、2018年も下北沢で同タイトルのライヴが行われたが、
今回は会場が磔磔に変わっただけで、ほぼ内容は同じだった。
しかし、構成や選曲が同じでも、印象もそうだったかと言えばNOだ。
1年前と間違いなく違っていた。
僕にとっては当然だ。
1年といってもそれは単なる時間の経過ではないからだ。
三宅伸治と仲井戸麗市のふたりが忌野清志郎を、RCサクセションを歌い続け、
さらに僕も清志郎とRCを聴き続けてきた1年である。
時間が経てば、その時間だけの何かがそこに足され、積まれ、浸透し、
時間による何かで色付けされ、包まれる。
新たな何かが加わった清志郎の曲を、同じく新たな何かで包まれたふたりが演奏する。
僕が触れるのは1年前とは違う新しさに満ちた清志郎の曲であったわけである。

その “ 何か “ とは何か?
それは “ 素晴らしさ “ である…と信じたいし、信じられるライヴだった。
“ 素晴らしさ “ だとしか思えないし、感じられないライヴだった。
もちろん三宅伸治と仲井戸麗市が演るから素晴らしいのもあるだろう。
でもやはり忌野清志郎が素晴らしいのである。

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1年が単なる時間の経過ではないと思う、もうひとつの理由がある。
それは、2018年からの1年は、2009年からの9年があっての1年であることだ。
前述したように各々のスタイルでこの10年間、演ってきたふたりである。
具体的な形としても、思いや想いとしても、きっと様々なことがあっただろう。
しかもそれは、いい事ばかりはありゃしない…だったことも想像がつく。
そんなふたりによる没後10年という区切りの年にあたる4月2日のライヴである。
具体的に言葉やテーマにしてはいないが、
意識の中では10年間の集大成的な何かになっていたのかもしれない。

清志郎の歩みを大まかに追える曲が並び演奏されたが、
本編終盤の「激しい雨」から「ドカドカうるさいR&Rバンド」。
アンコールでの「JUMP」から「雨あがりの夜空に」。
2019年4月2日に清志郎と共にいたふたりが演ることの意味と意義は、
このふたつの流れに尽きた。
ここには「RCサクセションと忌野清志郎」に「忌野清志郎とRCサクセション」。
そして「仲井戸麗市と三宅伸治」に「三宅伸治と仲井戸麗市」。
これらが見事に表現されていたと思ったからだ。
さらに清志郎とRCのライヴに僕が感じていた興奮と楽しさ、感動と切なさが、
やはりこのふたつの流れに象徴されていたように思ったからだ。
僕にとっての、1980年からのおよそ40年もの長い時間が、
一瞬であったがすべて詰められていた4曲でもあったことも追加しておきたい。

時間が連れてきた思いは、さらにもうひとつ。
三宅伸治と仲井戸麗市が Songs for Kiyoshiro のライヴを演るのではなく、
Songs for Kiyoshiro を冠した三宅伸治と仲井戸麗市のライヴだと感じたのは昨年同様。
しかし、昨年よりこの印象は増していた。
何より三宅伸治のチャボとやりたいという想いの強さが印象的だ。
彼はチャボを誘いたかったのだろうし、チャボは彼の誘いだからこそ受けたのだろう。
あの夜の磔磔にいたのは、清志郎と共にいた、
そして横で支えたふたりのギタリストとしての三宅伸治と仲井戸麗市だった。

ライヴから時間が経った今にこうして振り返ると、
何と感動的な場だったことだろうと、少し震えている。

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梅津和時プチ大仕事2019 D.U.B.~片山広明に捧ぐ ゲスト:仲井戸麗市 新宿ピットイン 2019.2.16.

第二部。チャボのゲスト・パートの1曲目は、
DOCTOR UMEZU BAND & KIYOSHIRO名義の『DANGER』収録、
「大いなる訣別(ナンデ・ナンデ・ナンデ)」だった。
これを知らない人は、おそらく片山さんに捧げた曲だと思っただろう。
なんでいっちまったんだ…と繰り返される歌詞。
これが " 何で逝っちまったんだ " と聴こえたに違いない。
しかし、元々がコミカルな要素を感じる曲調だし、
DUBもチャボも笑顔を交えながら、
曲の作者である清志郎の名も出し、からかいつつ演奏する。

実は第一部のDUBパート後に、梅津さんが持参した、
片山さんが写った多くの貴重なプライヴェート写真がスライドで披露された。
梅津さんと早川さんの生解説付きだったので、
普通なら悲しくなるはずの時間も、実に楽しく過ごすことが出来た。
この雰囲気は解説したお二人の進行もあるが、片山さんの人柄が大だろう。
実際に、梅津さんから語られる短い言葉からはそれが伝わってきたし、
写真に写る片山さんを見れば、誰もがそれを感じたはずだ。

第二部も、その雰囲気が消えぬまま始まったので、
チャボの " 片山、聴いてろよ " の第一声にはさすがに構えたが、
よい意味でステージ上へ自然に入っていくことができた。
前述した「大いなる訣別(ナンデ・ナンデ・ナンデ)」の歌詞の、
知っている人と、そうでない人の、それぞれの受け止め方の違いは、
どこまで意識・計算されていたのかはわからないが、
オープニング演出としては素晴らしかったなと、今、あらためて思う。

DANGERの曲では、他に「あの娘とショッピング」も演奏された。
このレア曲を2016年のMANDALAでチャボは歌ったが、
2007年に梅津和時プチ大仕事『25年目のD.U.B.』が行なわれたときに、
忌野清志郎が出演してこの曲を演奏していることから、
なぜ取りあげられたのかの理由を、今になって色々と想像したりできる。
この夜は片山さんと共にいるはずである清志郎への想いも浮かんだ。

過去に話されてきたことも、
この夜のチャボはいつも以上に突っ込んだ形で披露してくれたから、
「打破」ではRC日比谷野音間奏事件が、
「かえりみち」では通夜からの帰路の風景が、
「いい事ばかりはありゃしない」では片山さんの音がハッキリと浮かぶ。
しかし、やはりこれらすべてが湿っぽくならず、笑顔で楽しく進むのである。

そんな中、唯一、チャボが感情の赴くままに、そのやり切れなさをぶつけたシーンがあった。
片山さんのソロアルバム『So−Kana』にチャボが書いたライナーノーツを、
DUBの演奏に乗せての朗読した…いや、あれは叫びだ…シーンだ。
92年の発表だから、その歌詞やエッセイを含めて、
チャボの書く独特の文体が炸裂していた時期である。
しかもそれをチャボ自身が読むと、やはり独特のリズムが生まれ、
それも相まってまるで曲を聴いているかのような…、
時には曲や演奏を超えてしまうことも少なくなかった。
披露されたライナーも、やはり僕が知るそれだった。
DUBの演奏と重なるチャボの叫び、言葉が突き刺さる。
音だけではない。
視覚的にもそれを読んで…叫んでいる姿が突き刺さる。
何が読まれていたかなんて解説は不要だ。
実に仲井戸麗市らしいシーンだった。

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" こんなライヴはやりたくなかった "

チャボは言っていたが、やるべきライヴでもあったと思う。
ステージで語られた片山さんの人柄がそのまま流れていた素敵な時間だった。

のん with スーパーヒーローズ 野音リベンジ!!! のんシガレッツ/仲井戸麗市BAND CLUB CITTA 2019.2.14.

昨年9月に開催予定だった日比谷野音。
そのニュースを知ったときは " 凄いライヴが発表されたなぁ " と思った。
この " 凄い "には言葉本来の意味以外にも戸惑いや疑問、驚きといった、
マイナス的な感情もあったのが正直なところだった。

しかし、チャボは出演を、共演を決めた。
自分のテリトリーからは決して出ようとしていなかった90年代以前には、
おそらく考えられなかったことだろうと思う。
確かに2000年代以降になって、チャボは外に出て行こうとしてきたし、
実際にそうしてきたし、逆に最近はそれが当たり前になっている感がある。
しかし、これまでもこれからも、そして今も、
こうした誘いに対しては " どうして俺なの? " というスタンスを必ず取るはずだ。
今回もこれはあっただろうし、納得できる理由が絶対に必要だったはずだ。

ライヴ前に公開された対談を読むとわかるのだが、最終的な決断は、
ギター、バンド、そして清志郎という二人の共通項の大きさだったのだろう、きっと。
要するに音楽。救いの神様、ミュージック。
このことから、チャボは音楽で繋がることができると確信したと思うのだ。

こうなるとチャボは凄い。
しかもまったく縁が無かった相手であるほうが、その凄みはより発揮される。
更にいえば、仲井戸麗市の名を冠したバンドである。
同じバンドである麗蘭とは明らかに異なるものを必ずみせてくれる。
期待が高まらない理由はない。

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残念ながら野音は台風で中止となったが、
しかし堂々と " リベンジ!!! " とタイトルされたライヴが発表された。
2019年のValentine's Day。
二人の共演・競演に相応しく、そしてそれは、
少なくとも僕にとっては実際にそうなったのだ。

     **********

二人に共通するギターとバンド。
そこにもうひとつ、チャボ自身がこの日のキーワードとした忌野清志郎が加わる。
ただし音楽としての放ち方はそれぞれだ。
だって68歳と25歳なのだ。当たり前である。
しかし…。

ギターがあれば歳の差なんて。
チャボがよく言うこのフレーズが、こんなにリアルに響いたことはこれまで無かった。
言葉で言うのは簡単だが、目の前でこれが具体的に展開されるのは感動的である。

歳の差を消した二人が音楽でそれをやり取りし、客席の僕もいくつかの受け止め方で応える。
このトライアングルが生んだ、忌野清志郎を介した音楽は、個人的な感覚になるが、
見えないけれど音としての形となり、CITTAの客席でふれることが出来た。
かっこよかった、イカシてた、すごかったなどの簡単な形容もできるが、
僕が感じたそれを言葉にすると切なさが近い。
でも、この切なさに含まれるのは、まったくのポジティヴ的感覚である。
笑顔で感じる切なさ…とでも言えば伝わるのだろうか。
特にこれはアンコールで演奏された「雨あがりの夜空に」で強く感じたことだ。
いちばんの盛りあがりとなっていたであろうこの曲だが、やたらと切なかった。
バンドのメンバーそれぞれの表情。
歌詞の半分以上を歌ったであろう、のんちゃんのヴォーカル。
そしてその中心に燦然と輝く仲井戸麗市の存在感。
ステージ上の9人は全員が笑顔だったし、楽んでいたが、
その隙間から僕が掴んだ独特だが切ないという感覚。
これはあの場で音楽によって知った大切な何かだったと思うのだ。
のんちゃんとチャボによってではなく、音楽によって…の何か。
それは救いの神様というものにも置き換えられる何かなのかもしれない。

     **********
のんシガレッツ。
RCサクセションの「ドカドカうるさいR&Rバンド」に乗って登場する演出。
いきなり気分をあげてくれたが、その後に展開されたロックン・ロールは予想以上。
のんちゃんを囲む3人がバッチリで、特にベーシストがかっこいい。
しかし目の前でロックン・ロールしているのが『あまちゃん』で観ていた彼女というのが、
とても不思議だったが、本当なのだ。
のんちゃん、ジミー・ペイジばりにギターを腰より低く構え歌う姿が、実に様になっていた。

仲井戸麗市BAND。
チャボ自身はバンドをチャボ・スペシャル・バンドと呼んでいた。
CHABO BANDのkyOnが細海魚に変わり、前田サラがSAXで加わった形だが、
どんなメンバー編成であれ、仲井戸麗市の名を冠したバンドのチャボは最高だ。
言葉にするのは難しいが、一気に引き込まれる音、雰囲気、空気がある。
わかりやすく言えば、本気度みたいなもの…集中度というか、そうしたものが伝わるのだ。
もちろん他ではそれが無かったり見られないという事ではないが、
僕には明らかに違うものとして映るし、聴こえるのは間違いない。

     **********

チャボのバンドにのんちゃんが加わり演奏された曲すべてがハイライトと言える。
中でも「わたしはベイベー」。
あの場にあがっていた忌野清志郎というキーワードが結実した演奏だったと思う。
印象的な土屋昌巳のギターが聴けるスタジオ録音ヴァージョンの魅力もあることが前提だが、
仲井戸麗市バンドでイントロが始まった途端、僕の中に浮かんだ、
あぁ、この曲はこれだろう…的なものは、変な表現だが正解を突き付けられたような気がする。
ごきげんだぜ、ベイベー!

     **********

うたは残る。
あの夜を象徴するようなチャボの言葉。
しかし、残るだけでなく、継いでいくことが重要である。
残ったうたを継いでいく、うたが継がれていく瞬間を目撃できることは滅多にない。
2/14のCLUB CITTAは、そんな場であったと思う。

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麗蘭 Sweet Soul Lay-Run Billboard Live東京 2019.1.26.

ビルボード公演が始まった当初は12月のアタマから中旬に行われていたのだが、
年明けになったのは最近のことだ。
おかげで磔磔の予告編的な位置から、同じ磔磔の総集編的ポジションに変化した感がある。
どちらが適しているのかはわからないが、
磔磔に行けなかったファンには、短縮版とはいえ嬉しいライヴなのは間違いないだろうし、
磔磔に行ったファンでも、一部の人たちを除いたほとんどの…要するに、
まったく満足にメンバーを観ることができない環境だった少なくはないであろう人…、
そんな人たちのモヤモヤ感を吹き飛ばせるライヴにもなるはずなので、
この公演は貴重なものになってるのではないか。

     **********

昨年末の磔磔は、新曲が多く披露されるという、
「常に新しい展開をみせてくれる僕にとっての麗蘭」だったので、
そんな新曲たちにじっくりと接することができたのは嬉しかった。
満員の磔磔では掴むことが出来なかった曲の姿を、ほぼとらえることが出来たと思う。
印象が変わった曲もあるが、楽しめた90分間であった。

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まずは公平のストーンズ・モードな新曲。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」なイントロが実にかっこいい。
アレンジは全編を通してシンプルなのだが、だからこそ、
二本のエレキでかますことでストーンズ風味が強調される。

麗蘭にはアレンジにモロ「ホンキー・トンク・ウィメン」を下敷きにした「歩く」もあるけれど、
同じストーンズ風味でも、公平の新曲よりストーンズ色は薄く感じられる。
演奏やフレーズよりも、たぶんチャボと公平が書くメロディの違いが、
そのままストーンズ色の強弱に出ているような気がする。

チャボの新曲は最近のソウル・R&Bモードらしい曲調の「R&Bケセラセラ」が印象的。
ただ、今の麗蘭はハードなギター・バンド・サウンドなので、
なかなかR&B色が前面に出てきにくいように感じる。
たとえば、ここにホーン・セクションが加わったらどうだろう?

" ♪ ら~ら~らら~ ケセラセラ~ " のリフレインにホーンがかぶされば…。

かっこよさそうだよね。
ホーン入りの麗蘭を聴いてみたいけれど、案外RCサクセションぽくなったりして。

     **********

ビルボードのDXシートやDuoシートを指して、
" 高い席〜!" と叫んだ後に " 宝石をジャラジャラ " 。
さらに、盛りあがる客席に " 凄い人気だ。僕たちはキリストより人気がある " 。
チャボがこうしたビートルズ・ネタをアドリヴ的に入れていたのが最高だった。
オウ~、ナガシマ~よりも(笑)、こうした音楽ネタを取り入れてほしいなぁ。

     **********

今回は本編最後の「ミュージック」に唐突に演奏された感を感じたり、
「年末SONG」を改作した「年始SONG」で締めくくられたりと消化不良的印象も正直あったが、
新しい曲が麗蘭の魅力であることを示してくれたのは嬉しい。

ビルボード公演が「短縮版→90分のフル・ライヴ」へ僕の認識が変わったのが前々回。
この会場が麗蘭ライヴの魅力を100%近く体験できる…の思いも今年も変わらず感じた。

麗蘭ビルボード公演は本人たちにもファンにとっても定番になっていると思う。
年末の磔磔とは別の、今後はどんなポジションで展開していくのかを楽しみにしたい。

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CHABOのKing Biscuit Time #9 南青山MANDALA 2019.1.24.

ここ最近のチャボが言い続けているソウル・R&Bモード。
今回のDJ NIGHTはそうした現在のチャボのフィーリングを反映した内容だった。
ただ、何かテーマを決めないと当然、収拾がつかなくなる。
ということでメンフィスのキーワードで括る選曲となった。

     **********

ソウル系に偏らない選曲で楽しませてくれたし、
年末磔磔麗蘭のライヴ音源も聴かせてくれてラッキーだったし、
これまでよりも短めの2時間という長さもちょうどよく、
2019年、最初のDJ NIGHTは心地よい時間を過ごさせてもらった。

     **********

1回目からそうなのだが、こうした空間ならではなのか、
チャボのプライヴェートや、RC、清志郎の話題も、
ここでしか…ここだからこそ…的な内容も少なくない。
いい音楽を楽しむとともに、いい話…あえて " いい " を付け加えるが、
そんないい話を聞くことが出来るのも足を運びたくなる理由だ。

中盤に、今夜のテーマを外した時間があった。
おおくぼさんのお母さんが聴いていたというクラシックのコンピレーション。
チャボはその中の1枚を持参し、ドビュッシー「美しい夕暮れ」を聴かせてくれた。
続けて「ブラームスの子守唄」をバックに、おおくぼさんのお母さんとのエピソードや、
チャボとおおくぼさんの思いや想いを語ってくれる。

音楽は凄い。
あらためてそう思った。

他人の人生に寄り添っていた、実にパーソナルな音楽。
それがまた別の他人を通して僕に伝わることにより、何かを僕に届けてくれる。
受け取った僕が感じたものは、自分の中で保管することもできるし、
また別の誰かに僕から届けることもできる。
こうして今の僕の人生にも寄り添ってくれるんだから、音楽は凄い。

     **********

音楽の素晴らしさを感じ、素晴らしい音楽をもまた感じ…。

ココロを動かしてくれる音楽は素敵だ。
音楽はココロを動かしてくれるから素敵だ。

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COUNTDOWN JAPAN 1819 SoulMates(仲井戸麗市+梅津和時+早川岳晴) MOON STAGE 幕張メッセ 2018.12.31.

ライヴが行なわれているステージ以外の場所でも、
会場中に響き渡るのは比較的ヘヴィでアッパーな音。
かつ勢いのある呼びかけ系のMC。
CDJでは、会話も満足にできないほどの大音量で、
こうしたものを耳にすることになる、ある意味でカオス的な環境である。
僕自身、もう慣れてはいる。
それでも、たとえばここにアコギ一本で臨むこと自体に、
根拠なく " 実にロック的だ " と感動してしまうのも事実。

2018年のチャボは、最近のメイン活動形態、SoulMatesでの出演だ。
アコギ、コントラバス、サックスのトリオである。
前述したギター一本ではないが、じゅうぶんなアコースティック編成である。
このことから、もちろん正しくない表現だと思うが、勝手にある種のアウェイ性を感じる。
しかし、僕の指摘するものとは違っていても、アウェイ的なものがあれば、
間違いなくそれをエネルギーに変えるのが仲井戸麗市である。
事実、この日のライヴはそんなスタンスで演奏していたのではないか。
そう思ってしまうほどの迫力を感じた30分だった。

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このユニット自体、新宿PIT INNに始まり、南青山MANDALA、横浜Thumbs Up、
そしてARABAKI ROCK FESなど、僕は様々な会場で体験してきている。
しかし、今回の彼らは、まるで初ステージを体験したかのような印象だった。
そのいちばんの要因はステージ環境…いわゆる照明や広さなどを含めたそれだ。

パープルを中心とした効果的な照明。
それは特に凝ったものではなく、ごく当たり前な照明演出ではあるが、
そんなステージに浮かび上がる三人のトライアングルの美しさ、かっこよさはどうだ。
元々その立ち姿が大きなステージに映える人であり、人たちである。
特にチャボにはそれを強く感じる。
フェスなどの野外ステージでも大きな場に立ってきてはいるが、
どちらかと言えば夜よりも昼間の時間…要するに照明演出が活かされた場は多くはない。
ライヴハウスでは小さなステージに見合った演出になるので、やはり同様だ。
CDJも決して大きなステージではない。
しかし、ミュージシャンをロック・スターとして演出するステージではある。
そこに立つだけでピタッとハマり、見事に応えられる姿と振る舞い。
そして何よりも肝心の演奏をバッチリと提示できるトリオがいた。
まるで3Dメガネをしているように、照明から浮かびあがる三人は本当にかっこよかった。

  COUNTDOWN JAPAN 18/19
  MOON STAGE 12/31(月)15:35〜
  セットリスト
  M1 Final Carve
  M2 ま、いずれにせよ
  M3 BLUE MOON
  M4 Going Going Gone
  M5 やせっぽちのブルース
  M6 MY WAY
  ※オフィシャルサイトから引用

定番のメニューでは、ある。
しかし、これまで聴いたことのあるこれらの印象とはまるで異なった。
早川さんが最年少と紹介されるレアなメンバー紹介。
もちろん梅津さんは最年長と紹介される。
SoulMatesがフェス出演者の中でも最年長であるのは本当だったようだし、
僕は笑顔で聞いたが、チャボは笑いを取るだけでなく誇りとして言っていたように思う。
そんな自分たちを今も呼んでくれる渋谷さんへの感謝も述べつつ。

 俺たちを知らない人たちも
 俺たちの音を聴いてくれ

最年長トリオがあの場…アウェイ感があふれる場で出す渋い音。
そうだ…2018年のARABAKIを思い出した。
ここでも出演者の中で間違いなく平均年齢は最高な三人だったはずだが、
彼らはいちばんシンプルで聴きやすく、誰にでも伝わる音を放っていた。
その音自体がメッセージになっていた。
CDJではこのことは変わらずも、しかしそれはビンビンに尖っていた。
いや、チャボは尖らせていた。
間違いなくそう放っていた。

リラックスしているようにみえたが、実は逆で気は張っていただろう。
オープニングの「Final Carve」。
言ってしまえばこれまでプロローグ的に歌われてきたこの曲さえ、重く深く響いた。
ギターと歌も迷いがなく、チャボの中から自然と出てきているように見えた。

中盤で披露された「Blue Moon」の美しさと、
ラスト「My Way」のロック的高揚の見事なコントラスト。
仲井戸麗市の二つの魅力が実によく出ていたと思う。

チャボがキレる「My Way」は何度も体験済み。
過去には精神だけでなく演奏もぶっ飛んでしまう場も少なくなかった。
理解できる部分もあったが、やはり肝心の演奏は大事である。
CDJではそんな心配は全く無用。
その歌われる歌詞を考えれば、自身が歩いてきた道が長くなった現在、
今がいちばんリアルな「My Way」を聴けるわけで、
その通り、同じ歌詞であっても伝える、伝わるものが増していて突き刺さった。

  愛する人を守るため
  大切な友達や何かに出会うため
  俺は行くのさ この道

「My Way」はこう歌われるのだが、
今回は " この道 " が何なのかもハッキリ伝えてくれた。

ロックン・ロール!

" 来年は69歳。ロックだぜ!" とチャボ。
そうだ、ロックだ。
ロックン・ロールだ。
俺の行く道はロックン・ロールであるという強烈なメッセージ。
感動した。

最高のライヴ納め。
チャボ、2018年もありがとう。
新しい年、2019年もよろしく。

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p.s.
チャボのファンにとって磔磔・麗蘭がその年をしめくくるライヴとなって久しい。
CDJにも出演し続けているが、大晦日という日程と、持ち時間を含めたフェスという性質から、
言ってしまえば磔磔のアンコール的な位置づけになっているのだろう。
しかし、渋谷さんが声をかけ続ける限り、それにチャボは応え続けるように思う。
一年をしめくくり、次の年に向けて宣言する。
具体的な言葉でなくても、音楽…演奏でそれを表してくれることは間違いない。
CDJに全国の仲井戸麗市ファンが集まる…なんてことが将来はあるかもしれない。

麗蘭TOUR 2018「Sweet Soul」

今年の12月、麗蘭はSweet Soulと題しての短いツアーを行なった。
麗蘭が年末の磔磔以外でレギュラーのライヴを行なうのは3年ぶり。
その意味では、10月に行われたバースデー・ライヴとは別の特別感を期待した。
2014年以降の麗蘭は『25』収録曲とカヴァーを中心にしたメニューが続き、
1st、2ndの曲が取りあげられない傾向だし、
そろそろ麗蘭ならではの特別感にあふれたライヴを体験したいと思っていた。

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■浜松・窓枠 2019.12.22.
オープニングは「マニュフェスト」から「ミッドナイトブギ」。
ここ最近の定番とはいえ、深くバンドに身についた音であるから安定の演奏である。
しかしメニューは10月のライヴを踏襲したもので、僕には新鮮さに欠けた。
そんな中での新展開といえばクリスマスの曲と洋楽カヴァーのみだった。
そうはいっても、麗蘭には「Soul X'mas」があるというのに今回も演らないし、
カヴァーもオーティス・ラッシュと、亡くなった人の曲というのも、いつものことだ。
納得できる新機軸とはいえなかったのは残念。
僕にとって麗蘭に対する期待度は半端ではないのである。

ただし、12月の音…今年が暮れる音だったことは凄い。
それを麗蘭が出しているからか僕がそう聴いてしまうからなのか。
きっと両方なのだろうと思うが、紛れもない一年が暮れてゆく音だった。
RCサクセションにも夏の野音とクリスマスの武道館という季語的ライヴがあったが、
麗蘭ほど季節特有の音だったかといえば、決してそうではなかったと思う。
改めて年末の麗蘭は特別なのだということを実感。

「今夜R&Bを…」。
このツアーはこの曲を片山広明に捧げると決めて出たのだ…。
チャボがそう伝えてくれたときに、僕はそれをチャボから聞きたかったということに気づいた。
気づいたら、泣いていた。
それを聞くことと、それで泣くことは、僕にとって必要だったのかもしれない。
ありがとうチャボ。

浜松での終演後、ステージを去る直前、珍しくチャボはメッセージを残した。

  磔磔では新しい曲を演るよ

京都では僕の麗蘭を体験できるのだろうか。

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■京都・磔磔 2019.12.29.
軽めのインストをオープニングでかました後に、
チャボが良くやるライヴのタイトル・ナンバーが続いた。
この瞬間、既に年末の磔磔で観る麗蘭が約束された。
しかもその約束は期待以上の展開をみせる。

   “ 磔磔では新しい曲を演るよ ”

浜松でチャボが言っていたこと は本当だったのだ。

僕にとっての麗蘭には、新曲に代表される新たな展開は必須条件。
というか、それがない麗蘭は考えられないと言っていいかもしれない。
91年1stツアーの未知なるものに対しての強烈な印象以来、彼らのライヴは毎回が新しかった。
新曲があったという事実だけではない。
仲井戸麗市と土屋公平それぞれの活動の中にある麗蘭のポジション。
チャボファンとしての僕が感じる仲井戸麗市と麗蘭の関係性とスタンス。
微妙だが確実に違う音楽性。
そして何よりも活動形態の特別感。
こうしたことによるスペシャル性が僕にとっての麗蘭。
それが年末の磔磔なら尚更のことである。

この夜は僕の好きな麗蘭…仲井戸麗市がいた。
このことが本当に嬉しかった。

新曲を次々と披露するチャボに対して " 光栄です " と受け身でいた公平も、
実はかっこいい新曲を持ってきていた。
アンコールでそれが始まった瞬間、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」かと思った。
さらに言ってしまうが、まるでストリート・スライダーズのようなギター二本のアレンジ。
今年のJOY-POPS再結成ツアーの影響が出ていたと思うのは考えすぎか。

それにしても " 年末・麗蘭・磔磔 " は不思議だ。
あの場所でしか感じられない独特の音と雰囲気。
故郷でもないのに何故だか " かえってきた " と思わせる空気。
それは行った者にしかわからないのか、行ったことがない者もわかるのか。
何かを確かめるように今年も足を運んだが、
いつまで年末の磔磔ライヴは行われるのだろう。
そしていつまで僕は観に行けるのだろう。

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P.S.
初期の麗蘭ナンバーにはあった、聴いて浮かぶイメージが無限に広がっていくような歌詞。
それは今の麗蘭にはない。
誰もが耳にし口にする言葉でチャボは歌うようになった。
2本のエレキでぶちかますようになった今の演奏スタイルのように、
30年近い活動の中で音楽はかなりの変化をしてきている。
しかし、その中で変わらないものがひとつある。

チャボはよくライヴのタイトルを曲にして演奏するけれど、
磔磔の麗蘭でもある時期からそれが始まった。
ほとんどがその年のオープニングに演奏されるだけであるが、
今回も演奏された「ゆく歳くる歳」「Good Times Roll」のように、
その後に単独曲として独立していくものもある。
急造的でイージーな曲が多いけれど、磨けばダイアモンドというものが少なくない。

そう、変わらないものとは、ライヴだけで演奏されている、いわゆる未作品化の曲である。
特に麗蘭のライヴで演奏されたそれはバカにならない数になるはずだ。
仲井戸麗市には掘り起こして磨くべき未発表曲がたくさん眠っているのである。

SoulMates(仲井戸麗市+梅津和時+早川岳晴) Going, Going, Gone 南青山MANDALA 2018.11.24

この夜、僕は何を期待していたのだろう?
これはライヴを観る前でなく、後に思ったことである。

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SoulMatesと名付けられた仲井戸麗市と梅津和時、早川岳晴。
この3人が片山さんの訃報後に演奏する。
ということは、いつも通りのステージ上での笑顔や冗談が、
しかしいつもと違う経路で僕のココロに届くということである。
もちろん受け止め方はひとつではなかったけれど、
どうしても片山さんを通したものとしてのそれが少なくなかった。
致し方ないことだ。

だが、しかし、3人はただただSoulMatesを演り続けていただけであった。
だが、しかし、その場から滲んでくるものは語られること以上に伝わるものがあった。

     **********

本編の終盤。
チャボのお馴染みのカヴァー。
トム・ウェイツの「オール'55」。
俺たちがいた日々へ、あの日々と言う名の場所へ車を走らせよう、
俺たちがいた日々には愛と音楽が溢れていた…と歌われる。
そんな歌詞にチャボはこう付け加えていた。

  君の歌が、ギターが、君のサックスがソウルが聴こえてきそうだ…と。

アンコール。
静かに始まったベースに歌を乗せたのは早川さんだった。
チャボがギターを、梅津さんがサックスを重ねる。
「ハレルヤ」。
僕自身、これまでは早川さんをミュージシャンとしてでしか見ていなかったが、
ステージ上で初めて感情を露わにした早川さんに触れた気がする。
それは演奏と歌で…音楽でのそれであったが、僕には初めての早川さんだった。
ある種の激しさが歌とベース・ソロにあったけれど、とてもキレイで美しかった。

どこからの、そして何からの帰り道なのかがわかるチャボの新曲。
曲調は軽快。
コミカルな歌詞。
しかし、君が奏でた音の中に君のブルースがあるのを知ってる…という歌詞が、
強く大きなやりきれなさを感じさせてもくれた。

この後はRCサクセションが続いた。
「いい事ばかりはありゃしない」。
聴こえるはずのテナー・サックスを頭と心で鳴らしたのは僕だけではあるまい。

「ドカドカうるさいR&Rバンド」。
やつはBluesをきめて サックスをぶちかます…とチャボは歌っていた。

これらの曲は、ただただ演奏されただけである、
何も語られることはなかった。
しかし僕がキャッチしたこうしたことで、
きっと何かを感じてもらいたいということだったのだろう。

     **********

辛いことがあった。
でも、あの場にいたみんなで悲しい気分なんかぶっとばしちまえと思いをひとつにし、
笑顔でそれぞれの家に帰ろう…と、ライヴは「家路」でしめくくられた。

  音楽で悲しい気分なんかぶっとばしちまおうぜ

この夜、僕が何を期待していたのかを、SoulMatesは教えてくれたように思う。
音楽は素敵だ。素晴らしい。
チャボ、梅津さん、早川さん、ありがとう。
そして片山さん、ありがとう。
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1980年4月5日からスタートしたGREATな体験。それは見事に現在に至るまで続いています。

" 君の手を握りたいんだ 君の手を握りしめたいんだ 君の手を握りしめていたいんだ そう いつかのメロディーに聞いた "

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