泉谷しげる with LOSER その個人的追憶

泉谷しげる with LOSERがオリジナル・メンバーで再結成され、
今年、2012年のARABAKI ROCK FES.に出演する。
久しぶりに興奮するニュースであり、既に冷静でいられなくなっている。
凄いバンドだったんだよ…と言えても、個人的にそのライヴを体験したのはたった5回のみ。
予習も兼ねて振り返ってみる。

確かスパゲティ屋だった。
時期はハッキリしないけれど、87年の秋頃だったはずだ。
その日に買ったロッキング・オン誌を手にその店に入った僕は、
食後にコーヒーを飲みながら読み始めた。
途中でたどり着いたあるページに目が釘付けになる。
泉谷しげるのライヴ・インフォメーション。
場所はインクスティック芝浦。
3日間連続のライヴだった。
派手な宣伝ではなく、それどころか無愛想な感じのページだと記憶している。
それでも僕の目が釘付けになった理由は、発表されたバンド・メンバーだった。
順番はまったく記憶に無いが、そこにはこう記されていた。

泉谷しげる(Vo)
吉田建(B)
村上ポンタ秀一(Dr)
仲井戸麗市(G)
下山淳(G)

ロッキング・オン誌はこの5人についてこう書いていた。

 " ウルトラマンとスーパーマンとガンダムが一緒に出てくるTV番組のようです "

この時点で、後にバンド名となる LOSER は使われていなかったはずだが、
僕にとって最強のロック・バンド、泉谷しげる with LOSER 誕生の瞬間だった。
とにかく興奮したことを強烈に記憶している。
細かいことはおぼえていないが、僕は初日と3日目のチケットを手に入れた。

1988年1月20日。インク初日。
客席は超満員。ぐしゃぐしゃ。
身動きが取れないうえ、開演前から怒号が飛び交う。
後にこれもまた泉谷のライヴのある意味で演出というか、
まぁ魅力のひとつだとわかり楽しめるようになったが、そのときは初体験。
しかもライヴ中には怒号と罵声以外に、モノまでが飛び交った。
実際、どこからか飛んできた空き缶が、僕の近くの女性のアタマに当たった。
その女性には失礼で申し訳ないことだけれど、当たった際の " カーン " という音が、
僕の耳に、やけにキレイに響いたのでハッキリ記憶しているのだ。
とにかく、こんな状態のライヴは初めてだった。

肝心の音。
この5人の出す音は凄かった。
早川義夫風に表現すれば " 凄いものは凄いとしか書けない " という音だった。

生で聴くポンタのドラムにぶっ飛ぶ。
吉田建はひたすらクールだった。
そしてステージには仲井戸麗市がいて下山淳がいた。
世界でいちばん好きなギタリストとその次に好きなギタリストが、
同じバンドでギターを弾いていた。
目の前には夢のような現実の光景。
その真ん中で泉谷の大将が吠えていた。
やはりこの文章の後には " 凄かった " としか付け加えられない。

このインクスティック3Daysは日替わりでゲスト出演があった。
初日は桑田佳祐。2日目は忌野清志郎。3日目はSION。
僕は清志郎だけ見逃したことになるが、後にライヴの様子がラジオでOAされ、
清志郎出演パートを聴くことができたのは救いだった。

凄かったという記憶と印象しか残らなかったインクスティックを経て、
3ヵ月後の4月5日には、汐留PITにてHOWLING LIVEが行われる。
書いていて懐かしいな、PITって(笑)。
割りと大きな会場だったので、3回目にして初めて冷静にLOSERを観ることができた。
これは後にCD、映像の両方で作品化されたので、
そちらを観てもらえれば、ライヴの様子がわかると思う。

ビクターエンタテインメント
発売日:2003-03-26

オリジナルLOSERの魅力を捉えた大傑作で、観たことがないファンは必見だ。
以前、ここでも取り上げたこともありました → HOWLING LIVE/泉谷しげる with LOSER -1988-
秋には観られなかったことを大後悔している学園祭ツアーもあった。
これも映像化されている。もちろん必見。

こういった活動で手ごたえを感じたのか、泉谷しげるは年末に、
過去の楽曲をLOSERで再生させるという『IZUMIYA-SELF COVERS』を発表する。

ビクターエンタテインメント
発売日:1988-12-07

ここで展開されたセルフ・カヴァーは、まさにLOSERでしか出せないハードな音であり、
おそらくファンによる好き嫌いの評価さえをも超えたと思える、本当に凄まじい出来だった。

早速、そんなアルバムを引っさげてのLOSERを、僕は目撃する。
1989年2月6日の渋谷公会堂。
HOWLING LIVE Ⅱと題されたこのライヴは、キーボードでホッピー神山が参加。
忌野清志郎などゲストも出演した、実に聴き応え、見応えがあるライヴだった。
演奏はCDで聴ける音以上の凄まじさだったが、
長年の活動をしてきたバンドのように余裕さえ感じさせるものでもあった。
この時期はタイプが違う二人のギタリストのコンビネーションもバッチリになっていた。
ただし、88年から始まった泉谷とLOSERの活動は、個人的にはここで一段落したように思う。

11月、泉谷はLOSERと共に『90'sバラッド』を発表するが、
これがオリジナルLOSERとしては最後の作品となった。

ビクターエンタテインメント
発売日:1989-11-21

そして、僕が観たオリジナルLOSER最後のライヴも、
このアルバム発表に先がけて行われた1989年10月30日の渋谷公会堂、
90'sバラッド HALLELUJAH LIVEと題されたライヴだった。

未だに忘れられないのがオープニングの「ハレルヤ」だ。
ロッキング・オン・ジャパン誌にこのときのライヴのレヴューが載った。
そこにはこう書かれていた。

 " 「ハレルヤ」を5人揃って演奏し始めた時は、大仰な言い方かもしれないが、
 雷が落ちてきたような衝撃を感じた "

本当にそんな感じだった。
この曲は泉谷がひとり弾き語りで歌いだすのだけれど、
全員での演奏が始まった瞬間の感動は今でも身体の中に残っている。

うーん、こうして簡単に振り返ってまとめてみただけでも興奮したぞ。
92年の東北で、どんな音が鳴るのだろう。楽しみで仕方が無い。
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抱きしめたいレコード

" 抱きしめたいレコード " というのは、定義としては、
例えば単に好きなバンドやアーティストの個人的ベスト1というレコードや、
とにかく大好きな曲が入っているアルバム…といったことでもなく、
昔から、そして今でも、更に普段も良く聴いているレコード…でもない。
そこに極めて個人的な思い出…特に十代のそれがこびりついていて、
それを聴くと…いや、聴かずともジャケットを見るだけで胸がキュンとなって、
本当にジャケットを抱きしめたくなる…というレコードを指します。

この " 抱きしめたい " という言葉は、
僕自身の音楽に関することや纏わることで、
過去に大切に感じていたこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、
悲しかったこと、悔しかったこと…など、様々な当時の思いを表したり、
記したり、思い浮かべたりするのに、とても相応しいフレーズのひとつです。

最近ある曲を聴いていて、久しぶりにアタマにこの言葉が浮かんだので、
そんな何枚かのレコードを記しておこうと思いました。


●ROCK AND ROLL OVER / KISS

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僕の最初のロック・ヒーローはキッスだったというのは、以前ここにも書きました。
洋楽に興味を持って、すぐにのめり込むようになった当時の僕は、まだ小学生でした。
お金を必死で貯めました。
欲しいレコードを買うために。
そんなレコードは、1枚1枚すべてが本当に宝物でした。
その中で、最初に自分のハッキリとした意思で手に入れたのがこの1枚です。


●LET IT BE / BEATLES

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中学生になって間もなく出会い、熱狂的に聴き込んだのがビートルズです。
最初に買ったLPは 『4人はアイドル』 という邦題のレコードでした。
そして2枚目に手に入れたのが、この 『レット・イット・ビー』 。
僕にとってのビートルズの日本盤レコードは、
この旗帯が付いた EAS で始まる規格番号のものです。
ジョンとリンゴの顔が隠れてしまいますが、あえて思い入れがあるので帯は外しませんでした。
13歳の僕が、今でもこのジャケットの向こうに見えます。


BEAT POPS / RCサクセション

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僕が唯一、発売日に2枚買ったレコードです。
1枚はもちろん僕のもの。
そしてもう1枚は、当時の自分のすべてだった、
チャボ・ファンの女の子にプレゼントするためのもの。
高校3年生の僕のすべてが、このレコードに詰まっています。


最後は、今回の " 抱きしめたいレコード " を書くきっかけになったある曲。
その曲が収録されている1枚です。

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1枚のレコード

今でも後悔している、70年代に買っていたミュージック・ライフ誌の処分…。
もうどうにもならないけれど、救いは切抜きが一部、残されていることだ。

その切抜きというのは、MLっぽくグラビア…と言いたいところだけれど、
この当時からマニア的な資質が顔を覗かせていたようで、
新譜レコードの紹介や、名盤と呼ばれているレコードの解説などである。
時期的には76年から79年あたりになるのかなぁ…。

とにかく色々なレコードを聴きたかった僕は、ML誌のいくつかのページが頼りだった。
まずは、当時の新譜からピック・アップされたアルバムを1ページで紹介した「1枚のレコード」。
次に " あなたのレコード・ライブラリーにありますか? " のコピーが悔しかった、
所謂ロックの名盤を取り上げた「ロックの歴史を創ったアルバム」。
そして、MLスタッフが新譜を★の数で評価し解説した「アルバム・コーナー」だ。

CIMG8849.jpg CIMG8850.jpg CIMG8851.jpg

当時の僕はこれらを参考にし、レコードを手に入れていた。
もちろん欲しいモノは掲載されているほとんどになるが、当然そんなお金は無い。
よって、入手する…または入手したいレコードは、
悩みに悩み、迷いに迷って、絞りに絞った数枚となるわけだ。

残された切抜きには、そんな当時の僕の思いが残されている。
入手を決めたレコードには、マーカーで印が付いているのである。
僕が考えに考えて、悩みに悩み、迷いに迷って、絞りに絞って付けた印だ。
すべてがリアル・タイムで買えたわけではないが、
一生懸命な当時の自分を思い出して、何だかキュンとなってしまった。

まずは、僕とMLらしいところで、こんなアルバムに印が付けられている。

CIMG8856.jpg CIMG8875.jpg CIMG8865.jpg

ジャパンの1stとボストンの2ndが並んでいるのが何ともMLらしいなぁ。
この中ではエアロの 『ドロー・ザ・ライン』 がいちばん思い入れがある。
このレコードを地元のレコード店 N で買ったときの事は今でもハッキリと覚えているし。

続いてはこんなものに。

CIMG8853.jpg CIMG8854.jpg CIMG8866.jpg

プログレッシヴ・ロックというジャンルをまともに理解できていなかったのに、
いきなりクリムゾンの1stを買ったことで、イエスやフロイドを知り、のめり込んでいった。
後にリチャード・ライトのソロ・アルバムまで買ったんだから、凄いものである(笑)。

さて、アルバム・コーナーには、数少ないながらも日本のアーティストも載っていた。
その中では、こんなアルバムに印が付いた。

CIMG8859.jpg CIMG8867.jpg

ただし、この3枚はMLで知ったということでは無かったと思う。
当時の僕は、まだまだ洋楽がメインだったし。

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ドリフターズ その個人的追憶

1960年代から70年代前半にかけて、僕の母は美容室を経営していた。
そんなに大きな店では無かったけれど小さくも無い、
まぁ、それなりに繁盛していた店だったと思う。
閉店後のお店は、まだ小さな子供だった僕の格好の遊び場と化した。
一人で遊ぶことが好きだった僕はしょっちゅうそこで過ごしていた。

その店内の隅っこに、当時としては立派なステレオが置いてあった。
どこのメーカーかの記憶は無いが、
レコード・プレーヤーとアンプ、スピーカーのセットだったと思う。
何がきっかけで僕がこれをいじるようになったのかはわからないが、
いつからか興味を持ち、そのうち自分でレコードをかけるようになった。
レコードと言っても、
かけていたのは当時の子供に人気だったアニメや特撮もののソノシートが主だった。

特に好きだったのが『ウルトラQ』の「ガラモンの逆襲」が収録されたもの。
ストーリーはもちろん、使われている効果音なんかも不気味だったし、
音だけで聴くウルトラQはとても怖かった。
そしてアニメの『どろろ』。
ドラマが「三びき天邪鬼」と「妖馬チミドロ」が入ったもの。
この二枚は本当に大好きで、良く聴いたものだ。
ドラマの他にはそれぞれ「大怪獣のうた」と「ウルトラマーチ」、
「百鬼丸のうた」という名曲も収録されていた。
僕の最初の音楽体験は歌謡曲やロックではなく、間違いなくこの辺である。

さて、こういったソノシートより後だったか、それとも同時期だったのかはわからないが、
もうひとつ僕が好きで良くかけていたレコードがあった。
それは三枚のシングル盤。
タイトルは「ズッコケちゃん」「ほんとにほんとにご苦労さん」、そして「誰かさんと誰かさん」。
言うまでもなく、ザ・ドリフターズのヒット曲だ。
いくらRCサクセションの『RHAPSODY』やキッスの『ALIVEⅡ』を擦り切れるほど聴いたと言っても、
この三枚のシングル盤には敵わないだろう。

いったい何回プレーヤーに乗せただろうか?

コミカルに歌われる歌詞は楽しかったが、
当時の僕は登別や草津なんかの温泉地も知らなかったし、
チョンガー、アルサロ、オイチョカブなんかの意味も知らずに聴いて歌っていた。
ただ、5人のメンバーそれぞれの特長あるヴォーカルの違いは子供ながらに理解できていたと思う。
今になって聴いてみると絶妙なアレンジが素晴らしく、現代でも十分に通用すると思うが、
専門的なことはともかく、
このアレンジ…イントロ、間奏なども当時から大好きで身体中にしみ込んでおり、
特に「ほんとにほんとにご苦労さん」はそのイントロを聴いただけで、
今では涙ぐむことがしばしばだ。
あっという間に40年近く前が目の前に現れたり、逆にそこに行って帰ってくることができる。
これは音楽というものの凄さ、そして素晴らしさである。ジャンルなんて関係無い。

傷だらけの三枚のシングル盤は、いつの間にかどこかへ消えてしまった…。

70年代、僕は一度だけ生のドリフを日劇に観に行ったことがある。
もちろんこの時のメンバーは、いかりや長介、加藤茶、高木ブー、仲本工事、荒井注。
オープニングのドリフの登場シーン以外はまったく憶えていないのだが、
生でドリフを観たことは、今ではちょっとした嬉しい思い出として僕の中に残っている。

荒井注が亡くなった2000年。
『ドリフだョ!全員集合(赤盤)』と『ドリフだョ!全員集合(青盤)』がリリースされた。
それぞれ二枚組のCDで、代表曲がほとんど網羅されている。


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たぶん、今では志村けん加入後の「ゴー・ウェスト」や「ドリフの早口ことば」、
そして「ヒゲのテーマ」なんかのほうが知られていると思うのだが、
僕のドリフは何と言ってもあの三枚のシングル盤であり、
「いい湯だな」や「ズンドコ節」を歌う、
『8時だョ!全員集合』で暴れまわっていた5人なのである。

サウンドストリート その個人的追憶

80年代にOAされていたNHK-FMの番組『サウンドストリート』は、
間違いなく僕の人生に大きな影響を与えてくれたラジオだ。
あまりにも有名な番組だし、そのDJを務めた人達の豪華さにより、
伝説化しているというような声もあるようだが、実際に凄い番組だったと思う。

さて、今回3/28のTBSラジオ『大人の時間割 竹中直人ハードボイルド・ソーセージ』と、
3/31のニッポン放送の『HEIWA REAL BEAT』に仲井戸麗市が出演することもあり、
ラジオ繋がりで、その『サウンドストリート』について個人的に書いてみます。

番組を改めて説明をすると、平日の夜10時から放送されており、
主にミュージシャンがDJを日替わりで務めていた音楽番組である。
僕が必死で聴いていたのは80年から83年あたりかなぁ。
時期によって曜日を担当するDJが代わったが、
おそらくいちばん知られているのは次のラインナップだと思う。

  月曜日 佐野元春(次点:松任谷正隆)
  火曜日 坂本龍一
  水曜日 甲斐よしひろ
  木曜日 山下達郎
  金曜日 渋谷陽一

僕もこれには同意するけれど、
実は思い入れがある時期に限定すると若干異なり、次のようになる。

  月曜日 佐野元春
  火曜日 森永博志
  水曜日 甲斐よしひろ
  木曜日 渋谷陽一
  金曜日 渋谷陽一

実際に同じ時期にこの形で放送されていたかどうかの記憶は飛んでいるが、
僕にとっての『サウンドストリート』はこのラインナップなのだ。

さて、ここではそれぞれの曜日ごとに、
僕が強く印象に残っているプログラムをひとつずつ書いてみたいと思う。
当時エア・チェックしたテープが残っているはずだが、
すぐに見つからないので記憶だけをたどって思い出してみる。
間違いがあれば詳しい方のご指摘をお願いします。

●月曜日 佐野元春
81年のある日。確かシングル「SOMEDAY」発売直前の日。
甲斐よしひろをゲストに迎えてのプログラムだった。
佐野&甲斐のトークで進むラジオ番組というのは今でも想像するとドキドキものだが、
当時もかなり面白かった。
ちなみに、甲斐よしひろは自分の日に佐野元春を良くかけていたはずで、
実際に、僕も「アンジェリーナ」を初めて聴いたのは甲斐よしひろのサウンドストリートだったと思う。
番組中でも「甲斐さんは僕のアンジェリーナを良くかけて頂いて…云々」と、
佐野元春がお礼を言っているのが聴けたと記憶している。

もちろんこの二人のトークということでも印象に残っているのだが、
何と言っても初めて「SOMEDAY」という曲を耳にしたということが、
この日を取り上げた一番の理由だ。
番組のラストでかかった。しかもバリバリの新曲としてだよ。
とにかく感動してしまい、レコードの発売が待ち遠しかったのを憶えている。

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1976年 その個人的追憶

僕が洋楽(主にロック)を意識して聴き始めたのは1975年である。
しかし、自分の意思を明確にして聴き出したのは翌1976年だ。
今年は2006年。何と、洋楽ロック・ファンになって30周年ということになる。
ということで、元々超個人的なブログだし、
勝手に自分で30周年記念として76年をふり返ってみたい。

記事中のアルバムや曲の年代は必ずしも発表された年では無いかもしれないが、
日本で発売された時期やヒットした時期がずれていたのが当時は普通だったのと、
僕の記憶による部分が大なので、例え間違っていたとしてもご容赦頂きたいと思います。

●ベイ・シティ・ローラーズ
1975~1976年と言えばベイ・シティ・ローラーズである。
76年の日本で発売された主なシングルを憶えている限り挙げてみる。
「ロックン・ロール・ラヴレター」「二人だけのデート」「ラヴ・ミー・ライク・アイ・ラヴ・ユー」。
後は「ロックン・ローラー/イエスタデイズ・ヒーロー」の両A面シングル。
もしかしたら「サタデー・ナイト」も…。
しかし怒涛の名曲群だなぁ。

学校に行けば女の子も男の子もローラーズに夢中だった。
誰に何と言われても構わないが、
僕を洋楽の世界に導いてくれたのがBCRなのはまぎれも無い事実である。
ここから始まったと言っても大袈裟ではない。

●キッス
76年のキッスは「DESTROYER(邦題:地獄の軍団)」。
そして「ROCK AND ROLL OVER(邦題:地獄のロック・ファイアー)」を発表した年だ。
それぞれ言わずもがなの70年代の名盤。
僕が始めて買ったキッスのLPは「ROCK AND ROLL OVER」の米盤。
ジャケットと同じデザインのステッカーが付いていて、当時は得した気分になったものだ。
国内盤は見開きジャケット(米盤はシングル・ジャケット)で、
中はメンバーのライヴ写真だったと思う。
これが何ともカッコ良く、当時は国内盤が欲しかった。
でも、2,500円は高かったんだよねぇ。

●クイーン
76年のシングルは「マイ・ベスト・フレンド」と「愛にすべてを」。
僕は翌77年の「手をとりあって」の印象が強い。
アルバムとしても「華麗なるレース」だな。
聴いていたが、まだまだクイーンはのめり込んでいなかった。

●ダニエル・ブーン
76年のBCRも吹き飛んでしまうのが、実はこの人。
曲はもちろん「ビューティフル・サンデー」だ。
ロックとして紹介できるのかがわからないが、
いまだに日本国内の洋楽売上のTOPなのではないか?
当時の朝のワイドショー「おはよう700」で使用され大ヒットした。
僕もすぐにシングルを買った。
典型的な一発屋ヒットだが、僕と同じ年代の人達には強烈な印象を残していると思う。

既にミュージック・ライフ誌を買っていた。
そこで紹介されるレコードや新譜の広告を見るのが大好きだった。
レコードは買えなかったが印象に残っているのは、
まずはピーター・フランプトンの「カムズ・アライヴ」。
このレコードの当時の扱いは凄かったから、欲しくて仕方が無かったものだ。
ボストンの「幻想飛行」やイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」も76年だった気がする。

意思を持って聴きだしたと言っても、
何だかんだで76年はベイ・シティ・ローラーズ一色だったような気がするなぁ。
もっといろいろなバンドやアーティストが思いだせるかと思ったけれど、結局はこんなもんだった。
まだレコードをそんなに買うことができなかったし。

実際は翌77年~79年の三年間で、一気に洋楽ロックにのめり込むわけだ。
この辺りも機会があったら思い出してみたい。

皆さんは76年、どんな曲を聴いていましたか?

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SEX PISTOLS その個人的追憶

中学の頃の話。
このブログの「BEATLES その個人的追憶」という記事でも触れているが、
僕の当時の仕事は広報委員。
登下校とお昼の校内放送を主に担当していた。
学校の各委員会は二年生と一年生で運営されている。よって委員長が二年生なのだ。
一年生の時は委員長のSさんに憧れていたただの坊主だったが、
二年生ともなればやりたい放題になる。

元々洋楽ロックにのめり込んでいたわけだから、一年の時に隠していた欲求が爆発した。
当然のように「お昼の校内放送」はロックがかかることになる。
それもビートルズなんかではない。

僕の学校のクラスは学年で四組まであった。
それぞれのクラスに広報委員がいる。
僕以外に他のクラスで一人だけロックが好きな委員がいた。
そいつと共謀したのである。

まず、新しく番組を作った。頭が悪い僕らは、ほとんど何も考えずにリクエスト番組を企画。
各学年からお昼の校内放送でかけて欲しい曲のリクエストを集めて、それを放送したのである。
もちろんまともに放送したケースもあったのだろうが、そんなことは全然憶えていない。
リクエストなんてでっちあげだ。

さて、僕以外の委員が当番だったある日。
その日のお昼の校内放送でかかったのはレッド・ツェッペリンの「天国への階段」だった。

想像してみて欲しい。
1977年、78年である。
そんな時代の公立の中学校の給食の時間。
「天国への階段」を聴きながら食べているのだ。
何というシチュエーション。

当然のように刺激を受けた僕は暴走する。

  ”こんにちは、お昼の校内放送です。今日のリクエストです。
   セックス・ピストルズのプリティ・ヴェイカントをどうぞ”

セックス・ピストルズを聴きながら食べた給食の味はどうだったのだろうか。

     ******

セックス・ピストルズ。当時の小学生、中学生には刺激的すぎた名を持つこのバンド。
ミュージック・ライフ誌でもその記事が載り始め、写真もお目見えする。
ショックだった。ジョニー・ロットンは人間じゃないみたいだった。

新宿にあった輸入レコード店のDやOに既に通っていた僕は、
遂にピストルズの1stが入荷したというニュースを知り、すぐにDに買いに行った。
英盤がそこにあったのかどうかは憶えていない。僕が手にしたのは米盤である。
だから、いまだに僕にとってのピストルズの1stのジャケットは、
オリジナルの黄色よりもピンクなのである。

凄いレコードだった。今まで聴いたことが無いロックだった。
冷静に聴けばハードでポップなロックン・ロールなのだが、
そんなことは当時の僕には関係なかった。
巻き舌で歌われるヴォーカルが全てだった。

セックス・ピストルズというのは、僕にとってはジョニー・ロットンだ。
PIL以降に名乗ったジョニー・ライドン、ジョン・ライドンは、
僕の中ではピストルズのヴォーカリストでは無い。
あくまでもジョニー・ロットンである。
しかも、そのヴォーカル同様に巻き舌で”ロットン”と発音するのが正しい。
何とカッコイイ名前だろうか。

僕はリアル・タイムでこのパンク・ムーヴメントを体験したのだが、
所謂パンク・ファッションには興味が無かった。
音楽として、ロックとしてカッコイイと思っただけだ。
特に、ピストルズを筆頭にイギリスのパンク・バンドは肌にあった。
今でもアメリカのパンクよりも好きである。

パンクが敵視していた当時のストーンズやフロイドと一緒に、クラッシュの「1977」も聴いていたし、
自分のバンドではナックの「マイ・シャローナ」と「デイ・トリッパー」のチープ・トリック・ヴァージョンと共に、
「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を演っていた。この三曲は今でもまったく違和感は無い。

77年の偉大なる1st「NEVER MIND THE BOLLOCKS」。
邦題「勝手にしやがれ!!」。
アルバムの冒頭、「HOLIDAYS IN THE SUN」の足音。
「GOD SAVE THE QUEEN」の凄まじいカッコ良さ。
そして「ANARCHY IN THE U.K.」。

永遠である。


※派手なイメージのピストルズだけど、実はモノクロの写真が抜群なのです。
こういう表現はどうかと思うが、モノクロームなジョニー・ロットンやシド・ヴィシャスは美しい。

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日比谷野外大音楽堂 その個人的追憶

80年代からほとんど毎年、夏には足を運んでいた日比谷野外大音楽堂であるが、
今年2005年の夏は一度も足を運ばなかった。こんな年は初めてかもしれない。

僕が大好きな、そして大好きだったロック・コンサートが行われる会場はたくさんある。
そんな中でも、日比谷野音は本当に大好きだったし、今も大好きな会場である。

80年代前半当時の野音は石でできた席で、イスと言えるようなものでは無かった。
しかも、席の間には木が生えており、場所によってはそれでステージが見えないのであった。
イスが置かれていたのはステージ前のブロックだけであった(と思う)。
だから、ライヴが始まれば客が前に押しかけるなんて日常茶飯事だった。
実にいい会場だった。

初めて野音で観たライヴは、81年4月の100円コンサートだ。
内田裕也、アナーキー、モッズ、ARB、ロッカーズ等が出演。
今思えば物凄いメンツだった。
しかし、何故か細かいことはまったく憶えていない。
ARBもモッズもアナーキーも残念ながら憶えていない。
ただ、ハッキリと今でも憶えているバンドがいる。ルースターズである。
もちろんオリジナルの4人。
記憶違いかもしれないが、
オープニングに「テキーラ」から「恋をしようよ」をメドレーで演ったと思う。
これが凄かった。本当にカッコよかった。抜群にロックしていた。
今でもこの時の大江の姿が目に浮かぶ。
それにしても、これが100円で観られたのである。良い時代であった。
ちなみにチケットは電車の切符を模したもので、イカシていた。

個人的には、野音と言えばやはりRCサクセションである。
80年代の半ばからシリーズ化する4SUMMER NIGHTSも良いが、
僕がいちばん印象に残っているのは、81年5月の「Please Rock Me Out」だ。
アルバム「BLUE」発売前の野音2Daysである。
フロント・アクトにヴァージンVS。これも今では貴重なライヴを観れたものだなぁ。
RCの全盛期は82年だと思うが、
僕は個人的にいちばん凄いライヴをしていたのは81年だと思っている。
まさにこの野音はそんなライヴを堪能できた。
まだアレンジが固まっていない曲もいくつかあったが、そのラフさも実にカッコよかった。
そういえば、チャボは新曲として「チャンスは今夜」をここで披露したんだよなぁ確か。
この時期は、まさに人間じゃないようなRCを観られたのである。

映像作品「ティアーズ オブ クラウン」として残された86年の野音も思い出深い。
80年のクリスマスで聴いて以来の「ヒッピーに捧ぐ」。
この曲を野音で聴けたのは最高の気分であった。
そうそう、チャボのヴォーカル曲である「打破」もカッコよかったなぁ。

そして90年の夏。現時点でのRC最後の野音も熱かった(暑かった)。
真っ白な壁で囲まれたシンプルすぎるステージ。
オープニングの「キモちE」がカッコよかった。
中盤で突如フォーク期のナンバーが飛び出す。
しかも2udの「楽しい夕に」から3曲も演奏されたのだ。
これを聴けた人は本当に幸せであろう。
また、この年に亡くなった清志郎の初ソロ・アルバムに参加したブロックヘッズのドラマー、
チャーリー・チャールズにチャボが「慕情」を捧げ、清志郎が「空がまた暗くなる」を歌う。
涙、であった。

RC以外にはARB、ストリート・スライダーズ、エレファントカシマシ、
子供ばんどなんかが印象に残っている。

野音は独特なんだよね。
どんなバンドも、ホールで観るのとは違ったようになる…ような気がする。
もちろん清志郎とチャボそれぞれのソロや、あの「GLAD ALL OVER」も忘れられない。

地下鉄の駅を降り、出口の階段を登っていくと、うるさいセミの声が迎えてくれる。
この階段を登っていく瞬間が、日比谷野音に来たということを実感できるときである。
会場の周りにたくさんのファンがいて、
ヤキソバを食べている人もビールを飲んでいる人も皆が笑顔である。
開場時間で中に入り、まずグッズ売り場をチェックして、席につく。
開演までは団扇をあおぎながら、
もちろんビールでいい気分になる人、チラシに目を通す人など様々だ。
まだ明るいうちにライヴは開演する。中盤にかけてだんだんと暗くなっていく。
野音を取り囲むビルディングの明かりもステージの照明のひとつだ。
そして、曲が終わるごとに聞こえてくるセミの声。
これもステージ演出のひとつなのである。

数多くの伝説と言われるライヴが行われた会場であり、これからもそれは変らないだろう。
野外での大規模なフェスもいいが、夏の日比谷野音というのも、それと同じくいいものである。

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N.S.P その個人的追憶

僕がバンドを組んだのは中学2年のときだ。
バンドを組むことになったきっかけはいくつかあるのだが、その中のひとつであり、
もしかしたらいちばんの理由だったかもしれないこと、
それは友人の兄貴がやっていたバンドである。
ただしロック・バンドではなく、フォークだった。
しかもオリジナルではなく、コピー。
でも、かなり影響を受けた。
その僕の友人はドラマーで、兄貴のバンドにドラムとして参加。
記憶は完全に薄れているが、そんなところからバンド結成に至ったのだと思う。

そのバンドがコピーしていたのがN.S.Pである。

当時のニュー・ミュージック・シーンはアリス、オフ・コースあたりが盛り上がっていた。
そんな中、友人の兄貴達は、
この素朴で切ないメロディが魅力的な三人組のコピーを演っていたのである。

N.S.Pは「納豆 そら豆 ピーナッツ」の略である。
いや「何と 凄い プロみたい」だったかな…?

実は、ニュー・サディスティック・ピンクというカッコイイバンド名なのであった。

当時の僕はロックにのめり込んではいたが、N.S.Pの音は一発で気にいってしまった。
元々ロック以前には歌謡曲からフォークなんかも普通に耳にしていたわけだから、
違和感はゼロだった。
実際に中学の文化祭ではアリスを演奏したしね。

さてN.S.Pである。
彼らの音は切ないのだが決して暗くはならない。
それどころか、切ない曲は聴けば聴くほど、前向きになるようなものであった。

初期のライヴ盤なんかを聴くとモロにフォーク・コンサートのノリであり、
今ではきっと恥ずかしくなるだろう。
彼らは東北(岩手)出身であり、そのMCも独特で愉快なものだった。
しかし、曲となると別である。
いつかどこかで聴いたことがあるような詞、見たことがあるような景色、
口ずさんだことがあるようなメロディ。
そんな曲達は本当に素敵であった。

また、ライヴではゲスト・ギタリストとして、
あのチャーが弾きまくっていたりしたのも、
僕が抵抗無く入っていけた要因のひとつであった。
チャーとは友人であったようだ。

彼らの曲の特徴は、しつこいくらいのリフレインである。
とにかくサビをくり返す。くり返す。くり返す。
何度もくり返すのである。
切なくて印象的なメロディの執拗なリフレイン。
聴いていく、いや聴かされていくうちに、いつしかこれにハマってしまうのだ。

ちなみにこれと同じ特徴を持つ男がいる。
ポール・マッカートニーである。

今回突然N.S.Pを思い出したのには訳がある。
リーダーである天野滋氏が7月1日に亡くなっていたのだ。
享年52歳。早すぎる。

こんな悲しい理由がきっかけであるが、今、久しぶりに部屋でN.S.Pを流している。
切ないが暗くはならないメロディは、昔聴いたときのそのままであった。

ただ、今夜は違う。
切なくて悲しい。N.S.Pがこんなに悲しく聴こえるのは初めてだ…。

昨年のコンサート・ツアー。
本編のラスト・ナンバーで必ず歌われたという彼らの代表曲「さようなら」。
その曲の前の挨拶で天野氏はこう言っていたそうだ。

 これからはどれだけ生きるかというよりは、どう生きるかがテーマです
 皆さんも一日一日を大切に

ご冥福をお祈りいたします。

LIVE AID その個人的追憶

LIVE 8は無事に終わったようだが、
そのTVやWEB上での放映、中継などはどうだったのだろうか?

さて、20年前のLIVE AIDの中継。
LIVE 8の映像を観ていて、やはり当時のこの大イヴェントを思い出してしまった。

司会は故・逸見政孝氏であった。そして南こうせつ他がゲストとしてスタジオにいた。
南こうせつ以外に誰がいたのかまったく覚えていない。

僕はチャリティ云々よりも、単純にライヴ自体に興味があったし観たかった。
ただそれだけであった。
LIVE AIDの放送で最悪だったのは、視聴者に嘘をついたことである。
それも、子供にでもすぐにばれそうなレベルが低い嘘であった。

「TV放送中のCMを流す部分は、ステージの準備、セッティングの時間です」

ふざけていた。視聴者を舐めていた。
そんなに頻繁にセッティングになるわけが無いじゃないか!
しかし放送中、逸見政孝はこのコメントをし続けたのである。

これ以外でも、このTV放送はズタズタであった。
生中継を謳いながらもニュースやCMはもちろん、演奏中にも平気でトークを挟む始末。
しかもこれは後から知ったのだが、
本来は16時間のところを日本では1時間遅らせて中継を開始したため、
15時間の放送であったらしい。バカにするのも程がある。

当時のロック・ファンはそれぞれの期待と想いで、
眠い目をこすりながら観ていたのだ。
そんな人達に向けてのこの中継は、
おそらく日本のTVでロックを放送した中では史上最低であろう。

また、同時通訳なるものもされていたのだが、これも酷かった。
はっきりいって邪魔であった。

僕はあまりにも舐めきったこのやり方に、恥ずかしながら某メディア宛に怒りの投書をした。
平気で公共の場で大嘘をついたTV局に対してアタマにきてしまったのだ。
この投書は見事に掲載され、謝礼として1,000円が送られてきた…。

LIVE AIDは今ではDVD化されているので、
当時観られなかった人も雰囲気を確認することができる。
観た人によって感じ方はそれぞれだっただろうが、なかなか見ごたえがあった。

U2のパフォーマンスはイヴェントをこえて素晴らしかったし、
当時の時代を代表するセッション・バンド、パワー・ステーションも、
ヴォーカルはロバート・パーマーではなくマイケル・デ・バレス!貴重だ。
ビーチ・ボーイズも楽しいし、デヴィッド・ボウイにフー、
レッド・ツェッペリンにエリック・クラプトンのベテラン勢。
まだまだいるぞプリテンダーズ、クイーン、トム・ペティ。
ホール&オーツにポール・マッカートニー…。
いやはや書ききれない程のもの凄いメンツである。

そして終盤はミック・ジャガーとティナ・ターナーの華やかなステージと、
それとまったく相反しながらも、
抜群の存在感とド迫力だったキース・リチャーズとロニー・ウッドを従えたボブ・ディラン。
こうしてみると、改めてかなりの大物達が出ていたんだなぁと感心する。

ポール・マッカートニーとピート・タウンゼントに担ぎ上げられたボブ・ゲルドフの姿が印象的であった。

チャリティという名目はともかくとして、イヴェントとしては大成功であっただろう。
僕も単純にライヴとしては、演奏の出来不出来は別にして楽しめたし。

こんなことを書いていたら観たくなってきたぞ。
まだ録画したビデオはどこかに残っているはずだ。
本当はDVDを買いたいのだが、ツェッペリンもパワ・ーステーションも未収録だしなぁ。

そういえば20年経った今思えば、
怒りの投書の謝礼の1,000円を寄付すれば良かったかな…。

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Blue

Author:Blue
1980年4月5日からスタートしたGREATな体験。それは見事に現在に至るまで続いています。

" 君の手を握りたいんだ 君の手を握りしめたいんだ 君の手を握りしめていたいんだ そう いつかのメロディーに聞いた "

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